未来の将軍

 カチュアが黒髪の頭を軽く下げて、卒業記念試合の決勝戦が終わった。優勝したドルス先輩が模擬剣を突き上げて歓声に応えている。


「お疲れ様。大変だね」

「ん・・・・・・ごめんね、ユイちゃん」


 相変わらず多くを語らず、カチュアは視線をそらした。


 観覧席に上がってきた彼女は、汗をかくどころか呼吸を乱してもいない。毎日一緒に訓練している私から見れば、実力の半分も出していないことが明らかだ。

 ロット君のかたきを取りたいのは彼女も同じだろうが、相手はカチュアと同じ帝国からの留学生、それも一年先輩だ。無難に終わらせるしかなかったに違いない。


「おう、惜しかったな」

「ん?・・・・・・うん」


 次に出迎えたロット君はカチュアの内心にも、実力を出し切っていないことにも気づいていないようだ。もともと物事を深く考える性質たちではないが、たまにこの鈍さをもどかしく思う時もある。


 頭に巻かれた包帯には薄く血がにじんでいるが、本人はそれほど気にしていないように見える。ドルス先輩の剣をまともに額に受けて昏倒こんとうしたのは昨日だというのに、呆れるほどの頑丈さだ。


「次はカミーユ君の番だね」

「うん。なんだか責任を感じてたみたいだけど、大丈夫かな」

「ん?責任って何だ?」

「ロット君が怪我した責任!」

「俺が?どうして?何だそれ?」


 不思議そうに首をかしげるロット君。彼の人のさは美点と言って良いけれど、この察しの悪さはどうにかならないものだろうか。


「カミーユ君がドルス先輩を挑発したから、先輩がわざと剣を止めなかったの!」

「そうなのか?まあ大したことねえけどな」

「まったくもう・・・・・・」


 この鈍い兄はともかく。これから行われるのは『模擬戦シミュレート』という競技の決勝戦で、カミーユ君とドルス先輩が雌雄しゆうを決するのだ。


 階下の競技場ではその準備が進められている。


 模擬戦シミュレートとは軽装歩兵、重装歩兵、騎兵、弓兵、輸送隊など八種類四十個の駒を動かして敵司令官を討ち取れば勝利という盤上競技で、簡素ながら地形による移動速度の変化、司令部からの命令伝達速度、部隊が所有する物資の量なども表現されている。

 通常これは卓上で地図を広げて行われるのだが、決勝戦は競技場全面を使って山や川、平地などの地形を再現し、人間の大きさほどもある駒の移動も人力で行って観覧席から観戦できるという。


 観覧席は既に満員。仕方なく最上段の通路に立って見ることにしたのだが、全体を見渡せるので下手に席に座るより良かったかもしれない。


「ずいぶん人が多いね?」

「町の人とか他の学校の生徒もいるし、軍の関係者も来てるらしいよ。剣術の時もそうだったけど」

「カチュアもロット君も、模擬戦シミュレートには出なかったの?」

「私はあまり得意じゃないかな」

「俺があんなもん理解できると思うか?」

「それもそうだね・・・・・・」


 楽隊の管楽器が一斉に吹き鳴らされ、会場のざわめきに取って代わった。軍歌を思わせる勇壮な曲に乗せて決勝戦の出場者が呼び出される。


「白軍司令官、二年生ドルス・エウゲニス君!」


 先に入場したドルス先輩は手を挙げて歓声に応え、少々芝居がかった動作で席に着いた。端正な顔立ちから自信があふれているようだが、ゆがんだ口元が傲慢さと尊大さを印象付けている。


「黒軍司令官、一年生カミーユ・ノア君!」


 一方カミーユ君はといえば、大きすぎる黒の将校服の裾を折り返しているため子供にしか見えない。ただその表情は先輩に劣らず太々ふてぶてしく、すぐに私達を見つけて笑顔で手を振った。


「全然緊張してないね」

「何なんだ、あのくそ度胸は」

「実際どうなの?カミーユ君の実力って」

「すごいと思うよ。剣の腕以外は」

「体を使うこと以外は天才だろ、あいつ」


 私も噂には聞いている。参謀志望のカミーユ君は剣術も基礎体力も一般人以下だが、戦略戦術、戦史研究、築城学、一般教養、異種族語などの座学は残らず完璧な成績を収めているという。

 それも本人に言わせれば「先生が望む回答をすればいいんだから簡単さ」との事なので、全くもって底が知れない。




 両軍が布陣を終えると、開始を告げる短い演奏が響いた。白と黒の司令官が手振りと言葉で指示を出し、移動を担当する生徒が駒を動かしていく。


「カチュア、どんな感じかわかる?」

「まだ始まったばかりだけど、カミーユ君の歩兵の一部が先行して敵陣に入ったとこ。他はにらみ合い」


 時間の経過とともに駒が激しくぶつかり合い、駒に表示された兵力や物資を示す数字が更新されていく。観覧席からも、おお、ああ、という声が上がっているようだが、私にはさっぱりわからない。

 カチュアが「うーん」とうなったので戦況を聞いてみる。


「ええとね。先輩の方が全体で押してるんだけど、まだ何とも言えない」


 おお、と喚声が上がった。ドルス先輩が立ち上がり、大きな手振りで全面攻勢に出たようだ。カミーユ君の駒が押し込まれ、次々と陣内に侵入されていく。

 白の将校服が似合う司令官が腕を組み満足げな笑みを浮かべるのに対して、黒の将校服に着られている小柄な司令官はあごに手を当てて難しい顔をしている。両者の表情がそのまま形勢を表しているようだ。


「だいぶ押されてるみたい?」

「うん。ここまで押されたらちょっと苦しいかな。・・・・・・あっ」


 会場の数ヵ所でざわめきが生まれ、次第に大きくなってきた。


「いつの間にかカミーユ君の司令部が移動してる」


 私のような素人しろうとにも戦況が明らかになってきた。ドルス先輩が顔を紅潮させ足を踏み鳴らして攻勢を命じるものの、少しずつ後退していくカミーユ君の司令部にはぎりぎり届かず、狭隘きょうあいな地形に誘い込まれた重武装の兵種の兵力と物資がみるみる溶けていく。さらには司令部と攻撃部隊との間を遮断されて、互いの連絡も補給もままならない。


 誰の目にも勝敗が明らかになった時、それは起きた。


 ドルス先輩が白い軍帽を床に叩きつけ、カミーユ君を指差して何やらわめき散らす。司令官席を蹴飛ばし、なだめる生徒を怒鳴りつけ、ついには先生の制止を振り切って退場してしまった。


「ど、どうしたのかな」

「うーん、ドルス先輩はプライドの高い人だから」

「なあ、カミーユの勝ちでいいんだよな?」

「ロット君は単純でいいよね・・・・・・」


 ともかく取り残されたカミーユ君は落ち着いた様子で立ち上がり、帽子を取って一礼した。まばらに拍手が起こる中、出てきた時と同じように満面の笑顔で手を振っている。


 終わってみれば全てカミーユ君のてのひらの上だったということか。

 この子供のような姿と無邪気そうな表情の下にどれほどの智謀が隠されているのか、私には想像もつかない。

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