魔術師リースの苦悩

 先程受け取った成績表を恐る恐る眺めて、薄い胸を撫でおろす。そんな私の様子をうかがっていたラミカとプラたんも安堵あんどの息をついたようだ。


 一般教養 七位

 魔術総論 十一位

 基礎魔術 九位

 応用魔術 十一位

 総合成績 十位/十二人中


 一般教養と総論は自習と読書のおかげで共通語と古文字アルートの誤りが正されたのが大きいし、魔術に関する知識面はプラたんから、要領はラミカから学ぶことができた。

 中間試験の時のような成績を続けて留年でもした日には、わざわざ私を引き取って送り出してくれた両親に顔向けができないところだった。とても胸を張って帰れる成績ではないかもしれないが、これで一応の報告はできそうだ。


「プラたんはどうだった?」

「・・・・・・ん、だいじょうぶ」


 ハーフエルフのプラたんは真面目で精霊の扱いにも優れる優等生だ、上位の成績は約束されている。ただもう少し細かいことが知りたかったけれど、無理いするものでもない。


「私も大丈夫だよー」

「いや、ラミカはいいから」

「寂しいこと言うなよう。見ろよう」

「うるさいなあ。だいたいわかるよ」


 魔術科始まって以来の天才という評判のラミカは、魔術の実践においてはもはや生徒の枠に収まらない。敢えて比較対象を挙げるならば王宮勤めの王国魔術師か、いにしえの大魔術師を持ち出さねばならないだろう。

 ただその授業態度は褒められたものではなく、知識面と生活面で大きく評価を落としているため総合一位の座はアシュリーに譲っている。


 午後の陽射しにさざめく教室。成績表に対する反応はそれぞれだが、もうすぐ五十日間の春休みに入るとあって皆の表情は一様に解放感に満ちている。


 いや。その中で一人だけ、蒼ざめた顔で席に着いたまま動かない生徒がいる。

 リース、長い黒髪が印象的な女の子。私に嫌がらせをするアシュリー達と一緒にいた時期もあるけれど、最近は一人でいることが多い。その成績は確か・・・・・・私と入れ替わりに最下位に落ちたはずだ。




 放課後カチュアとの自主練、この日はどうも訓練に身が入らなかった。何故だかリースのことが気になって仕方がない、あの落ち込み方はただ成績が悪いというだけには見えなかった。もしかすると・・・・・・


「ユイちゃん、大丈夫?集中しないと危ないよ」

「あ・・・・・・ごめんカチュア、今日はこれで終わりにしていいかな」

「え?うん、いいけど」

「ちょっと大事な用事ができて。ごめん、後で話すね!」


 女子寮に駆け戻ると、ちょうど出てきたリースと鉢合わせした。小さな背中に大きな荷物を背負っている。


「あっ・・・・・・」


 リースは驚いて身を隠そうとしたようだが、隠れるような余裕も場所も無い。私から目をそらして力なく歩を進める、その手をつかんで引き止めた。


「行っちゃうの?もう戻って来ないつもりだよね?」

「・・・・・・放っておいて。私のことなんか」

「事情はわかるつもりだよ。少しお話しよう」


 成績表を受け取ったときの表情、この大きな荷物、逃げるような反応。きっと成績不振で悩んだ末にこの軍学校を去るつもりだろう。

 この子とはそれほど仲が良かったわけではないけれど、何故だか放っておけない気がする。人気ひとけのない池のほとりにある長椅子に並んで座り、足元に大きな荷物を置いた。


「リース、どうしても辞めちゃうの?」

「うん・・・・・・私なんて何をやっても駄目だから」

「そんなこと無いよ。魔術が使えるっていうだけですごい事なんだから」

「少し使えるっていうだけじゃ駄目なの。こんな事じゃ・・・・・・」

「ご両親が厳しいって言ってたものね」

「あ・・・・・・覚えててくれたの?」


 前に少しだけ話してくれたことがある。彼女は魔術の名家に生まれ、厳格な両親の下で劣等感にさいなまれて育ったという。おそらくは過大な期待をかけられ、自身の才能に失望し、両親の顔色をうかがいながら生きてきたのだろう。だからこんなに気弱で他人に流されやすい子になったに違いない。


