夏合宿(二)

 夏合宿初日。午後からはカチュアの指導の下で演武、藁束(わらたば)を使っての打ち込み。


 演武など儀式的なものだと思っていたけれど、カチュアのそれは澄んだ水が低きに流れるように自然で清らかで、ロット君も私も口を半開きにして見入ってしまった。


 初めて出会った時にも思ったものだが、人を傷つけ命を奪うための技がこれほど美しいとはどういう訳なのだろう。困難な道をきわめた者だけが放つ輝きなのか、それとも彼女自身が持つ清廉せいれんゆえなのか。私がこの域に達するには一体どれほどの修練が必要だろう、もしかすると一生を賭しても到達できないのではないだろうか。


「・・・・・・こんな感じかな。ユイちゃんもやってみる?」

「え、あ、うん」


 達人エスペルトかもす張り詰めた空気に少々気圧けおされてしまっていたが、これを試さない手は無い。カチュアの動きを真似て木剣を掲げてみたものの、いかに自分が未熟で雑な剣を振るっていたかを思い知らされることになった。


 カチュアの体捌きが清流だとすれば、私の動きなどよどみきった汚泥だ。乱れ、戸惑い、ただ棒切れを振り回しているようにしか見えないだろう。しまいには手を叩いて笑い転げるロット君をカチュアがたしなめることになった。


「ロット君、笑っちゃ駄目だよ」

「悪い悪い。こいつが不格好なところを見せるなんて、なかなか無いからさ」

「格好悪いことくらい自分でもわかるよ。次はロット君の番だからね?」

「お?俺もやってみるか?」


 だが。余裕ありげに挑戦したロット君もやはり似たような有様でお尻を突き出し足をもつれさせ、今度は声を押し殺して笑う私が二人に注意されることになる。

 さらにロット君と私が二人で行った演武に至っては混沌の極みに達し、手順を間違ったロット君が私の木剣を脳天に受けて、必死に笑いをこらえたカチュアが腹痛を起こすという結果に終わってしまった。




 短い休憩を挟んで、夕刻からは三人での勝ち抜き戦。

 一対一の対戦で勝った者が残り、負けた者が待機に回るため、勝ち続ける限り休みなく戦い続けることになってしまう。達人エスペルトと名高いカチュアでも十数回を勝ち抜くとさすがに疲労の色が隠せず、十五戦目には力任せに打ち込んだロット君があわや初勝利というところまで追い詰めた。


「次は私だよ、カチュア!」

「・・・・・・っ、来い!」


 正面からの袈裟懸けさがけを受け流そうとしたカチュアの動きが鈍い。足がもつれたのか刀勢を流しきれず、そのまま押し込む私の勢いに負けて大きくのけ反った。好機と見た私はさらに相手の剣を払いのけ、がら空きの胴に横薙ぎを一閃。これではいくらカチュアでも防ぎようがない、そう思った。


 だが。達人エスペルトの技は私の想像を超えていた。カチュアは左手一本に握った木剣で一瞬だけ私の斬撃を受け、半瞬だけ稼いだ時間のうちに身をひるがえして空を斬らせていた。こちらの剣先が僅かに背中に触れた気もするが、とうてい有効打と認められるような打撃ではない。


 そればかりかカチュアは迷いなく剣を手放し、私の手首をつかむと同時に体を滑り込ませてきた。

 何の前触れもなく視界が一回転する。軽々と担ぎ上げられ草の上に組み伏せられたと理解したのは、自分が仰向あおむけにだいだい色の空を見上げていると気付いてからだ。


「嘘でしょ?何なのこの強さ・・・・・・」

「ふう、さすがにもう駄目かと思ったよ」


 限界近くまで疲労したカチュアを完璧に追い詰めたというのに、こんな奇術のような技で逃れられるとは思ってもみなかった。一体何をどうすればこの達人エスペルトに勝てるというのか。

 ただ彼女が言うには、子供の頃の剣術試合で何度か負けたことがあるという。この日も二十一戦目でとうとうロット君に敗れ、常勝ではあっても無敗でないことが証明されたのが救いだった。


 剣戟けんげきの相手を変えること三十二回。結局私が勝つことは一度もないまま真夏の陽が沈んでいく。

 紫色の空にいくつかの星が瞬く中、最後にみんなで敷地を一周と軽く走り始めたまでは良かったのだが、やはり最後はカチュアと競り合って倒れ込んだ拍子に膝を擦りむき、「お前らいい加減にしろよ」とロット君に呆れられてしまった。




