さらなる高みへ

 私は何も持っていない両手をながめた。まだしびれが残っている、手にしていたはずの模擬剣は十数歩も離れた地面に突き立っている。


「もう一回。もう一回だけいいかな」

「うん、一回だけね。まだ慣れてないから」


 拾い上げた模擬剣を右手に提げ、意識を左手小指の指輪に集中させた。


「内なる生命の精霊よ、我は勝利を渇望する。来たりて仮初かりそめの力を与えたまえ・・・・・・」


「【身体強化フィジカルエンハンス腕力ストレングス】!」

「【身体強化フィジカルエンハンス腕力ストレングス】!」


 私の詠唱にカチュアの声が重なる。大男が鉄杭を打ち込むような重々しい音を立てて模擬剣が十字に噛み合い、やや押された私の姿勢が僅かに崩れる。その機を見逃すような相手ではない、鍔元つばもとから押し付けるように剣を撥ね上げられ、引き戻すよりも早く胸元に剣先を突きつけられた。


「だめだあ。参りました」

「ユイちゃんのおかげだよ。魔術を教えてくれたから」


 カチュアは大きく息を吐き出して額の汗を拭った。まだ魔術の基礎を習得して半年余り、初級魔術とはいえ消耗が激しいのだろう。


身体強化フィジカルエンハンス腕力ストレングス】は対象の腕力を一時的に強化する魔術。術者の魔力や練度にもよるが、十六歳の女性としても小柄な方に入る私達でさえ食人鬼オーガーに匹敵する力を発揮することができる。


 カチュアが僅か半年でこの魔術を習得してしまうとは思わなかった。それも剣術科の授業や私との自主練の合間を縫ってだ。どれほどの時間を割いて努力を重ねたものか想像もつかない。

 その結果、彼女は女性ゆえの身体能力の不利という唯一の弱点を補完した。もともと剣術科の先生方でも相手にならないほどの腕だったのだから、もはやどんな人がこの子に勝てるのか想像がつかない。


 おそらくこの一年間、彼女は伸び悩んでいた。指導者も好敵手ライバルもいない環境と、自身の完成された強さゆえに。それが魔術の習得をきっかけに、壁を乗り越えるどころか飛び越える翼を得たのだ。

 もちろん友人としても魔術の師としても嬉しい、嬉しいのだけれど・・・・・・なんだか親友が手の届かない場所まで駆け上がってしまったようで、少しだけ寂しさと悔しさを覚えてしまった。




「うーん・・・・・・」


 数刻後、私は図書室の机に数冊の本を広げてうなっていた。既に外は真っ暗だが、天井にめ込まれた数個の水晶球が淡く光っているため読書に不自由は無い。

本はいずれも『魔術剣士ソルセエスト』に関するもので、架空の英雄譚からエルトリア正史まで手当たり次第に漁っては積み上げている。


 魔術と剣術の双方を操る『魔術剣士ソルセエスト』という存在は非常に珍しくはあるが、過去に例が無かったわけではない。エルトリア王国二百余年の中で数人、歴史書に名を記された者がいる。ただしそれらは小隊指揮官、飛竜討伐隊の一員、軍学校の教官などであり、ある程度の実力者ではあっても大成したとは言い難い。


 一方、創作物の類は荒唐無稽こうとうむけいなものがほとんどだ。伝説の魔剣と強力な破壊魔術でドラゴンを倒す英雄の物語など参考にならない。私が欲するのは過去の魔術剣士ソルセエストの戦い方であり、貧弱な体格と未熟な剣技を補う魔術の使い方だ。


「ふぅ・・・・・・」

「ユイちゃんが溜息なんて珍しいね。どうしたの?」


 遠慮がちに声を掛けてきたのはリース、腰まで伸びた黒髪が印象的な女の子。おとなしく控え目な子で、つい先程まで気配すら感じなかったほどだ。


「ごめん、変な声出しちゃって。実はね・・・・・・」


 リースは自己主張をしないぶん人の話をちゃんと聞いてくれるし、思慮深くて口も堅い。このような場合の相談相手としては最適なのかもしれない。ちょうど一人で資料を漁ったり考えたりすることに疲れてきてもいたこともあり、話を聞いてもらうことにした。


 二年生から始まった破壊魔術の授業ではラミカやアシュリーに力の差を見せつけられているし、今日はカチュアの相手にもならなかった。私は魔術師としてラミカに遠く及ばず、剣士としてカチュアの足下にも及ばない。今後どれほど努力を重ねようとも彼女らと肩を並べられる気がしない、と。


「才能とか素質とか、そういう言葉を使っちゃえば楽になるんだけどね」


 黙って話を聞いていたリースは、やはり遠慮がちに口を開いた。


「えっと・・・・・・ユイちゃんでもそんな気持ちになるんだね。ちょっと意外かも」

「そう?ずっと思ってるよ、ラミカやカチュアには勝てないなあって」

「どうしても勝たなきゃ駄目、なのかな」

「え?」

「ユイちゃんは巡見士ルティアになりたいんだよね?どうしても剣術科の・・・・・・カチュア?に勝たなきゃいけないの?」

「それはね、私の意地」


 確かに私の夢は巡見士ルティアになって世界中を見て回ることだ、最強の剣士や魔術師になることではない。単独で危難を排するに十分な力があれば、別にカチュアやラミカを上回る必要はないはずだ。


 でも私はカチュアに会ったとき最初に言った、対等の友達になりたいと。彼女が天まで駆け上がるなら私もそうらねばならない、ここで引いてしまえば親友たり得なくなってしまうから。苦笑いでそう言うと、リースはうつむいてしまった。


「すごいね、ユイちゃんは」

「そうかなぁ。魔術も剣術も中途半端でぼろ負けしたのに」


 私は行儀悪く両手で頬杖を突いたものだが、育ちの良いリースはうつむいたまま、でも姿勢正しくこちらを見て言葉を続けた。


「その、気にさわったらごめんね。ユイちゃんも私も、魔術の才能がある方じゃないでしょ?なのにあきらめないで、いつも頑張ってて、みんなに優しくて。だからその・・・・・・」


 内気で決して口数の多くないリースがつむぐ言葉に、思わず姿勢を正した。私のために必死に言葉を探してくれるこの子に失礼があってはいけないと思ったから。


「私にとってユイちゃんは、物語の主人公なの。誰よりも強くて優しくて、どんな困難にも負けないで、私みたいな弱虫にも勇気をくれるの。だからね、ええと・・・・・・」


 私は苦笑いどころかまばたきも忘れて、目の前の女の子を見つめた。長い髪にほとんど隠れているけれど、そんな憧れるような目で私を見てくれていたのだろうか。

 リースは魔術の名家に生まれたものの、才能に恵まれず酷薄な扱いを受けて育ったという。境遇は違っても同じように魔術の才に恵まれない私に自分を重ねているのかもしれない。


「リースは私が強くなったら、カチュアに勝ったら嬉しい?」

「うん!ユイちゃんならできるって信じてる」


 珍しく即答したリースについ笑ってしまった、黒髪の奥から覗く目がいつになく輝いている。


「わかった。魔術剣士ソルセエストの戦い、見ててよね」


 根拠も無ければ妙案も無い、もちろんあのカチュアを相手に勝算など無い。それでも勝つと言えたのはこの子のおかげだ。


 リースは私に勇気をもらったと言ってくれたけれど、実は反対だ。リースが私に勇気をくれたのだ。

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