私の人生はここから始まるんだ(三)

 早朝、ギルドの前の道端にうずくまる私を起こしてくれたのはレナータさんだった。


 簡単に事情を伝えると職員休憩室に通され、部屋の隅で休ませてもらえた。ギルド長が来たら対応を検討するとの事だったが、もう私には結論が見えている。

 その時のための準備を整えると、やはり疲れていたのか、いつしか眠ってしまったようだ。再びレナータさんに起こされ、ギルド長の部屋に向かう。


 アカイア市はここエルトリア王国中央部の中核都市だけあって、この施設は他町の小規模ギルドの機能を集約してもいる。常時二十名余りの職員を抱えるほどだが、その長は無気力を絵にかいたような印象の人物だった。


 灰色の制服に灰色の頭髪をした無表情な老人は、無感動にこう告げた。


「あー。ユイ・クレイマー、同行者を傷害せしめたことは間違いないね?」

「はい」

「では協調性に難ありと認め、内規違反により除名処分とする」

「わかりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 思った通りだ。ラゴスさん達が戻ってきて嘘を並べ立てたに違いないが、あちらは何度も依頼を果たした実績のある三人、こちらは登録を済ませたばかりの新人一人だ。証言の信憑性しんぴょうせいに差がありすぎる。


「レナータさん、いろいろお世話してくれたのにご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません」


 私はギルドから借り受けた小剣と革鎧、厚手の衣服を受付のカウンターに乗せた。

 これら借り物を丁寧に手入れする時間があったのは幸いだった、衣服は少々汚れたままだが洗う場所が無かったので許してほしい。


「ユイちゃん、待って!」


 深々と一礼した私をレナータさんが呼び止めた。カウンターから走り出てきたかと思うと力いっぱい抱き締められ、私は息が詰まった。


「ごめんね、ごめんね、力になってあげられなくて・・・・・・」

「いえ、私が悪いんです。ラゴスさん達に怪我をさせたことは事実ですから」

「ユイちゃんが悪いんじゃないのにね。こんなの許せないよね・・・・・・」

「はい。でも・・・・・・」


 私の頭を強く抱きかかえたまま、震える声で彼女は謝り続けた。


「辛い思いをさせちゃって、ごめんね、ごめんね・・・・・・」

「私は大丈夫です。だい・・・・・・っ・・・・・・うう・・・・・・」


 大丈夫なわけあるか。私が悪いわけあるか。辛くて苦しくて一回死んで、また辛くて痛いだけの日々が続いて、それでも諦めず努力して努力して、ようやく光が見えたと思ったのに。また人に裏切られて、おとしめられて、なのに私が悪いという。今度こそ、今度こそ私の人生はここから始まるんだ、そう思ったのに。


 柔らかくていい匂いがするレナータさんの胸で泣いた。服のしわが戻らないほどしがみついて。


 最後に泣いたのは八年前だ。空腹に耐えかねて店先のパンを盗んでしまい、走りだそうとしたとき目を回してそのまま倒れてしまった。気が付くとパン屋さんの家の中で、看病してくれた奥さんはもう一個パンをくれた。私は泣きながらそれを食べて何度も何度も謝り続け、もう何があっても二度と人のものは盗まないと誓った・・・・・・。


「ねえユイちゃん、私の家に来ない?」

「・・・・・・いえ、これ以上ご迷惑はかけられません」


 有難い言葉だったが、そうもいかない。このギルドの決定にも関わらず私を住まわせれば彼女の印象は悪くなるし、最悪の場合職を失う可能性もある。それに逆上した両親が怒鳴り込んでくるかもしれない、ギルドの庇護ひごがあればまだしも、レナータさん個人にお世話になるのは危険だ。


「でも・・・・・・」

「私のことは自分で何とかします。レナータさんもお元気で」


 重すぎるギルドの扉を開けて外に出た。既に午後になっていたようで、強い陽射しに目がくらむ。


 自分で何とかすると言ったものの、全く当てはない。さてどこに向かって歩き出そうかと考えた瞬間、お腹を蹴り上げられ壁に叩きつけられた。さらに倒れるよりも早く横面を殴り飛ばされて地に転がる。


「う・・・・・・ぐ・・・・・・げほっ・・・・・・うえっ・・・・・・」

「やってくれたな、クソガキ」


 見上げるまでもなく声でわかった、ラゴスさんだ。

 苦痛で体に力が入らない私はうずくまる事すら許されず、髪の毛を掴まれ引き起こされた。




「十日間の活動停止だとよ、てめえのせいだぞ。わかってんのか、ああ?」


 私のせい?お腹と顔と頭の激痛で遠ざかっていた意識を、その言葉が引き戻した。


 違う。悪いのは私じゃない、この人だ。こいつだ。こいつらだ。この男は自分の欲望のために弱い人間を踏みにじり、偽証までした上に逆恨みするくずだ。

 前世では社会的不公正に殺され、今度は理不尽な暴力に殺される?そんな事が許されてたまるか。前世から数十年間、胸の奥で煮えたぎっていた怒りがとうとう形になって噴き出した。


