エルトリア王国公職試験(七)

 目覚めが悪い。全身に嫌な汗をかいている。


 寝不足なのかもしれない。私はこの三十日ほど、ずっとぼんやりしている。名前を呼ばれても聞こえていなかったり、朝寝坊をしてしまったり、何も無いところで転んだり。昨日などシエロ君にスカートをめくられてもしばらく気づかなかった。


 目標だった公職試験を終えて、すっかり抜け殻になってしまったのだ。自警団の早朝訓練くらいしか運動することもないし、魔術を使うこともない。教科書に至っては一度もページを開いていない。


 ロット君もカミーユ君も王国軍に入り自分の道を歩み始めたというのに、私は未だ何者にもなっていない。試験に向けて必死だったときは考える暇もなかったのだが、公職試験に落ちてしまえば無職だ。高望みした末の就活失敗など目も当てられない。


 でも結果が出ないうちは他の道を探す気にもなれず、気力も湧いてこない。そしてまた不安にさいなまれて眠れないまま夜を明かす。




 そして起きているときに思い出すのは、公職試験三日目の面接試験だ。


「ユイさんは中央部の出身だね。王都の印象はどうだね?」

「人が多くて、街も大きくて驚きました。周辺部では道に迷ったのですが、中心部に近づくにつれて道や案内板が整備されていると感じました」

巡見士ルティアを志望した理由は?」

「二年ほど前、フェリオさんという巡見士ルティア様に助けられた事がきっかけです。私も彼のように弱い立場の人を守れるようになりたいと思いました」

「君は巡見士ルティアとしてどのような活動をしたい?」

「貧富の差の是正、辺境部の生活水準の向上、異種族との友好的交流です」


 いずれも予想できた質問に対して、用意してあった答えだ。


 このエルトリア王国は亜人種に対して寛容であり、国王ベルナート陛下は開明的と言われている。ただしいくつかの政策がそれを裏付けてはいるものの、国王陛下本人を見たこともなければお言葉を聞いたこともない。


 それにある程度の法が整備されているとはいえ、あくまでも『支配階級が被支配階級を効率良く治めるための法律』でしかない。巡見士ルティア一代騎士エクエスは支配階級の末端であって国民に奉仕する立場ではないのだ、貧富の差の是正や弱者救済など個人の理想は心の中だけに留めておいた方が良かったのかもしれない。




 今日も何も為すことなく、西の空が赤く染まり始めた。


 五日に一度、村の住民に関する簡単な手続きを行うアカイア市の行政官が郵便物とともにやって来る。夕刻にそれを待ち構えて自分と家族宛ての品がないか問い合わせるのだが、もう三回ほど空振りに終わっている。


 今日もまた空振りかなあ、と思いながらも聞いてみると、自分宛の封書を差し出された。封蝋ふうろうにエルトリア王国の印璽いんじが押されているそれを見て、いきなり心臓が跳ねた。


 家までの数百歩が果てしなく遠く、もどかしく感じる。帰ってから落ち着いて開けようと思ったのだが、どうしても我慢できない。

 震える手でむりやり封書を開けたので、意匠を凝らした封筒がぼろぼろになってしまった。しかも中身が引っかかってなかなか出てこない、やっと取り出した中身はまた封筒だった。少々いらつきながらまた封を開け、中身を取り出す―――




「―――!―――!」

「あら、おかえり。もうすぐ夕食できるわよ」

「―――!!―――!!」

「そうなの。よかったわね、ユイちゃん頑張ったものね」


 お母さんに何と報告したか、私は覚えていない。覚えているのはただ一つ、封書に書かれていた文字列だけだ。




『ユイ・レックハルト殿 上の者、エルトリア王国巡見士に登用する』




 もう何度目だろう。私の人生はここから始まるんだ、そう思った。

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