絵本の中の食卓

 しかし世の中そう甘くはない。宿屋、鍛冶屋、道具屋、細工屋、街外れまで足を運んで牧場、農場など手当たり次第に訪ねてみたが、雇ってくれる場所はなかった。


 ただ村の人達はみな優しく、行く先々で水やお菓子などをもらえたのは嬉しかったし、農場では収穫の時期にまた来てくれと砂糖きびで甘く味付けされた水まで頂いた。

 アカイア市に比べるとずいぶんと小さなここは、カラヤという村らしい。農耕と牧畜、僅かに石炭を産するだけの長閑のどかな村だという。村の広場に仕事の募集や各種案内などを貼り出す掲示板のようなものがあると聞き、そこに向かうことにした。


「西の水路補修 作業員募集中」

「エルトリア王国中央軍の皆様滞在中 失礼のないように」

「接客係募集 コロネ酒場」

「正規軍のゴブリン討伐に同行する雑用係募集 カラヤ村自警団」


 開けた場所に数軒の店と屋台が並び、中央の大木にいくつか木製の看板が掛かっている。これが掲示板の代わりだろう。

 既に陽は傾きはじめている、夜になるまでに何としても今日のかてを得なければならない。水路補修の作業員は体力がないので論外、酒場には今の私の衛生状態では入ることさえためらわれる。

 ゴブリン討伐の雑用係とはどのようなものだろうか?食事の支度や武器の手入れくらいならできるし、おそらく行動中の食事も保証されるだろう。

 駄目で元々だ、まずは行ってみよう。屋台で麦酒エールをあおるお爺さんに自警団詰所の場所を聞き、真新しい土壁の建物の扉を開けた。


「あの・・・・・・雑用係に応募したいのですが」

「む?おお、入っていいぞ。そこに掛けてくれ」

「はい。失礼します」


 精悍な中年男性にうながされ、向かい合わせの椅子に座った。部屋の奥では事務員らしき女性が資料の整理をしている。


「軍の雑用係だね?よく来てくれた」

「はい。詳しいお話を聞きたいと思いまして」

「アカイアから派遣された正規軍が明日、小鬼ゴブリンという妖魔の巣に向かう。彼らの食事の用意、荷物の運搬、負傷者の手当てなどの仕事だ。できそうか?」

「はい、あまり重い荷物は持てませんが・・・・・・」

「無理なことは言わん、食事の用意だけでも助かる。明日の早朝にち、順調にいっても帰りは夜になるだろう。報酬は三百ペルだ」

「あの、道中の食事は頂けるのでしょうか?」

「無論だ。食材もこちらで用意する」

「よかった・・・・・・是非お願いします」

「私は自警団長のカイルだ。名前は何という?」

「ユイと申します」

「ではユイ、明日の日の出までに広場に来てくれ。よろしくな」

「はい!ありがとうございます!」


 勢いよく立ち上がった私だが、その途端に膝から崩れ落ちてしまった。よかったこれで助かった、と気を抜いたのが悪かったのだろう。椅子を支えにしてもう一度立ち上がろとうとするが、手が震えてしまい体に力が入らない。

 駄目だ、このままでは明日の仕事ができないと思われてしまう。おいどうした、大丈夫か、という声が聞こえたような気もするが、天井がぐるぐると回り、そのうち声も聞こえなくなってしまった。




 ・・・・・・これは何だろう、なぜ私は温かい部屋で食卓を囲んでいるのだろう。


 目が覚めたのは自警団長カイルさんの家だった、らしい。疲労と空腹のあまり気を失ってしまった私をカイルさんと事務員さんが運んでくれたのだという。

 六歳のシエロくんと三歳になったクリアちゃんが水を飲ませてくれて、私と同い年だというロットくんが仕事から帰ってくるのを待ち、奥さんのアメリアさんが作った夕食を頂くことになった、らしい。

 柔らかな光が漏れる暖かい家庭、どこかでこんな光景を見たことがあるような気もする。おそらく現実に経験したものではない、本や映像で見たものだろう。なんだか絵本の中の世界にいるようで落ち着かない。


「俺」が知っている食卓はこうではなかった。父はくちゃくちゃ音を立てながらテレビの中の政治家や犯罪者にひたすら文句を言い、それを聞いた母が舌打ちする。「俺」は早く食事が終わるように黙々と箸を運び、早々に席を立つ。

「私」の昨日までの食卓はもっと酷かった。いや、あれを食卓とは呼ばないだろう。なにしろ両親が安酒を飲み粗末な料理を食べ終わるまで自室で息をひそめ、終わった頃を見計らって食器を片付ける際に残り物を口に運ぶのが私の食事だったから。




 でも今、私の前に絵本の中のような世界が広がっている。ランプの灯りに照らされた明るい木目のテーブル、清潔な若草色のテーブルクロス、真っ白い陶器の深皿にはかぼちゃのスープ、大皿にたくさん盛られた焼きたてのパン。

 いったい何がどうなったのだろう。いつどうやって私はこれを手に入れたのだろう。いや、もしかしたら全て私の妄想で、一口食べれば何もかも消えて無くなり、元通りあの冷たく暗い家の片隅でうずくまっているのではないだろうか。


「さあどうぞ。ユイちゃんもたくさん食べてね」

「いきなり食べすぎると体を壊すぞ。ゆっくりな」

「いただきまーす!」

「どうした?冷めてしまうぞ」


 あ、はい。と返事をして、木のスプーンでかぼちゃのスープをすくった。震える手で恐る恐る口に含んでみる。

 甘い。温かい。甘くて、温かくて・・・・・・思わず顔を伏せ、両手で覆ったせいでスプーンを落としてしまった。綺麗なテーブルクロスを汚してしまって申し訳ない。

 でも、指の隙間から涙がぼろぼろとこぼれ落ちて止まらなかった。隣の高い椅子に座っていたクリアちゃんが心配そうにのぞき込んでくる。


「おねえちゃん、どうしてないてるの?」

「何でもない、何でもないよ・・・・・・」

「だいじょうぶ?」

「うん。おいしくて、びっくりしたの」

「そうだよ!おかあさんのスープはおいしいんだよ」

「そうだね。本当に、おいしいね・・・・・・」


 左手で目をこすり、右手でスプーンを拾い上げて、ようやく私は二口めを口に運ぶことができた。

 かぼちゃのスープも、焼きたてのパンも、温かい部屋も、心配そうにのぞき込む人達も、消えて無くなりはしなかった。

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