第161話 冬休みの終わり

「……ん」


 ゆっくりと眠りの海から意識が浮上し、重いまぶたを開ける。

 ちらりと視線を下げれば、海斗の胸に顔を埋める凪がいた。


「昨日は大変だった……」


 凪とのキスは好きだが、体を密着させてのキスは海斗の理性に悪過ぎる。

 どのくらいキスされていたのか不明だが、おそらく一時間くらいはされていただろう。

 欲望を抑え続けた結果、最後の方は海斗が精神的に疲れ、凪が諦めて寝たのは覚えている。


「ま、別にいいけどさ」


 昨日の夜はある意味拷問だったが、凪が求めてくれるのは嬉しい。

 決して嫌ではなかったと振り返りながら笑みを零し、海斗の胸に引っ付いている凪を僅かに引き剥がした。

 無垢な寝顔は年上と思えない程に可愛らしく、子供のようにも思えてしまう。

 とはいえ口に出すと怒られるので、心の中で思うだけだが。


「時間は――まだ寝てられるな」


 一般的な人からすると理想の時間ではあるが、海斗達からすればまだまだ寝ている時間だ。

 ふっと体の力を抜き、凪の髪を撫でつつ再び彼女を腕の中に引き込む。

 美しい銀色の髪に顔を埋めれば、甘い桃の匂いが強く香った。

 凪には決して言えないものの、こうしていると彼女の体温もあって胸が温かくなる。


「ん……。んぅ……?」


 いつもなら海斗が頭を撫でていたり身を寄せていても起きないのに、珍しく凪が身じろぎした。

 再び僅かに距離を開けると、長い睫毛が震えてとろみを帯びたアイスブルーの瞳が見える。

 吸い込まれそうな程に綺麗な瞳が海斗を映した瞬間、端正な顔がふにゃりと蕩けた。


「おぁよぅ、かぃと」

「おはようございます、凪さん。まだ朝なので寝ますか?」

「そーするぅ。でも、きす」


 キスにはまっているのは確かなようで、寝ぼけながらも凪が催促する。

 僅かに顎を上げて海斗の唇を待つ姿に、くすりと小さく笑みを零した。


「分かりましたよ」


 瑞々しい頬に手で触れ、凪と唇を合わせる。

 既に初めてキスした時の緊張はなく、興奮で心臓が鼓動を早めているだけだ。

 たった二日でここまで慣れてしまったという事実に内心で苦笑するが、決して悪くない気分でもある。

 軽く唇に触れるだけのキスを済ませて距離を取れば、物欲しそうに上目遣いされた。


「もっと」

「はいはい」


 自分の欲望を素直に口にする凪に微笑みを浮かべ、再び唇を合わせる。

 今度はむように唇を動かすと、気持ち良いのか「ん」と鼻に掛かったような声が聞こえた。

 一度離れようとするとまだキスしていたいらしく、追いかけようとするのが愛らしい。

 とはいえ、キスは長く続かない。既に鼻で呼吸はしているものの、それでも息継ぎは必要なのだから。

 それは凪も分かっており、背中を軽く叩いて唇を離すと、ふにゃふにゃの笑みが向けられた。


「きもち、いいねぇ……」

「それは同意ですけど、まだ眠いんでしょう? 二度寝しませんか?」

「するけど、おきたら、きすしようね」

「はい」


 海斗の短い返事で、凪の顔に嬉しさが溢れ出たような笑みが浮かんだ。

 すぐにアイスブルーの瞳へと長い睫毛が掛かり、見えなくなる。

 あっという間に規則正しい寝息が聞こえ始め、その欲望に素直過ぎる姿に頬を緩めた。


「これは起きた時にキスするのが日課になりそうだな。……うん、最高だ」


 一日の始まりを、恋人とのキスから始められる。

 そんなこれからに胸を弾ませ、海斗も目を閉じるのだった。





 凪との二度寝の後は約束通りにキスをし、それ以降はいつも通り過ごした。

 そして夜になり、彼女はベッドに乗った海斗の胡坐あぐらの中に座って、本を読んでいる。


「……」


 すぐ傍でスマホを見ていたり、何となく凪の細い腰に腕を回しても彼女は何も言わない。

 それどころか、嬉しそうに頬を緩ませるのが殆どだ。

