巡見士フェリオ(一)

 早く起きなければ。

 身支度をして、いつもより一本早い電車に乗って、上司より早く出社して掃除を済ませなければ。掃除ぐらいやっとけよ使えねえな、と嫌味を言われてしまう。


 ・・・・・・違った、今の私は十五歳の女の子だった。


 早く起きて、両親が散らかした食器を洗って、牧場で牛に餌を与えなければ。牧場主が起きてきたとき牛舎の掃除が終わっていなければ、殴られた上に給金をもらえなくなってしまう。


 ・・・・・・違った、私は両親の元から逃げてきたのだった。

 じゃあ今の私は何をすれば良いのだろう。起き上がって何をすれば良いのだろう?


 ぺちんと顔に何かが当たった。


「おねえちゃん、おきないね」

「クリア、叩いちゃ駄目よ。お姉ちゃんはまだ眠たいの」

「おねぼうさんなの?」

「お姉ちゃんはたくさん頑張ったから、たくさん寝ないといけないの」

「あ!おきた!」


 柔らかい寝台、柔らかい毛布、柔らかい手。

 見知らぬ場所だが、白い石壁と外の風景からして教会の一室だろうか。


「アメリアさん?クリアちゃん・・・・・・?」

「ユイちゃん、起きたのね。具合はどう?」

「・・・・・・痛いです。体じゅうが」

「そうね、ずいぶん無理しちゃったものね。でもありがとう、みんなユイちゃんのおかげで助かったのよ」

「そうだ、ロット君は!?ロット君は無事ですか?」

「あの子も無事よ。たいした怪我じゃないって」

「そうですか。よかった・・・・・・」

「何も心配することはないわ。ゆっくり体を休めてちょうだいね」


 アメリアさんが木のコップに注いでくれた水を飲もうとしたが、右腕が上がらない。仕方なく体をひねって左手で口まで運んだ。すっかり乾ききった体に水がよく染みる。

 彼女の話によると、私はあれから丸一日ずっと眠っていたそうだ。村の中にいた小鬼ゴブリンは残らず自警団に追い返され、討伐隊も帰ってきて一息ついたところだという。


「そういえば、あの時私を助けてくれた方をご存じですか?」

「あ、そうそう。ユイちゃんが目覚めたら教えてくれって言われてたの。来てもらってもいいかしら?」

「え?あ、はい。構いませんが」




 やがて部屋に入って来たのは、確かにあの声の人だった。

 年の頃は二十代後半だろうか。少し青みがかった鉄灰色の髪、笑うと見えなくなるような切れ長の目、中背の引き締まった体、清潔だが華美ではない薄手の衣服。容姿だけでも異性をきつけるものを感じさせるが、おそらくこの人の真価は外見ではない。厳しい修練に基づく自信、不断の努力と経験で得た知識、満ち足りた生を送っているという充実感、そういった諸々がにじみ出ているのだ。


 有体ありていに言ってしまえば「素敵な年上の男性」だ。私はこの時、初めて異性というものを意識してしまった。ある程度「俺」の記憶が残っている身としては感情を整理しきれない。


「ユイ君だね?巡見士ルティアフェリオだ。失礼するよ」

「フェリオさん、ですね。先程はありがとうございました」


 そんな感情に加えて寝起きという事情もあって、私は少しぼんやりしていたかもしれない。丸一日寝ていたなら「先程」ではなく「先日」が正しいし、「巡見士ルティア」という耳慣れない言葉も聞き流してしまった。


「ユイ君、立派な戦いだった。村の人達も感謝していたよ」

「いえ、フェリオさんが助けてくれなければ死んでいました」

「あの時は遅れてすまなかった。別の拠点にいたのでね」

「フェリオさんは自警団の方なのですか?」

「いや、この村には三日ほど前に来たんだ。少し説明する必要がありそうだね」


巡見士ルティア』とはエルトリア王国の役職で、その名の通り国内外を巡って国王に情勢を報告する仕事だという。ここカラヤ村には小鬼ゴブリン討伐に来たエルトリア中央軍の素行を調査しに来たらしい。

 軍の行動や印象、小鬼ゴブリン討伐の経緯、村の噂などについていくつか質問されたが、つい先日村に来たばかりの私に答えられるようなものは無かった。


「お役に立てず申し訳ありません」

「いや、いいんだ。怪我をしているところ悪かったね」


 フェリオさんが腰を上げようとした時、ばたばたと無遠慮な足音がして扉が開かれた。

 鎧がなくても正規軍とわかる格好の二人を伴って入って来たのは、あの話の長いちょび髭の隊長さんだ。私に何か用があったのだろうが、フェリオさんを見て文字通り飛び上がるほど驚いた。


巡見士ルティア殿、どうしてこのような所に!?」

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