第171話 盛大な勘違い

 凪の隠し事は気になったものの、詮索しないという当初の宣言を変える事なく週末となった。

 普段通りにバイトを終えて家に帰りつくと、甘い匂いが漂ってくる。


「この匂い……」


 喫茶店で偶に嗅ぐ事のある匂いだが、まさか家で嗅ぐことになるとは思わなかった。

 甘味ならばリクエストしてくれれば喜んで作るというのに、二人で作りたかったらしい。

 ほんの少しだけ疎外感を覚えつつも、感情を胸の奥に押し込んでリビングへと向かう。


「ただいま」

「おかえり、海斗」

「おかえりなさーい」


 どうやら料理は終わっていたらしく、凪と美桜はリビングでくつろいでいた。

 凪に迎えられるのはいつも通りではあるものの、美桜に迎えられるのは違和感がある。

 思いきりリラックスしている美桜に苦笑を零し、手洗いとうがい、着替えを終えてリビングへと戻った。


「さてと、それじゃあ海斗も帰ってきたし、私はおいとましようかな」

「もう少しゆっくりしていいんだぞ? 何なら晩飯を食べて帰るか?」

「やめとくー。もうすぐ迎えが来るし、凪ちゃん先輩とたっぷり遊んで満足したからね」


 今日はお出掛けもしていたらしいので、あまりゆっくり出来ていないのではないか。

 そんな疑問が頭に浮かんだが、美桜の笑顔は少しも曇っていない。

 既に迎えを呼んでいるというのもあり、渋々ながら頷いた。


「分かったよ。明日も来るんだろ?」

「そうだね。凪ちゃん先輩と約束してるし」

「なら、明日は凪さんと二人でゆっくりしてくれ。チョコレートを何に使うのかは知らないけど」

「はーい」


 明日は今日と違い、美桜が昼から家に来るらしい。

 ならば料理するだけではなく、ゆっくり休めるはずだ。

 あまり根を詰めすぎないようにと釘を刺せば、美桜が元気よく返事した。

 そんな美桜とは対照的に、凪がびくりと肩を震わせる。


「ど、どうしてチョコって分かったの?」

「え? 俺は店の料理を任されてるんですよ? 勿論、デザートも。そりゃあチョコレートの匂いくらい分かりますって」


 しっかり換気はしたのだろうが、海斗の鼻は誤魔化せない。

 さらりと口にすれば、凪の体が固まった。

 それだけでなく、白磁の頬がみるみる内に赤くなっていく。


「あの……。その……」

「これ以上詮索するつもりはないので、安心してくださいね」

「……うん」


 改めて宣言すれば、凪が安堵の溜息をついた。

 これで取り敢えずのフォローは出来たと胸を撫で下ろすと、美桜が不思議そうな顔で首を傾げる。


「あのー。何か海斗の反応が変な気がするんだけど、何を作ったと思ってる?」

「そんなのお菓子以外に無いだろ。食べ過ぎて晩飯が入らなかったら問題だけど、凪さんはそんな事しないって分かってるから心配してないぞ」


 おそらく出掛けたのはお菓子の材料を買う為だろうし、そうでなければ出掛ける意味が無い。

 お菓子作りに混ぜて欲しかったという思いはあるが、女子だけでやりたかったのだろう。

 あるいは二人で一緒に上達したいのであって、海斗のような元々作れる人間はお呼びでなかったのか。

 何にせよ、お菓子作りそのものに言及するつもりは無い。

 百点満点の回答だろうと腰に手を当てて胸を張れば、美桜の顔が引き攣った。


「あちゃー。もしかしなくても、勘違いしてるっぽいなぁ……」

「勘違い? 何をだよ?」

「…………あ、迎えが来たみたい! じゃあねー!」

「あ」


 海斗の質問に取り合わず、美桜が勢い良く立ち上がって玄関に向かう。

 あまりにも露骨過ぎる態度に唖然あぜんとしているうちに、美桜は出て行ってしまった。