 渚が海斗の膝に乗って以降、凪はこうして海斗に凭れる時があるが、この体勢を気に入ったらしい。

 海斗としても凪を抱き締められるし、彼女の温もりや匂いが近くにあるので悪くない。


「そう言えば、もう少しで冬休みが明けるね」

「何かあっという間でしたねぇ。色々あったので当然なんですが」


 読書の気分ではなくなったのか、凪がぱたりと本を閉じて言葉を紡いだ。

 既に正月から二週間と少し経ち、凪の言う通り冬休みが終わる。

 これまでの長期連休は、バイトに明け暮れた今年の夏休み以外退屈でしかなかった。

 しかし今回は瞬く間に過ぎていったのだが、多くの出来事があったのでそう感じるのも無理はない。

 銀色の髪を撫でながら告げれば、凪の首が小さく縦に揺れた。


「本当に、色々あった。冬休み前までは友達だったね」

「友達と言うには怪しかったですが、それは置いておいて。冬休みの間に許嫁になりましたからね」


 友人と言うには距離が近く、凪は自覚していなかったものの、お互いに好意を抱いている状態だった。

 それがたった数週間で、将来の相手となるまで関係が変化したのだ。

 凄まじい変わりようだなと改めて思い、苦笑を零す。

 この冬休みの間の出来事を振り返っていると、凪の腰に回した腕に、そっと細くしなやかなものが触れた。


「……学校が始まったら、一緒に居る時間が減るね」

「学年が違いますからね。流石にそれはどうしようもないです」


 冬休みの後半。この家に引っ越してからは特に海斗と凪は一緒だった。

 それこそ、海斗がバイトの時以外はべったりくっついている程に。

 寂しいという気持ちを滲ませる声に胸が痛み、説得しつつも労わるように凪の頭を撫でる。


「そう、だね」

「でも、今まで通り昼休みは一緒ですし、今度から登下校も一緒ですよ」

「そっか、海斗がここに引っ越したから、朝も一緒に居られるんだ」


 今までの海斗と凪は、学校ではせいぜい昼休みくらいしか一緒に居なかった。

 しかし、同じ家から学校に向かうのだから、もっと一緒に居られる時間が増える。

 それを理解した瞬間に、アイスブルーの瞳が輝いた。


「はい。なので、そんなに悲観しなくていいと思いますよ」

「うん! ……でも休み時間の度に海斗の教室に行くのは無理だから、時間は確実に減っちゃう」

「その分、家に帰ってたっぷり甘えてください」

「分かった、遠慮しないからね。それと学校で他の女子に見惚れちゃダメだよ?」


 澄んだ蒼の瞳からは強い圧が発せられており、背中にぞくりとしたものが這い上がる。

 言い逃れは許さないという風な凪の態度に、迷う事なく頷いた。


「俺が凪さん以外に見惚れる訳ないでしょう」


 婚約者が居ながら、他の女子に目移りするのは最低過ぎる。

 そもそも海斗は凪以外眼中にないのだから、彼女の心配は無用だ。

 海斗の態度と言葉に満足したのか、凪がどっかりと海斗へ凭れる。


「ならよし」

「凪さんも、俺以外の男子に見惚れないでくれると嬉しいです」

「海斗以外の男子なんてどうでもいいし、そこは見惚れちゃダメって言うべき。……おしおき、しようか?」


 もっと独占しろと、信用の証として同じ言葉を返せという凪の発言に失敗を悟った。

 至近距離から海斗を見上げる瞳には、確かな怒りが込められている。

 このままではまずいと、背中に冷や汗が流れる感覚を無視して口を開く。


「いや、その、他意はなくて、ですね」

「うるさい。恋人を独占しようとしない人には、おしおき」


 凪がくるりと体の向きを変え、海斗と向き合った。

 美しい顔があっという間に視界を埋め尽くす。


「……お手柔らかにお願いします」

「やだ」


 今日も今日とて欲望を縛らなければと、心の中で決意する海斗だった。

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