十五歳の学園生活(四)

 一年で最も昼が長いこの季節、早朝のお仕事を終えて外に出る頃にはすっかり陽が上っている。


 普段この時間は一人で学校の敷地を軽く一周するのだが、この日は既にカチュアの姿があった。石を敷き詰めて作られた池のほとり、木漏れ日が差す小さな森のそば。私達が「いつもの場所」と呼んでいるだけの何もない場所。


「あれ?今日は早いね」

「うん、なんだか目が覚めちゃって。さっそく練習始めよう」

「それもいいけど、ちょっと走らない?カチュアに見せたい場所があるんだ」


 二本の模擬剣を木に立て掛け、小走りに運動場の外周を回って敷地の外へ。市街地に背を向けて小麦畑を横切り、土の匂いが濃い森の小道を抜けると、古い石造りの階段にたどり着いた。


「町の中なのに、こんな場所があったんだ?」

「驚いたでしょ?この前走ってたら見つけたんだ」

「見せたい場所ってここ?」

「正確にはこの上かな」


 揃って見上げると、二人並んで両手を広げたよりも広い幅の石段が天まで続くかのようにそびえている・・・・・・とは大げさかもしれないが、ここからでは頂上が見えないほどの長さがある。


「何段あるのかな」

「ちょうど五百段」


 問いに答えてちらりと横を見ると、やはりカチュアの黒い瞳もこちらを向いていた。これだけで互いの思いが伝わるほど私達は同じ時間を過ごしている。


「よし、行くよ!」

「うん!」


 同時に地を蹴って石段を駆け上がる。アカイア市にいた頃の私は痩せ細ってろくに走ることもできなかったけれど、この軍学校に入ってからの百日ほどで体つきも顔つきまでも変わってきた。十分な食事と充実した訓練のおかげで体が軽い、今では石段を二段飛ばしに駆け上がることもできる。


 でも、それでもカチュアの背中は遠かった。しなやかに鍛え上げられた肢体の発条ばねを利かせ、天馬ペガサスが空を翔けるように軽々と体を運んでいく。


「ユイちゃん!」


 十数段先を駆けながら、黒髪の女の子は私を振り返った。


「おいでよ、私のところまで!」

「カチュア・・・・・・」


 胸が苦しい。足が重い。汗が頬を伝う。

 最初からわかっていた。幼い頃から厳しい訓練を積み、戦場で命のやり取りを重ね、十五歳にして達人エスペルトの域に達した彼女にかなうはずがないことは。

 でも好敵手ライバルを名乗るからには何であれ負けるわけにはいかない、そして相手もそれを望んでいる。私は腰帯に差していた短杖スタッフを引き抜き、ひと振りした。


「内なる生命の精霊、我に疾風のごとき加護を。来たりて仮初めの力を与えたまえ!【身体強化フィジカルエンハンス敏捷アジリティ】!」


 学校から借りている安物の短杖スタッフが微かに白い光を放ち、私の体を包み込む。両足に力が満ちる、翼を得たように体が軽くなる。石段を三段飛ばしに駆け上がる。


身体強化フィジカルエンハンス敏捷アジリティ】の魔術は、百秒間だけ敏捷性を大幅に向上させる。それでも十数段の差がなかなか縮まらないのは、たぶん私の心の問題。カチュアに勝てるはずがないという思いが心のどこかに残っているからだ。だから私は宣言した。


「負けない!貴女あなたにだけは!」

「望むところだよ!」


 共に空まで駆け上がらんと体を跳ね上げる、黒髪の背中が手が届かんばかりに迫る。

 あのカチュアが顔をゆがめ、玉の汗を散らし、激しく息を弾ませている。私の隣で、私と競うために、私だけのために。それがたまらなく嬉しい。

 体力も気力も全て振り絞ってとうとう親友に肩を並べた・・・・・・と感じる直前、不意に階段が途切れた。力尽き姿勢を崩した私達は、二人揃って草の上に身を投げ出してしまった。


 ただ息を吸い込み吐き出すことに精一杯で、しばらく起き上がることもできない。ようやく身を起こすと目の前に手が差し出された。女の子らしく白くて細いけれど、握ってみると豆だらけ傷だらけで硬い掌。


「あーあ、もうちょっとだったのに」

「楽しかったね。また明日もやろう」

「こんなの毎日やったら、魔術の授業に差しつかえちゃうよ」


 カチュアに助け起こされて向かったのは、ところどころ大きな石が転がる丘の頂上。ひときわ大きな石をくり抜いた穴の中に、こけにまみれた小さな像がまつられている。

 エルトリアで広く信仰されている運命の女神アネシュカ様の像。私はその足元に一ペル銅貨を置くと、両手を合わせて一礼した。


「何してるの?」

「何となく。こうすると願いがかなう気がしない?」

「そうなの?よくわからないけど」


 カチュアも私にならい、一礼を済ませて振り返った。朝焼けの下にようやく目を覚ましたジュノンの町と軍学校が一望できる。


 もしこの風景を絵画に描いたとすれば、題名を「希望」と名付けるだろう。私は自分の将来が可能性に満ちていることを感じて、現在と未来を胸いっぱいに吸い込んだ。

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