 リビングに凪と二人きりとなり、何となく気まずい雰囲気が漂う。


「……」

「……取り敢えず、飯にしますか?」


 無言でちらちらと海斗へ視線を向ける凪に何を言えばいいか分からず、空気を変える提案をした。

 凪も気まずいのか、小さく頷いて立ち上がろうとする。

 しかしテーブルに置いていた凪のスマートフォンが鳴り、彼女が画面へと視線を移した。

 何故か一瞬で顔を真っ赤にした凪が、ソファに座りなおして海斗を見つめる。


「その……。もうここまで来たら海斗へのサプライズでも何でもないから言うけど――何で美桜とチョコレートを作ってたか分かる?」

「サプライズ、ですか? ……さあ?」


 どうやらお菓子作りは海斗に関係するものだったらしい。

 しかもサプライズという事だったので、詮索したつもりはないが台無しにしてしまったのだろう。

 罪悪感という名の棘がちくちくと胸を刺すが、それでもチョコレート系のお菓子を何故作るのか分からない。

 お手上げだと回答を求めれば、凪が耳どころか首まで真っ赤にした。


「じ、じゃあ、二月のイベントって何か分かる?」

「二月ですか? 店も学校も、この時期は何もないはずですが……」

「お店や学校の行事じゃない。世間一般で、賑わうイベントがあるよね?」

「世間で、ですか? ……まさか」


 凪からヒントを与えられて、ようやく海斗も察せられた。

 ちょうど一週間後の二月十四日。凪の言う通り、世間のカップルが賑わうイベントがやってくる。

 どうして凪が海斗に隠し事をしていたのか、どうしてチョコレートを作っていたのかを一瞬で悟り、凄まじい歓喜と申し訳なさが襲ってきた。

 短い言葉でも海斗が察したのを分かったのか、凪がじとりとした目で海斗を睨む。


「そうだよ。海斗の、にぶちん」

「……すみません。その、俺には縁がないものだと、頭の中から消してました」


 去年までの海斗は、そのイベントなど気にする余裕がなかった。

 ましてや恋人達が盛り上がるのだから、海斗には一生楽しめないイベントだと割り切ってすらいたのだ。

 頭を思いきり下げて謝罪すれば、凪がぷくりと頬を膨らませる。


「私も言われるまで気付かなかったけど、チョコレートで察して欲しかった」

「本当に、すみません」


 どうやら凪も最初はイベントなど頭に無かったらしい。

 しかし作ろうと思ったのは、美桜の入れ知恵だろう。

 例え入れ知恵であっても作ってくれるのは嬉しく、もう一度深く頭を下げつつも唇は緩んでしまう。

 だが、ふと凪の態度に違和感を覚えた。


「でも、そんなに恥ずかしがる必要ありますか? まあ、凪さんの手作りは初めてですが、料理が出来ないって訳でもないのに」


 凪は海斗と共に晩飯を作っているのだ。ある意味で、手料理は毎日食べている。

 一応、初めてチョコレートを作るので気持ちは分からなくはないが、妙に恥ずかしがっている気がした。

 疑問をそのまま口にすれば、小柄な姿がびくりと跳ねる。


「恥ずかしいものは恥ずかしいの!」

「そ、そうですか、すみません」


 何かが変だと思うものの、それが何かは分からないし、明らかに察して欲しくなさそうだ。

 女心は難しいと実感し、三度目の謝罪を行う。

 声を荒げはしたがそれほど怒っていないようで、凪が安堵の見える表情で首を振る。


「いいの。後でのお楽しみだから」

「はぁ……。分かりましたよ」


 チョコレートを何の為に作っているのか海斗にバレているのだから、後でのお楽しみも何もないだろう。

 釈然しゃくぜんとしない気持ちを抱きつつも、素直に頷くのだった。

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