夏合宿(四)

 一抱えほどもある巨大な石英の結晶、私の背丈ほどもある砂時計、人間がすっぽり入れるほどの透明な箱。ここは校舎の地下にある魔術訓練施設。


 夏休みが終わり明日から授業が再開されるとあって人の気配が戻ってきたようだが、それも先程までの話。すっかり夜がけ皆が寝静まっても、私とカチュアだけがここに残って小さな水桶をにらんでいる。この夏合宿でやり残したことがもう一つあるからだ。


「もう少しだよ、カチュア。水の精霊が動いているのがわかる?」

「わからない。わからないけど動いてるんだよね?」

「そうだよ。もう少し、もう少しで水が動くはずだからよく見て」


 魔術科の生徒に貸与たいよされる安物の短杖スタッフをかざしたカチュアが習得しようとしているのは、水系魔術の基礎の基礎【水飛沫スプラッシュ】の魔術。水面から任意の方向に水流を飛ばすだけの簡単なもので、効果が目に見えるという理由から最初に習得する者が多い。


 魔術師である私には水桶の中に在る水の精霊が僅かに動いているのがわかる、真面目な性格のカチュアは私が見ていないところでも欠かさず訓練を重ねていたのだろう。効果が表れるまであと一歩、だがその一歩が遠く、ここで魔術の習得を断念してしまう者も多いという。目に見えないものを信じるというのはそれほど難しい。


「動いた!いま動いたよね!?」

「え?よくわからないけど・・・・・・」


 私の目には水面が僅かに盛り上がったように見えたのだけれど、実際はどうだっただろう。もっと大きな水桶があれば良いのだけれど、ここは魔術が使える者のための施設であって基礎の習得には向いていないのがもどかしい。


「ここじゃ駄目だ!カチュア、お風呂に行こう!」

「え?どうして?今から?」


 戸惑う弟子の手を引いて、半ば無理やり女子寮のお風呂へ。一度に十人は入れるほどのこの湯船であれば無数の水の精霊が存在する、微かな魔力でも効果が表れやすいはずだ。


「見るんじゃなく感じるんだよ。目をつぶってもいいから。そう、さっきよりいい感じだよ」

「そうなのかな・・・・・・」

「疑っちゃ駄目。精霊の存在も、自分の力も。今まで毎日訓練してきたんだよね、必ずできるよ」

「・・・・・・」


 私の助言を受けて集中力が増したのがわかる、それに応じて水面近くに精霊が集まって来る。カチュアの中の魔素マナと精霊の力が混じり合い飽和ほうわした瞬間、勢いよく湯船の表面のお湯が跳ねた!


「やった!できたよ、見たよね今の!」

「え、そうなの!?目をつぶってたからわからなかった・・・・・」

「ああもう!もう一回、今度は目を開けて!」

「う、うん」


 呼吸を整えてもう一度、水面に短杖スタッフをかざして精神を集中。


「理に縛られし自由ならざる水の精霊、我は汝を解き放つ。【水飛沫スプラッシュ】」


 たどたどしい詠唱、不安定な魔力、半信半疑の精神状態。だが確かにそれは起こった。カチュアが杖先を向けたお湯の表面から数個のしずくが跳ね、小さな放物線を描いて再び湯船に戻っていった。


「やったあ!これでカチュアも魔術師だね!」

「ちょ、ちょっとユイちゃん、大袈裟おおげさだよ」


 私はその数千倍の水飛沫を上げてカチュアに抱きついた。大袈裟おおげさなものか、魔術を習得できるのは千人に一人、彼女がどれほど地道な努力を重ねてきたか私にはわかるのだ。


 剣術を教えてくれるカチュアに少しでも恩返しができたこと、魔術という力を得た彼女がさらなる高みへ上っていくであろうこと、それが形になって現れたこと、それらが何よりも嬉しい。大袈裟おおげさなんかじゃない、これはカチュアにとっても私にとっても、大きな大きな一歩だ。


「・・・・・・あの、ユイちゃん、そろそろ離してくれないかな」


 そう言われて我に返ると、急に恥ずかしくなってきた。自分が年頃の女の子に裸で抱きついてしまったことに気付いたから。




 十日間の夏合宿もこれで終わり。やり残したことは一つたりとも無い。


 軽く弾む心とは裏腹に重くきしむ体で自室に戻ると、既に牛の着ぐるみが安らかな寝息を立てていた。いつの間にか同室のラミカが帰ってきていたようだ。

彼女を起こさないよう慎重に二段ベッドの上に潜り込むと、すぐに意識が途切れてしまった。


 そして夏休み明けの初日、私は二度の人生で初めての寝坊と遅刻を経験してしまうことになる。

 何故ラミカまで一緒に寝坊してしまったのかまでは、よくわからない。

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