第164話 質問責めの癒し

 冬休み明けの朝は驚く程穏やかに過ごせたが、当然ながらクラスメイト全員に海斗と凪の関係が受け入れられた訳ではない。

 例え、割と仲の良いクラスメイト達が「付き合ってないのが異常だった」と言ってもだ。

 とはいえ、表立って海斗に悪態をつくと美桜と凪が敵に回るので、あくまで視線を向けられる程度に留まっている。

 そんな風に表面上は穏やかな時間が過ぎ、昼休みとなった。


「かいとぉ……」


 冬休みの前は綺麗な無表情で教室に来ていた凪だが、今日は顔に疲れが出ているし、涼やかな声に芯が入っていない。

 ふらふらと揺れながら海斗の元へ来る凪へと、クラスメイトの女子達が話し掛ける。


「こんにちは、西園寺先輩! 天音と付き合えて良かったですね!」

「いやー、おめでとうございます!」


 海斗と凪が付き合ったという話はとっくにクラス中に広まっていたし、特段海斗も隠すつもりはなかった。

 なので今日話していない女子が知っていてもおかしくはない。それどころか、祝福してくれるのが嬉しいとすら思っている。

 しかし凪は盛り上がる彼女達を警戒したのか、ぴくりと体を震わせた。

 ちらりと彼女達へと向けられたアイスブルーの瞳は、輝きを失っている。


「……あぁ、うん」

「あ、あの、西園寺先輩、どうかしたんですか?」

「すっごく疲れてるように見えますけど」


 非常に薄い反応を返した凪に、困惑するクラスメイト。

 恋人に会いに来たのだから、テンションが高いと思っていたのだろう。

 だが、海斗は凪が何故元気がないのか、何となく予想がつく。

 話に割って入ろうとすると、そんな海斗よりも早く一人の女子生徒が「ちょっとストップ!」と教室に声を響かせた。


「多分凪ちゃん先輩は自分のクラスで質問責めに遭ってただろうから、今日は勘弁してあげて」


 美桜が正しく海斗が予想していた事をそのまま口にし、周囲を落ち着かせる。

 凪の態度から大変な目に遭ったのを想像出来たのか、凪に話し掛けていたクラスメイトの女子達は納得のいった風な苦笑を浮かべた。


「そういう事かぁ、りょーかい。すみません、西園寺先輩」

「今日は天音とゆっくりしてくださいね!」

「ん、ありがと。それに美桜も。すっごく助かった」


 予想は合っていたようで、凪がへにゃりと力の抜けた笑みを見せる。

 一番感謝された美桜はというと、可愛らしい顔に小悪魔の笑顔を張り付けた。


「いいんですよ。という訳で、頑張ってくださいね」

「頑張るも何も、海斗には絶対にやってもらうつもりだから大丈夫」

「……何をやってもらうんですか?」


 凪と美桜の間で何か良くない事が進んでいる気がして、流石に割って入る。

 二人が海斗の居ない場所で話すのは構わないが、今回は明らかに海斗が当事者だ。

 頬を引き攣らせながら尋ねれば、凪の顔が海斗の方を向く。


「大した事じゃないし、すぐに分かるから多分大丈夫。早くお弁当を食べよう?」

「滅茶苦茶不安ですが、まあいいでしょう。了解です」


 多分、と付けた時点で何かが起きると確信を抱きつつ、取り敢えず自らの席に座った。

 鞄から弁当箱を二つ取り出し、一つを凪の前に置く。

 きちんと手を合わせて食べようとしたのだが、凪は弁当箱を開けただけで手を付けなかった。


「食欲がありませんか? なら無理して食べなくてもいいですよ?」

「そうじゃない。疲れたから、食べさせて欲しい」

「はい?」


 凪が発した言葉の意味は理解出来るし、デートで一度食べさせ合いをしているのだから、弁当を食べさせても何の問題もない。

 しかし、ここは見知らぬ人が多いショッピングモールと違い、教室なのだ。