「こんな所で・・・・・・こんな奴らのせいで・・・・・・」

「あ?」

「終わってたまるかああ!!!」


 両膝を曲げ十分に力を溜めて、禿げた中年男の顎を思い切り蹴り上げた。ぶちぶちと髪の毛がちぎれる音が聞こえたが、そんな痛みには慣れている。なお髪を掴んで離さない男に人差し指を向ける。


「我が内なる生命の精霊よ、来たりての者に耐え難き苦痛をもたらせ!【苦痛ペイン】!」

「ぐおあっ!ってえ!?」


 男は頭を抱えて仰向けに転がった。私は迷いなく石畳の街路を駆け出す。


 対象に一瞬だけ激痛を与える【苦痛ペイン】の魔術は、心ならずも一番使い慣れてしまった魔術だ。身の危険や貞操の危機を感じるたびに使い習熟した結果、今では指一本だけで瞬時に発動できる。


 おかしな表現かもしれないが、私は怒ってはいたが冷静だった。昨夜は相手が油断していたところを不意打ちで制したが、それなりに修練を積んだであろう男性二人が相手では分が悪い。未熟とはいえ魔術師のルカちゃんが敵に回っているなら尚更なおさらだ。それに彼らを打ち倒したところで意味はない、いま私がすべきは「生き延びること」だ。


 細身の男がかなりの速度で追ってくる、ゲイルさんだろう。掴みかかる手が髪をかすめてひやりとしたが、ぎりぎりで走りながらの詠唱が間に合った。


「内なる生命の精霊、我に疾風のごとき加護を。来たりて仮初めの力を与えたまえ!【身体強化・敏捷フィジカルエンハンス・アジリティ】!」


 ただの貧弱な少女だった私は鍛え上げられた軍馬のように加速して追手を置き去りにし、風を巻いて路地を駆け抜け、置いてあった樽を足場に体を跳ね上げた。軽業師のように宙で一回転して壁の向こうに消える。


 だが魔術は万能ではない、私は地面に手をつき激しく咳き込んだ。

 【身体強化フィジカルエンハンス】の効果時間は百秒程度、当然ながら体に無理をかけた反動が後から表れる。それに体力や耐久力が強化される訳ではないため、栄養失調の私は長い距離を走り続けることができない。


 追いつかれる前に身を隠さなければ。よろめく足で路地を彷徨さまよっているうち、壁の向こう側から「いたか?」「どこに行ったあのガキ」という声が聞こえてきた。もう余裕がない、近くにあった馬車の荷台に潜り込んで布をかぶった。




 どれくらい時間が経っただろうか、ラゴスさん達に見つかることはなかったと思う。


 だが不意に馬車が動き出して驚いた。身動きせず様子をうかがっていると、どうやらアカイアの町を出たようだ。既に夕方のはずだが、この時間に町を出るとは何事だろう。急ぎの事情でもあるのだろうか。

 いずれにしても夜が迫る道中で放り出されるわけにもいかない、馬車が止まるまで少し休ませてもらおう。荷台にあった布にくるまってさなぎのように丸くなった。


 私はどこで間違ったのだろう。冒険者などをこころざすことなく無難な職業を選べば良かったのだろうか、レナータさんに魔術が使えると明かせば違う仲間に出会えただろうか、ラゴスさん達に違和感を覚えた時点で断れば良かっただろうか。おとなしく彼らの言いなりになっていれば・・・・・・などという選択肢はさすがに無い。




「おい、着いたぞ。起きろ」


 近くで野太い声がして驚き目が覚めた。いつの間に眠ってしまったのだろう、白々と夜が明けかかっている。恐る恐る荷台から降りると、外にはたくましい髭面ひげづらの男が立っていた。


「あ、あの・・・・・・」

「事情は聞かんぞ、早く行け」

「すみません、ありがとうございました」


 まだ頭がはっきりしないが、どうやらどこかの町に着いたようだ。

 深く頭を下げて立ち去ろうとした私に、男は何かを投げてよこした。薄い胸に跳ね返って両手に収まったそれは硬くて大きなパンだった。


無料ただじゃないぞ。大人になったら返せよ」


 街道を去る馬車に向けて、私はもう一度深く頭を下げた。




 家々の隙間から朝日が顔を覗かせ、視界いっぱいが黄金色に輝く。

 ここは何という町だろう。私は左手に食べかけのパンを、右手に拳を握り締めた。


 今度こそ、今度こそ、今度こそ。

 私の人生はここから始まるんだ。



  ◆


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