夏合宿(一)

 濃い青に一筋だけ刷毛はけで白い絵の具を引いたような空。一年で最も暑い季節、今日から私達の夏合宿が始まる。


 とはいえこれは正式な科目でも何でもなく、十日間だけの夏休みでは帰省もままならない留学生のカチュアと、田舎いなか村出身の私が勝手に計画したものだ。早朝だというのに刺すような陽射しの下で体を伸ばしていると、女子寮から定刻通りに黒髪の女の子が現れた。


「おはよう、カチュア。いよいよだね」

「うん。ロット君はまだ?」

「朝食の後から一緒にやるって。朝が弱いから」

「ふうん。じゃあさっそく行こうか!」


 ジュノン軍学校の敷地は広く、校舎の他に屋内競技場、魔術実験棟、男子寮、女子寮、資材庫、警備員詰所などの建物が点在している。屋外施設に至っては各種訓練場、公園の中には森や池まであり、小走りに一周しただけで軽く汗をかくほどだ。


 正門の守衛さんに学生証を見せて敷地の外へ。まだほとんど人影のない市街地を抜け、土の匂いが濃い森の小道を通って、五百段あるいつもの石階段へ。


 今日は夜まで訓練だから競争はやめておこうね、うんわかった。などと示し合わせつつ軽く石段を駆け上がっていたのだが、結局最後にはり合いになってしまい、二人揃って草の上に転がる羽目になった。


「ふう・・・・・・ユイちゃん負けず嫌いなんだもの」

「はあはあ・・・・・・カチュアがそれ言っちゃう?」

「でもまた速くなったね。【身体強化フィジカルエンハンス】の魔術は使ってないんでしょ?」

「うん。さすがに魔術まで使っちゃうと夜までもたないもの」


 流れる汗をそのままに校舎に戻り、頭から水を浴びて食堂へ。私達にしては少し遅いくらいの時刻だが、座っている生徒は普段の三分の一といったところだろうか。生徒のうち半数ほどは帰省していると聞くし、十日間の休みとあって外出している者も多いようだ。


 朝食を済ませて再び外に出ると、手持ち無沙汰ぶさたというていでロット君が待っていた。公園の池のほとり、森と芝生の境目、私とカチュアが「いつもの場所」と呼んでいるだけの何もない場所。


「おう、遅かったな」

「ごめん、ちょっと寄り道しちゃって」

「遅刻は駄目だぞ、遅刻は」

「ロット君がそれ言っちゃう?」


 ロット君とはちょっとしたいさかいが原因でしばらく話をしていなかったけれど、先日の中間試験がきっかけでまた軽口を叩けるようになったのが嬉しい。

 にやにやと変な笑いを浮かべつつ放り投げてきた木剣を受け取る。ずしりと重い。いつも私が使っている細身の木剣ではなく標準の品、こちらの方が訓練になると思って彼にお願いしてあったものだ。


「素振りはお互いの姿勢がわかるように三人で向かい合ってやろう。遅れてもいいから一本一本丁寧に、自分が思い描いた軌道と実際の太刀筋たちすじがどう違うかを意識して」


 カチュアの指導はいつも的確でわかりやすく、剣術は素人しろうと同然だった私もこの百日余りで大きく成長したと感じている。だが体の方はそうもいかないようで、重い木剣と刺すような陽射しですぐに体力が奪われてしまう。基本となる動作の素振りを百回ずつ三種類こなしたところで、早くも私は荒い息をついて木剣を杖にしてしまった。


「最初から無理しなくていいんだよ。五十回ずつにしようか」

「それは駄目。二人と同じようにやらなきゃ」

「お前って本当に意地っ張りだよなあ」


 体力的にも技術的にもカチュアやロット君に遠く及ばないのは承知しているが、だからこそ追いつかなければならないと思う。絶望にとらわれかけた幼少期を抜け出してようやくたどり着いた学舎まなびやだ、この木剣の一振り一振りさえも無駄にはできない。


「五十一!五十二!」

「ユイちゃん、急にどうしたの?」

「話しかけないで!五十三!」


 お腹の底から声を出して頭を麻痺まひさせなければ、到底最後までやり遂げることはできなかっただろう。カチュアとロット君に遅れること数分、ようやく千回の素振りを終えた私はまたしても草の上にひっくり返ってしまった。


「無理しても急には強くならないよ。毎日続けられるくらいの量でないと」

「お前さ、俺には無理するなって言っておいて自分はやるのな」

「わかってる。でも今は、今こそできる限りのことをやらなきゃいけないの」


 前世の記憶はすっかり朧気おぼろげになってしまったけれど、これほど何かに打ち込んだことは多分無い。勉強も部活も仕事もそれなりにこなして無難な人生を歩んでいたはずだった。それがどこでどうなったのか、幾度かの不運や挫折が積み重なって自ら命を絶つに至ったようだ。


 でも私は、この子は、辛い境遇にも折れることなくたゆまぬ努力を重ねてきた。体は小さく細くとも剣術や魔術という力を身に着け、しいたげられても、裏切られても、おとしいれられても、生き延びて今ここに在る。この上ない環境で剣術と魔術に打ち込める今この時を逃すわけにはいかない。


 それに私は、この時間が長く続かないことを知っている。たった二年、いや、あと一年半。この身に本当の力をたくわえて、今度こそ不幸や不運に負けず遠く羽ばたくためには時間が足りないのだ。


 だから、こうして休んでいる暇など無い。したたる汗をそのままによろよろと立ち上がる私を見て、カチュアとロット君は顔を見合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る