カラヤ村防衛戦(六)

「ロットにいちゃん!おにいちゃん!」


 二階から悲鳴が降ってきたが、地に転がった若者は小さくうめいただけで起き上がることもできない。

 私のせいだ。私が無力なせいで、親切にしてくれた人達を悲しませてしまう。


 食人鬼オーガーは私に興味を失ったのか、新しい獲物にゆっくりと近づいていく。棍棒でとどめを刺すつもりだろうか。それとも、それとも、その名の通りロット君を食べてしまうつもりだろうか。


 動かなければ。いま行かなければ、本当に取り返しのつかないことになってしまう。なのに激痛と恐怖で全身が震えて動けない。


「うう・・・・・・ああああああああ!!」


 私は人差し指を自分の頭に向け、【苦痛ペイン】の魔術を発現させた。全身の激痛に頭が割れるような痛みが加わる。痛みを新たな痛みでごまかすなど無茶には違いないが、もう他にできる事がない。血が噴くほど歯を食いしばっていびつな女神像を振り回した。


 最初の一撃こそこちらの勢いが上回って脇腹のあたりを打ちえたものの、繰り返すうち次第に力が入らなくなってきた。ロット君から引き離すことはできたが、もう女神像を杖にして立っているだけで精一杯だ。


 食人鬼オーガーは血まみれの顔に残忍な笑みを浮かべた。もう私に力が残されていないことがわかるのだろう。ここまでか、いくら何でも体格が違いすぎた。いくら何でも・・・・・・


「体格が、違い、すぎた・・・・・・?」


 私は今更ながらに「女性のための剣術教本」の一文を思い出した。


『女性剣士は多くの場合、自分よりも体格や筋力に優れる相手と戦わなければならない。それらは戦闘において重要な要素ではあるが、勝敗を決定づける絶対的なものではない。場所、武器、技術、戦術、精神状態、損傷部位などを把握し自在に操ることで十分に勝機を見出みいだすことができる。本書はそれらを紹介し、貴女あなたの勝利に貢献することを目的とする・・・・・・』




 私はふうっと大きく息を吐きだした。


身体強化フィジカルエンハンス】の残り時間は十五秒ほどだろうか。その中から貴重な五秒を使って呼吸を整えた。


 原型をとどめないほど折れ、凹み、曲がり、血に濡れた女神像の足首を持って正眼に構える。足の指で地面を掴み、少しずつ間合いを詰める。さらに詰める。鬼の間合いに入る。棍棒が無造作に、だが力強く振り下ろされる。女神像がそれを迎え撃つ。


「体格に優れる敵手と正面から打ち合ってはならない、相手の呼吸を外すことが肝要である。呼吸を外すとは・・・・・・」


 私は寸前で手の内を緩め、武器を引いた。衝突の相手を失い宙に流れた棍棒を軽く払うと、それは角度を変えて地を穿うがった。


「呼吸を外すとは、敵手が予測したであろう打点とは異なる空間、異なる瞬間で武器を合わせることである」


 がら空きの胴の横を駆け抜け、女神像を一閃。既に渾身の一撃を放てるほどの力は残っていなかったはずだが、ぐしゃりと胸骨が砕ける感触が手に伝わってきた。


「さすれば力は行き場を失い、強大であるほど大きな隙を生むであろう」


 私は小さくつぶやくと、女神像を手放して膝から崩れてしまった。明らかな致命傷にも関わらず、食人鬼オーガーはごぼごぼと血泡を吹きながらも棍棒を持ち上げる。


 身体強化フィジカルエンハンスの効果時間が終わったようだ。もう私には指一本を動かす力も残っていないが、この化物も遠からず倒れるはずだ。私がこのまま潰されても村は、カイルさんの家族は助かるだろう。今までの苦労と努力が無に帰すのは悔しいし、まだ恩を返していない人達がたくさんいるのに申し訳ないけれど、昨日のスープの恩を返すことくらいはできただろうか・・・・・・




 ごん、と音がした。

 あ、死んだ。と思った。

 目を開けると、鬼の首が目の前に転がっていた。


「遅れてすまない、よく頑張ったね」


 聞き覚えのない声。逆光で顔もよく見えないが、自信に満ちた力強くて優しい声だ。

 何がどうなったのかわからないが、もはや顔を動かすこともできない。


 もういいや。少し、休ませてもらおう。

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