夏合宿(三)

 もうすぐ陽が沈む。十日間の夏合宿が終わってしまう。


 終わってしまう、という言い方は適当ではないかもしれない。炎天下の走り込みで嘔吐おうとしたり、掌や足裏の水ぶくれが破れて血が出たり、打ち込みを受け損なって赤や青や紫のあざができたり、膝を何度も擦りむいたり、極度の疲労で胃が食べ物を受けつけなくなったりと痛いこと辛いことばかりで、ずっと早く終わってほしいと思っていたのだから。


 でも私にはやり残したことがある。ロット君を交えた三人での勝ち抜き戦で、私は一度もカチュアに勝っていないのだ。いくら彼女が強いといっても、その本人に毎日稽古けいこをつけてもらっているのだ。恩返しの意味でも自分の成長を見せたい、だからこのまま終わりたくない。終わってしまってはいけない。


 この日の二十九戦目、ロット君の猛攻をしのぎ切ったカチュアが擦れ違いざまに胴を薙いで決着がついた。さすがに達人エスペルトと名高いカチュアも疲労困憊こんぱいの様子で剣を杖にしている、真夏の大きな夕陽が校舎の陰に隠れようとしている。もうすぐ剣戟けんげきを続けるのは困難な時刻になるだろう。


「これで最後だね。行くよ、カチュア!」

「うん!」


 まだやるのかと抗議のきしみを上げる膝を叱りつけ、渾身の横薙ぎを見舞う。十字に噛み合った木剣が乾いた音を立てる。

 膝だけではない、体のあちこちが痛い。掌も足の裏も血だらけ豆だらけ、太腿も脹脛ふくらはぎも、お腹も胸も背中も全部筋肉痛。髪の毛や顔の皮膚さえ真夏の陽射しに焼かれてぼろぼろだ。


 たぶん剣術を修めることを目的とするならば、これはきっと効率の悪い修練なのだろう。体を痛めつければ良いというものではないし、このように体がうまく動かない状態で得られる技術は少ないのかもしれない。


 でも私は枝葉えだはの技術よりも細かい知識よりも、自分の柱となる確かな自信が欲しかった。既に達人エスペルトと呼ばれるカチュアや体格に恵まれたロット君にも負けない、遠くに羽ばたくための強い心と体。そのためにはこの二人でさえを上げるほどの修練に耐える必要がある、そう思ったのがこの合宿の始まりだ。


「くうううっ・・・・・・」

「んっ・・・・・・」


 カチュアの口から微かに吐息が漏れる。体格と腕力に劣るはずの私が少しずつ押し込んでいる、それほど彼女は疲労しきっている。

 でも初日はここから必勝の態勢を作ったにもかかわらず、奇術のような体捌たいさばきで投げ飛ばされてしまった。

あの時私は選択を誤ったのかもしれない。今度は必殺の一閃ではなく優勢を譲らない連撃でさらに相手を追い詰める選択肢を採ることにした。


「今度こそ・・・・・・今度こそ決めてやる!」

「くっ・・・・・・!」


 普段のカチュアの教え通り姿勢を崩さず、一太刀ひとたちごとに一歩ずつ足を運んで相手の退路を封じ、続けざまに木剣を繰り出す。

 連撃の七段、八段、九段目まで防がれたが、そこで大きく姿勢を崩したカチュアの木剣を巻き取り、ね上げた。剣を取り落とさなかったのはさすがと言うべきだが、これではいくら達人エスペルトといえど防御も反撃もかなわない。とうとう私の剣が彼女の体に触れ・・・・・・


「おい!そっちは危ねえぞ!」


 ロット君の声が聞こえたような気もするが、私達の足元にはもう地面が無かった。奇妙な浮揚感、次いで激しい水音。そういえばここが池の近くだったと気付いたのは、生ぬるい水の感触を全身に感じてからだ。


 力が入らない、水底の泥に足を取られる、どちらが上だかわからない。ロット君が力任せに引き上げてくれなければ、こんな足が着くような池でも溺れていたかもしれない。


「ふう・・・・・・ユイちゃん大丈夫?」

「お前さ、いつもは冷静なくせにカチュアが相手の時だけ熱くなるのな」


 全身ずぶ濡れのカチュアの顔に黒髪が貼りついている、ロット君も膝まで泥に浸かって仰向あおむけに転がっている。二人の声に何か答えようと口を開いたのだが、出てきたのは大量の池の水だけだった。

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