 そうだ、私はリースが何を考えているのか、本当はどんな子なのか、何も知らない。きっと誰も知らないのだろう、だから気になったのだ。十五歳の少女が誰にも知られないまま挫折して、静かに学校を去ってしまうのはあまりにも寂しいから。


「ねえ、リースは将来何になりたいの?」

「え?」


 私の問いは遠回りすぎて、少し的外れだったかもしれない。真面目なリースは目をしばたかせて考え込んでしまった。


「そんなの考えたこともないけど・・・・・・」

「そっか、やっぱりね」


 武名高い侯爵家に生まれたカチュアと同じだ。幼い頃から剣術だけを叩き込まれ、本当は自分が何をやりたいのかわからないと言っていた。なりたい物があるなんてうらやましい、とも。

 リースも魔術の名家に生まれ、魔術師としての優劣を価値観の一番上に置いている。だからそこで挫折すればこの世の終わりのごとく落ち込んでしまうのだ。


「世界は広いんだよ。魔術が使える、知識があるっていうだけで色々な仕事ができるんだよ。動力供給の技師、魔導車の運転手、研究者、学校の先生、薬師くすし、リースは何になりたい?」

「ええっと・・・・・・私、そういうのは・・・・・・」

「それとも、両親が決めた人と結婚して家を守る?」


 息をみ、弾かれたようにこちらを見る。ようやく水色の瞳がまっすぐ私をとらえてくれた。


「良いと思うよ。でもそれはリースが本当にやりたい事?」

「・・・・・・」


 かなり長い時間が過ぎたに違いない。彼女が口を開いたのは冬の陽が校舎の陰に隠れ、反対側の空に最初の星が瞬いてからだった。


「・・・・・・嫌い」

「え?」

「私、嫌いなの。魔術師も、魔術師が特別だっていう人達も、魔術が使えない人を見下すお父さんも、家柄ばかり気にするお母さんも、心のどこかでそう思ってる私自身も!みんな大嫌い!」


 あの大人しいリースが急に大声を上げたのには驚いた。おそらく今まで感情を吐き出すことなど無かったのだろう、ついには顔を伏せて泣き出してしまった。辛いことを言わせてしまったのは私だというのに、背中をさすることくらいしかできない。


「ごめん、辛いこと言わせちゃって。ずっと一人で悩んでたんだね」

「・・・・・・ううん、少しすっきりした」


 言葉の通り、リースの顔は泣きらしてはいても血色が戻っていた。落ち着きを取り戻した声でゆっくりと話し始める。


 彼女は魔術都市と呼ばれるペントルードの出身であること、その町はリースの生家を含むいくつかの有力な魔術師の家系が支配していること、その出身でありながら落第寸前の成績しか残せない自分を情けなく思っていること。


 多感な年頃にありがちな親への反抗心や将来への不安、そう片付けるには彼女の抱えている事情はあまりにも重い。親から何も与えられなかった私とは反対に、自分では抱えきれない期待に押しつぶされてきたのだろう。これまでもずっと、そしてこれからも。


「そっか、ずっと大変だったんだね。でも自分の将来くらい、自分で決めていいと思うよ」

「でも・・・・・・こんな成績が知られたら何て言われるか。また溜息ためいきつかれて、恥晒はじさらしとか言われて・・・・・・」

「辛いよね、ご両親にそんなこと言われるなんて。それでも卒業しようよ、自分のために」

「私のため・・・・・・?」

「そうだよ。もっと力をつけて、知識を身に着けよう。広い世界に出て、何になりたいかを探そう。きっとできるよ、私達はまだ十五歳なんだから」


 長椅子から立ち上がった私を、気弱な少女は泣きらした目で見上げた。水色の瞳がすっかり暗くなった空を映して濃い藍色に染まっている。


「ユイちゃんは・・・・・・」

「ん?」

「私はあんな事したのに、アシュリー達と一緒に嫌がらせしてたのに、どうして心配なんかしてくれるの?」

「それは・・・・・・もういいよ。私はリースがいなくなったら寂しい、あなたのことをもっと知りたい、だから友達になってくれたら嬉しい。それじゃ駄目かな」


 かなり迷った末に、恐る恐る、でもリースは私が差し伸べた手を取ってくれた。新しい友達ができたこと、少しでもその友達の力になれたことが何よりも嬉しい。

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