5.氷のぶつかる音に

 大学生活、最後の夏休みを迎えた。歳をとるほどに、年月の流れるスピードは確かに早くなっている。中学校の3年間よりも、大学生4年間のほうが短かった気がした。


 私と怜は、就活に追われる目まぐるしい毎日を過ごしていた。だがその中でも、ちゃんと2人の時間を取ろうと言った怜が、田舎の古民家の貸切1泊2日を予約してくれた。



 新幹線で県をいくつもまたぎ、1時間に1本のバスで古民家の近くまで行く。バス停からは、15分ほど歩いた。


 到着した古民家は、有名な夏休みのゲームだとか、アニメだとかに出てきそうな、いわゆる、田舎のお婆ちゃんの家そのものだった。古風で趣きがある、全く見慣れない雰囲気。


 だけど見慣れないからこそとても新鮮で、気分は一気に高揚した。この家が2日間、私達2人だけのものになるんだと考えて、口角がぎゅっと上がった。



 荷物の整理だけ済ませると、私達は颯爽と民家を飛び出した。下調べはお互いにばっちりだ。どうやって過ごしたいのかまで念入りに計画を立てた。


 近くに、浅くて綺麗な川がある。日が高い今のうちにそこへ向かい、その後は周辺の探索だ。


 車が通らないのに、一直線の広い道路。周りを囲う雑草や田畑。そして道路のずっと遠くに見える山々と、澄み切った青空に広がる巨大な入道雲。どこを切り取っても心を揺さぶられる、そんな景色を見ながら探検をした。




 ついでに地元の小さなスーパーまで行き、夕飯の買い出しを済ませて古民家へと戻る。夕飯にはまだ早いから、とのんびりする時間にした。


 私は冷蔵庫に用意されていた麦茶を、氷の入ったグラスに注ぎ、怜はクーラーではなく、わざと扇風機だけを付けた。怜なりの田舎の過ごし方イメージらしい。


 居間の丸いちゃぶ台を挟んで座り、全開にしたガラス戸から外の景色をぼーっと眺める。


 青かった空が、綺麗なオレンジ色に染まっていく。山の向こうに、徐々に太陽が隠れていく。田畑の緑が暗くなっていく。


 心地良いなぁと、じんわり感じる。田舎でこうやって何も考えずに過ごすの、すごく癒される。ただ景色を眺めているだけなのに、心が浄化された気持ちだ。



 そうやって、わざわざ注いだ麦茶にすら手をつけず微動だにしないで居ると、怜が不意に横に寄ってきた。汗をかいた互いの肌がぺっとりくっつく。



「ねぇ、楽しんでもらえてる?」



 あまりにもほうけすぎて心配をかけてしまっただろうか。



「めっちゃ楽しいよ! こんなに素敵なところに、一緒に来てくれる彼氏がいて幸せだよ?」



 そう返すと、怜は心底安心したように微笑んで、私の汗ばんだ手に指を絡める。



「香奈がこういうところで一緒に楽しんでくれる人で良かった。幸せだよ」




 眩しかった夕陽が、山の向こうへと完全に姿を消したのだろう。薄暗くなった部屋で、怜の指が、指先から腕、肩、首筋をなぞっていく。


 むず痒さにぞわぞわしていると、私の後頭部に手を広げた怜が、まだ繋いでいる片方の手を押してきた。ゆっくりと、身体を倒される。



 何も言わない。怜も、私も。



 ただ黙って、見つめ合った。数分か、それともたった数秒か、分からないけれど長い間、怜のことだけを見ていた。



 しばらくして、後頭部の下敷きにしていた手を、私の頬へおもむろに移動させた。愛おしそうに目を細め、頬を撫でた怜がキスを落とす。私の左頬に。そして、一拍の間を置いて、唇に。


 唇の先だけが触れるような優しいキスは、何度も繰り返された。そのうち、もっと奥まで求めるようなキスに変わった。




 幸せのてっぺんに居る心地だった。だから、繋いでいた手を強く、強く握りしめた。この幸せが離れてしまわないように。



 カラン、と、麦茶が入ったままのグラスの氷が、ぶつかる音がした。

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