十五歳の学園生活(二)

 まだ夕刻と言うには早い放課後の教室。いつもならカチュアに魔術を教える時刻なのだが、この日はまだやる事があった。


「バカ」「カス」「ブス」等々、机に書かれた語彙ごいとぼしい落書きの数々を消さなければならない。魔術の勉強、剣術の習得、動力供給の仕事、図書室での読書とやる事が山積みだというのに、こんな事で時間を浪費するなど全くもって馬鹿馬鹿しい。


 魔術は一般の人々から見れば奇跡のように思われるけれど、決して万能ではない。例えば色とりどりのクレヨンで書かれたこの落書きを瞬時に消す魔術は存在しないのだ。だからこうしてお湯にひたした布で時間をかけてぬぐわなければならない。


 入口のあたりで物音がした。誰かが入って来ようとして私に気付き、立ち止まったようだ。


「あっ・・・・・・」

「なあに、リース。入っていいよ」


 腰まで伸びた長い黒髪が印象的な女の子は、おどおどとこちらの様子をうかがいながら教室に入り、自分の席からノートを取り出した。どうやら忘れ物を取りに来たようだ。


「リース、落書き消すの手伝ってくれない?」

「あ、うん・・・・・・」


 リースはやはりこちらの様子をうかがいながら、小さな手で机の文字をぬぐい始めた。


「ねえリース、あなたはこんな落書き書いて楽しかった?」

「わ、私はこんなの書いてない・・・・・・」

「アシュリー達が書いているのを見てたんだよね?なら止めてほしかったな」

「・・・・・・ごめんなさい」


 この子はいつもアシュリー達と一緒にいるけれど、積極的に悪口を言ったり嫌がらせをしてくる訳ではない。こうして一対一で向かい合えば、むしろ弱気でおとなしいくらいだ。普段の授業態度に目立ったところはなく、成績も私がいなければ最下位だろう。


「本当はこんな事したくないんでしょ?アシュリーが怖いから従っているだけだよね」

「アシュリーは留学生だし・・・・・・」

「だから何?」

「その・・・・・・私にも事情があるし・・・・・」

「事情?良かったら聞かせてくれない?」


 気弱な少女は机を拭く手を止めずに、小さな声で少しだけ事情とやらを話してくれた。


 リースは魔術の名家に生まれたが才能に恵まれず、厳格な両親の下で劣等感にさいなまれて育ったそうだ。なんとか最低限の魔術は身に着けたものの王立魔術学校に入れるほどの力はなく、この軍学校に入ってもやはり伸び悩み、このままでは卒業できるかどうかもわからない。もし留年でもしてしまえば家名に傷をつけてしまう、厳しい両親に何と言われるか分からない・・・・・・


「だから力のあるアシュリーと一緒に、私をいじめれば気がまぎれる?」

「そんなことは・・・・・・」

「嫌ならやめなよ。親だとか家だとかに関係なく、自分の力で生きてみなよ」

「ど、どうやって・・・・・・?」

「それを自分で考えるってこと。自分がしたことが恥ずかしいならやめればいいし、嫌なら嫌だと言えばいい。他人に流されないで、自分で決めるんだよ」

「わ、私・・・・・・ユイちゃんみたいに強くないから」


 場に耐えられなくなったか、リースはノートを拾い上げて急ぎ足で出て行こうとした。そこにもう一人が現れたのは偶然ではない、誰かが様子をうかがっていることに私は気付いていた。話を聞いて機をはかっていたこと疑いようがない。


「あれえ?リース、泣いてるの?ユイちゃんに泣かされちゃった?先生呼んで来よっか」

「ち、ちが・・・・・・」


 綺麗にかれた栗色の髪を揺らし、ぷっくりと可愛らしく膨らんだ唇に薄笑いを浮かべて入ってきたのはカイナ。アシュリーの取り巻きのうちの一人だ。


「どうしたのカイナ、落書き消すのを手伝いに来たの?」

「どうして私が?そんなの知らないもの」


 机を拭きながら横目でにらみつけたが、カイナは薄笑いを浮かべたまま。

 この子は私の見るところ、どうも得体えたいが知れない。勉強している様子もなく成績は中の下、魔術の才も目立ったものではないが、先輩や剣術科など複数の男子生徒と浮名うきなを流している割には決まった相手がいない。かといって遊んでばかりの割には妙に要点を押さえているようにも見える。


 それに肝がわっているとでも言うのか、こうしてにらみつけても動揺の欠片かけらも見せない。妙に自信にあふれ、世の中全てを見下しているような傲慢ごうまんささえ感じられるのだ。そういった意味ではアシュリーよりもよほど性質たちが悪い女なのかもしれない。


「行こう、リース」

「う、うん・・・・・・」


 きびすを返したカイナを、リースが慌てて追いかける。


 他人に流されるな、自分の力で生きろとは、十五歳の女の子には少しこくな話だろうか。でもそれはリースにとって大事なことだ。彼女自身が考えて答えを出さなければならない時が、近いうちに必ず来るはずだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る