 当然ながら凪の言葉に周囲がざわめき、多くの視線が向けられている。

 こんな場所でするのかという意味を込めて聞き返せば、何の迷いもないような目が向けられた。


「だから、食べさせて欲しいの。……だめ?」


 不安に顔を曇らせながら小首を傾げるのは、反則的に可愛らしい。

 恋人からのこんなおねだりを断れる男など居るはずがない。

 だが先程の会話からして、凪にこんな知識を吹き込んだ人が居る。

 元凶へちらりと視線を送ると、わざとらしく口笛を吹きながら顔を逸らされた。


「…………分かりましたよ。上手くいかないかもしれませんが、許してくださいね」


 周囲の視線に怖気づいて恋人の願いを叶えないなど、彼氏失格だ。

 覚悟を決めて凪の弁当と箸を持てば、端正な顔が甘さを帯びた笑顔になる。


「だいじょーぶ。ありがとぉ、海斗」


 海斗からすれば見慣れた笑顔だが、周囲は美桜を除いて初めてのはずだ。

 だからなのか、凪の魅力的な笑顔に一瞬だけ教室が静かになる。

 そんな周囲を無視し、まずは卵焼きを摘まんで凪の口へ持っていく。


「はい、あーんです」

「あーん……。んー! おいひぃ!」


 卵焼きを飲み込んだ凪が、子供のような無邪気な笑顔を浮かべた。

 この笑顔を見られるなら周囲はどうでもいいと、次は白米を食べさせる。


「ん、んぐ。次はウインナーがいいな」

「はいはい。これですね」

「あーん」


 リクエストされたおかずを口に持って行けば、凪は餌を待つ雛鳥のように開けて待つ。

 餌付けしているような感じだし、実際に凪は海斗の料理を好んでいるので間違ってはいないのだろう。

 無垢な姿に頬が緩み、気分が乗って食べさせ続ける。

 とはいえ、一人で食べる時より時間が掛かってしまうのは仕方がない。

 昼休みなのだから焦る必要はないと、ゆっくり食べさせた。

 綺麗に完食した凪が、ふにゃっと緩んだ笑みを見せる。


「海斗のご飯は最高。ごちそうさま」

「おそまつさまです」


 凪の弁当を片付け、一息つく。

 すると、彼女は海斗の前に置かれた弁当に視線を向けて顔を曇らせた。


「あ……。私のせいで、海斗がご飯食べれてない」

「ささっと食べちゃいますので、気にしないでください」


 弁当を食べる程度なら、急げば凪をそこまで待たせはしないだろう。

 気にするなと凪に微笑を向け、弁当箱と箸へ手を伸ばす。

 しかし海斗の手が届く前に、目の前の女性に奪い取られた。


「あの、凪さん?」

「さっきは海斗が食べさせてくれたから、今度は私の番」

「え、いや、俺は――」

「はい、あーん」

「その――」

「あーん!」


 何が何でも食べさせたいらしく、凪がおかずを突き出してくる。

 絶対に断れないと理解し、逆の立場を受け入れた。


「あーん。……まあ、いつもの味かな」

「ん。いつもの海斗の味。はい次、あーん」

「分かりましたよ。あーん」


 凪の強引さには敵わないなと内心で苦笑し、口を開く。

 ちらりと黒板付近にある時計を見れば、先程まで凪に食べさせていたからか、昼休みが半分くらい過ぎていた。

 今は海斗が食べさせてもらう番なので、今日は図書室に行けないかもしれない。

 そういう時もあると思いながら、ただ口を開き放り込まれる白米とおかずを咀嚼する。


「冬休み終わって最初からこれか……」

「畜生、見せつけやがってぇ……」

「はー。二人が幸せそうで、溜息が出ちゃう」

「ラブラブだねぇ」

「アドバイスはしたけど、あの二人やりすぎじゃないかなぁ……?」


 美桜も含めて周囲が盛り上がっているのは無視した。

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