夏合宿二年(二)

「ユイちゃん、おはよう」

「おはよう。今日はずいぶん早いね?」

「うん。なんだか目が覚めちゃって」


 夏合宿最終日、まだ鳥のさえずりも聞こえぬ時刻。連なった山々の向こうから今まさに真夏の太陽が顔を覗かせようとしている。


「今日はロット君は来ないの?」

「レイバー君達と一緒に自主練するって。遊んでなきゃいいけど」

「彼はユイちゃんがいないとすぐさぼるからね」

「うん。遊びたくて私から逃げたんじゃないかって思ってる」


 十日間の合宿が今日で終わりだからといって、やるべき事は変わらない。五百段の石段を駆け上がり、朝食を挟んで素振りを千回、藁束わらたばを使っての打ち込みに演武、掛かり稽古げいこに続いて実戦。

 昨年は夕食が喉を通らないほど疲れ切ってしまったものだが、今年はずいぶんと時間と体力に余裕ができたので格闘術まで教えてもらった。


 とはいえカチュアに勝てるようになった訳ではない。最後は投げ飛ばされると同時に腕をめられ、黒髪の頭を何度も叩いて緩めてもらう羽目になった。


「いたたたたた!まいったまいった、やめてやめて!!」

「ふう。ユイちゃん、少し重くなったね」

「ええ!?ラミカと一緒にお菓子食べちゃうからかな」

「ううん、まだ痩せすぎだよ。もう少し体重増やしてもいいくらい」


 確かにいつの頃からか、体つきが変わってきたという自覚はあった。

 入学時にあれほど余裕のあった制服がきついし、下着も買い直さなければならなかった。おそらく寮生活で食事が良くなったことが一番の原因だろう。ただ身長があまり伸びていないのは、ろくに食べる物が無かった幼少期の影響を引きずっているのかもしれない。




「えいっ!【水飛沫スプラッシュ】!」

「わぷっ!こんな事に魔術使っちゃ駄目だよ」

「ふふっ、練習練習」


 女子寮の広い湯船から跳ねたお湯が顔を直撃、カチュアがいたずらっぽく笑う。


 意外にも、この子はたまにこういう事をする。それも私と二人の時だけだ。限られた生徒以外とはろくに話もしないほど人見知りだし、自分の意見など滅多に口に出さないほど控え目だというのに。

 今も魔術科のクロードとブリジットが入って来ると途端に大人しくなってしまい、体がくっつくほど近くに寄ってきて小声で耳打ちしたほどだ。


「ねえユイちゃん、この後のことなんだけど。ラミカとプラたんも誘ってみない?」

「ん?うん、カチュアがいいなら」


 この提案には少し驚いた。この後二人でジュノンの町に出る約束をしていたのだが、カチュアが自分から友達を誘うという。人見知りの彼女に配慮して他の友達を誘わなかったのだけれど、もしかすると余計なことだったかもしれない。




「あいよー。行く行く」

「・・・・・・私も。フルーツパフェ、食べる」


 実家から女子寮に戻ったばかりのラミカも、部屋で寝ていたプラたんも加わって四人で市街地へ。

『学園都市』と呼ばれるジュノンの町は市民の年齢層が若いためか、中心部は夜でも灯りと人通りが絶えない。様々な制服の若者達が手に手に食べ物や飲み物を持ってさざめき合い、きらびやかな通りを行き交う。


 私達も屋台で買ったさかな麦酒エールと甘味でお腹を満たし、門限間際まで夏の終わりを惜しんだ帰り道。学園都市の夜景を映す幅の広い緩やかな川、そこに掛かる大きな橋で足を止めた。




「ねえ。収穫祭で見たあれ、やってみようよ」


 麦酒エールのせいか、微かに頬を染めたカチュア。



「おー。いいねえ」


 ぱんぱんに膨らんだお腹をさすり、げっぷを出してから答えるラミカ。



「・・・・・・ん」


 生クリームを頬に付けたまま、杖代わりにチョコバナナをかざすプラたん。



「よーし。じゃあいくよ、三、二、一!」


 すっかり涼しくなった晩夏の夜風に髪をなびかせたのは私。




「水の精霊、我はなんじを解き放つ!【水飛沫スプラッシュ】!!!」


 四人の魔術師は声を揃えて短く詠唱。控えめな水飛沫、極太ごくぶとの水柱、緩く弧を描く水流、細い銀色の糸。それぞれの指先に応えた水の精霊達が夜空に向けて光の飛沫を散らす。


 その輝きはは短い夏と、かけがえのない時間の終わりを告げるかのようにはかなく消え去り、後には再び暗い水面みなもが漂うのみ。


 でも私の胸には、確かにこの光がまたたいている。きっと皆がそれぞれの道を歩んでも、いつまでも消えることはないだろう。

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