 限界まで体を使ったというのに、おなかが減らないし夕食が喉を通らない。

 疲労のせいで胃が食べ物を受け付けないのだろう。パンをスープに浸して必死に流し込み、何とか食べられそうな温野菜のサラダと果物ジュースを少しずつ口に入れる。


「辛くても食べなきゃ駄目だよ。明日動けなくなっちゃうから」


 カチュアの言葉は一見厳しいが、それは私の体を気遣ってのことだと理解している。夏合宿はあと九日間もあるのだ、無理にでも食事を摂らなければ途中で動けなくなってしまう。


「これくらいの訓練なら、カチュアは何ともないの?」

「ちょっと辛いけど、何とかなりそうかな」


 ちょっと辛い、という言葉に少し安堵あんどした。彼女は剣の達人ではあっても超人ではなく、私と同じ十五歳の女の子のはずだから。食事の量も動作も普段と変わらないように見えるけれど、きっと疲れているはずだ。そう思うことにした。


「じゃあ、次は地下の訓練場で」

「うん。少し休んだら行くよ」




 一抱えほどもある巨大な石英の結晶、私の背丈ほどもある砂時計、人間がすっぽり入れるほどの透明な箱。地下にある二つの訓練施設のうち、こちらは魔術の訓練に特化した施設だ。

 二十歩四方もある薄暗い部屋に人影が一つ。先に来ていたカチュアが懸命に石英の大結晶に手をかざしているが、彼女が望む変化は表れないようだ。首を傾げ、さらに力を込めて念じても一向にその変化は訪れない。


「天に瞬く光の精霊、来たりて闇を照らせ。【照明ライト】」


 横から手を伸ばした私が詠唱とともに手をかざすと、大結晶がぼんやりと白い光を発して部屋が明るくなった。


「どうして?何が違うんだろ?」


 カチュアが不満げに口をとがらせるが、彼女に魔術を教え始めてまだ百日と経っていない。私だってこの【照明ライト】の魔術を習得するまでに一年半を要したのだ、そう焦るものでもない。


「すぐに出来るものでもないよ。まずは基礎練習から始めよう」


 魔術の才能がある者は千人に一人と言われているし、その訓練は成果が目に見えるようになるまで非常に長い時間を要する。簡単な生活用の基礎魔術が使える程度の者でさえ重宝ちょうほうされ職に困らないというのに、大抵の者が自分には才能が無いと決めつけ諦めてしまうのはそのためだ。


「精霊は見るんじゃなくて、感じるものなんだ。私が箱の中の精霊を操作するから、なんとなく動きを感じてみて」


「見えないからって精霊の存在を疑っちゃ駄目だよ。見えないだけで、確かにそこにあるものだから」


「箱に手を入れてみて。火の精霊を集めたから少し温かくなってきたのがわかる?」


 これらの説明は授業や魔術書の受け売りばかりだし、カチュアがよく理解できていないのも伝わってくるけれど、それでも懸命に言葉を探す。


 わかっているのだ、この合宿がほとんど私のためであることが。既に達人エスペルトの域にあるカチュアが、多少の訓練を積んだところでさらに強くなれるはずがない。彼女は自分のことを後回しにして剣術を教えてくれているのだ、その恩を少しでも返すためには私も誠意を尽くすしかない。


 今日の夜空には紫色と銀色、二つの月が浮かんでいるはずだ。『双月ルミナス』と呼ばれるこのような夜は月明かりの下で本を読めるほど明るく、大人達は月をさかなに飲み歌い、子供達も夜更かしを許される日とされている。だからという訳でもないだろうが、二人の時間は二色の月が真上に上るまで続いた。




 もう駄目だ、もう動けない。そうつぶやきつつ自室の扉を開けた途端、その言葉を裏切るかのように飛び上がってしまった。


 紫色の月明かりが照らす部屋の中央に黒い人影がある。それも天井から吊るされている!?


 慌てて入口の水晶球に手を触れると、十歩四方の狭い部屋に白い光が満ちた。不審な人影の正体が明らかになると、私は下品にも舌打ちしそうになってしまった。


「ラミカめ・・・・・・」


 部屋の中央に吊るされていたのは、彼女が愛用している牛の着ぐるみだった。それも洗濯した後の絞り方が甘かったのか、ぽたぽたと水滴が落ちて床に水たまりができている。


 文句を言おうにも彼女は夏休みで帰省中だ。もはや着ぐるみを絞る手間も二段ベッドの上にい上がる体力も惜しくなった私は、ラミカが使っている下のベッドに倒れ込んでしまった。枕からはいつも彼女が手放さない、芋を揚げたお菓子の匂いがした。

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