奨励会退会の日

 2人でプロに、そんな夢を語ったあの日から5年が経過し、俺は25歳に、琴子は20歳になっていた。


 この日、まず琴子の奨励会退会が決まった。もうすぐ21歳の琴子だが、それまでに初段になれない事が今日確定したのだ。規定で21歳までに初段になれなければ強制退会なのだ。


 そして俺も三段リーグで負けてしまい26歳の誕生日までにリーグを突破できない事が確定し、俺も退会する他なかった。


 この世の終わりのような感覚に陥っていた俺達に1人の男が声をかける。


「ああ、洋介君、琴子さん、残念だったね」

「師匠……」


 彼は俺達の師匠である米田九段でプロ棋士だ。


 そして師匠が琴子に声をかける。


「琴子さん、退会して間もないが女流棋士に転向する気はないか?私は君なら女流タイトルは夢ではないと思う」

「え⁉女流棋士ですか?」


 確かに琴子なら女流棋士は十分にやっていけるはずだ。


 プロ棋士とは違うリーグでなる条件は違うが奨励会で1級までいった琴子ならその要件は満たしている。


「やれよ、琴子。俺に気を遣う必要はない」

「でも、お兄ちゃんは……」

「師匠、自分は将棋界を離れますが、これからも妹の事をよろしくお願いします」


 そう言って、俺はそのまま将棋会館をあとにする。


「待って!あの師匠、ひとまず保留でお願いします」


 琴子は将棋会館を去る俺を追いかけるが、声をかけづらいのか、一言も言葉を発さず、そのまま2人で両親の待つ家にたどり着く。


 俺達は夕食の席で、2人の退会が決まった事、そして琴子が師匠から女流棋士転向を勧められている話しをした。


 そしてまず母が言葉を発する。


「そうだったのね、それで琴子どうするの?」

「お兄ちゃんはもう将棋に関われないのに私だけなっていいのかなってどうしても考えちゃう」

「俺に気を遣う必要はないといっただろう、俺はお前の活躍を見たい」

「でも……」


琴子が何かを言おうとすると父が俺達の会話に入って来る。


「まあ、落ち着け2人共、とりあえず琴子、1回はやってみろ。せっかくの米田先生の心遣いなんだし」

「……」

「それから洋介、気持ちが落ち着いてから就職活動を始めるといい。父さんもあたってはみる」

「うん……」


 その日、俺はものすごい脱力感に襲われ、このまま死ぬんじゃないかというくらいに深い眠りについた。

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