第165話 独占欲

 凪に弁当を食べさせてもらった結果、海斗の予想通り図書室に行く時間は無くなった。

 なので珍しく海斗の教室前で別れ、席に戻る。

 その後は周囲から偶に向けられる視線を無視して昼休みを終え、放課後になった。

 ゆっくり帰り支度をしていると、ガラリと勢い良く教室の扉が開け放たれる。


「海斗」

「凪さん? ちょっと待ってくださいね」


 下校の時にどうするか話していなかったが、一緒に帰っても何の問題もない。

 とはいえ、まさかホームルームが終わってすぐに教室に来るとは思わなかった。

 驚きつつも凪に届くように声を張り、急いで帰り支度する。

 その間にも凪は海斗へ近付いてきており、立ち上がった瞬間に腕を掴まれた。


「帰ろ、海斗」

「は、はい。それはいいんですけど、どうしたんですか?」

「いいから」


 表情は普段の綺麗な無表情に近いものの、焦りが見える。

 偶に見せる強引さで教室を出ようとするので、何かあったのだろう。

 凪に引き摺られるがままになっていると、教室の扉付近で仲の良いクラスメイトが手を振ってきた。

 また、昼休みに凪へ話し掛けようとした女子が、微笑ましそうな笑顔を彼女へと向ける。


「またなー、天音」

「あんまりはしゃぎ過ぎるなよー」

「明日は沢山お話を聞かせてくださいねー!」

「私も私もー!」


 海斗は男子達に軽く手を振り返し、凪は悩まし気に眉を寄せたものの、女子達へ小さな頷きを返した。

 そのまま教室を出て、昇降口で革靴に履き替えて下校する。

 もう海斗を引っ張るつもりはないのか、凪とはただ手を繋いでいるだけだ。


「何であんなに急いでたんですか?」

「……後ろ」

「後ろ? ……あぁ、なるほど」


 苦々しい顔と言葉からして誰かに見られているのではと予想し、凪を見るフリをしつつ後ろへ視線を向ける。

 すると冬休み前に廊下で話した、凪のクラスメイトであろう先輩達の姿がちらりと見えた。

 急いで帰らないと海斗も含めて質問責めに遭うのではと凪は考えたのかもしれないが、彼女達は元々尾行するつもりだったような気もする。


「凪さんは大変ですねぇ」

「休み時間の度に質問されて、本当に大変だった。今は何故か付いて来るだけだけど。海斗は大丈夫だった?」

「俺ですか? まあ、大丈夫でしたよ」


 凪と美桜の後ろ盾があるからか、海斗に面と向かって悪口を言う人は居なかった。

 質問責めに関しても、数人の男子と話した程度だ。

 女子が話して来なかったのは、おそらく美桜が止めさせたからだろう。

 へらりと軽い笑みを浮かべて答えたが、凪は心配そうな表情で海斗の顔を覗き込む。


「本当に?」

「本当ですって。でも、明日は凪さんがあれこれ聞かれると思います」

「ん……。まあ、それは仕方ない。海斗との時間が取れないのは嫌だから、簡単に説明だけしておく」

「すみませんが、お願いしますね」


 海斗に話を振られたら勿論対応するつもりだが、あの調子だと凪へ質問が集中するはずだ。

 申し訳なさに謝罪すれば、凪が小さく首を振る。


「気にしないで。海斗が女子に囲まれる方が嫌」

「そう、ですか」


 露骨な嫉妬心に思わず海斗の唇が弧を描いた。

 すぐにでも凪の頭を撫でたいが、今は外だし後ろの人達も気にしなければ。


「それで、このまま帰っても良いんですか?」

「いいけど、スーパーに寄って晩御飯を買おう?」

「食材を切らしてたので有難いんですけど、スーパーに行くのを見られたら割と質問されそうなんですが」

「そこは心配しないで。そこまでついてきたら流石に言うつもり」

「分かりました」


 いくら友人とはいえ、付き纏われるのは嫌なようだ。

 海斗は一回話した程度なので、彼女達の相手は凪に任せるべきだろう。

 どういう対応をするのか深く尋ねずに歩いていると、スーパーのすぐ近くの曲がり角に辿り着く。

 すると凪が待ち伏せするかのように立ち止まった。


「それじゃあ、お説教してくるね。晩御飯はシチューがいいな」

「肉たっぷりにしますね。……それと、俺は変な噂を広げられなかったらそれでいいですから、手加減してあげてくださいね」


 お説教、と言った凪の表情は怒りよりも呆れの感情が大きかったので、本気で怒るつもりはないのだろう。

 とはいえ、海斗に迷惑だからと全力を出しそうでもある。

 念の為に気遣えば、凪がはあと溜息を落とした。


「海斗は優しいね」

「そんな事ないと思いますけど。……俺だって、凪さんが男子に囲まれるのは嫌ですし」


 胸に貯め込んでいる醜い感情を口にすれば、澄んだアイスブルーの瞳が驚きに見開かれる。

 海斗とて凪に好意を抱いているのだ。独占欲が沸き上がらないはずがない。

 例え凪が他の男に一切なびかないと分かっていても、冷静な対応をすると頭で理解していても。

 気恥ずかしくて僅かに目を逸らすと、視界の端で凪の顔がふにゃりと蕩けたのが見えた。


「……何か、すっごく嬉しい」

「ありがとう、ございます?」


 独占欲を向けられて喜ぶ恋人に、お礼を言うのは何だか違う気がする。

 なので首を傾げながら口にすれば、くすくすと軽やかに笑われた。


「お礼もいいけど、今日は疲れたからいっぱい甘やかして欲しいな」

「了解です。家に帰ったらたっぷり時間を取りますね」

「ありがと。それと甘える理由の一つは、私が海斗のものだって自覚して欲しいからだよ」

「……本当に、ありがとうございます」


 甘やかされる事で海斗の独占欲も満たすという、両方を一度で叶える宣言に頬を緩めながら応えた。

 海斗の返事に満足そうに凪が頷き、何故か海斗へと鞄を預ける。


「これ、お願い。それじゃあ後でね」

「は、はい」


 くるりと背を向けた凪が、ほんの少しだけ身構えた。

 万が一の事も考えて、友人達が逃げた際に追い掛ける為だろう。

 凪が運動している姿を見た事はないが、この様子だと運動神経も良いのかもしれない。

 意外とお転婆な面が見られて嬉しくはあるが、怪我しないかとほんの少しだけ心配でもある。

 しかし凪であれば心配は要らないだろうし、周囲に迷惑を掛けないように配慮もするはずだ。

 一先ず放っておこうと思い、スーパーへと向かう。

 店に入る瞬間に後ろから悲鳴が聞こえた気がしたが無視した。

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