第159話 料理に欠かせないもの

「……ぷはっ」


 もう何度目かも分からないキスの後、唇を離す。

 デートの最後の行為は大成功と言っても良かった。

 しかし凪は満足出来なかったようで、もう一回、もう一回と何度も何度も強請られてしまったのだ。

 結果として、凪の唇の感触が分かる程度には緊張が解れている。

 とはいえ、そのせいで全く心臓の鼓動が落ち着かないのだが。


「かい、と……。もう一回、もう一回だけ……」

「ちょ、ちょっと待って、ください。息が……」


 緊張や照れではない明らかに興奮で上気した頬と、潤んだ瞳が合わさったおねだりは、何度でも応えたくなる。

 けれど、先程初めてキスをした海斗は息継ぎを上手く出来なかった。

 勿論凪も同じで息が荒くなっているのに、彼女はしゅんと肩を落とす。


「そう、だけど、もっと、したい」

「俺も、同じですけど、すみません」

「むぅ……」


 強引にキスするつもりはないのか、唇を尖らせつつも凪がソファに凭れた。

 ようやく落ち着けると溜息をつき、海斗もソファに背中を預ける。

 すぐに凪の頭が肩に乗り、ぐりぐりと不満をアピールされた。


「わざわざ聞く必要もないと思いますけど、どうでしたか?」

「最高。何で今までしなかったのか、ちょっと後悔してるくらい」


 これまでのおねだりだけでなく、一瞬の迷いもなく断言した事からも、凪はキスにはまったらしい。

 とはいえ海斗も同じ気持ちであり、出来る事ならずっとキスしていたいくらいだ。

 それ程までに、凪とのキスは心地良かった。


「何ていうか、ただ唇を合わせるだけなのに、海斗をすっごく近くに感じられたの」

「俺も、凪さんを滅茶苦茶近く感じました。普段からずっと傍に居るんですけどね」


 海斗と凪が家でゆっくりする場合、膝枕だったり肩を寄せ合っている事が多い。

 なので普段から凪をすぐ近くに感じているはずだが、キスの時は一段と近く感じられたのだ。

 凪が嵌る気持ちも良く分かると肩を竦めた。


「そうなの。小説で主人公達がキスであんなに幸せだったのも納得」

「という事は、今までいまいち理解してなかったんですね」

「うん。だって、ただ唇を触れ合わせるだけだし、何がそんなに良いのかさっぱりだった。美桜に言われて、海斗とならしたいって思えたけど」


 凪は頭が良過ぎるせいで、キスを理論的に考えてしまったのだろう。

 しかし美桜に言われて考えが僅かに変化し、完全に改めたらしい。


「だから、もっともっとしたい。ね、しよ?」


 休憩は終わりという風に凪が海斗の肩から頭を離し、至近距離で視線を合わせた。

 あの素晴らしい感触をもう一度味わえると考えただけで、思考が甘く痺れる。

 誘蛾灯のように海斗を誘う唇へと自らのものを近付ければ、とろりと蕩けた笑みが凪の顔に浮かんだ。

 そのまま唇を合わせようとして――


「……あぅ」

「そう言えば、もういい時間でしたね」


 きゅう、と凪の腹が可愛らしく空腹を訴えた事で、彼女が羞恥に頬を染めた。

 甘い空気が霧散し、苦笑を零して立ち上がる。

 自らの腹の音が原因で流れが変わったからか、凪はじとりと目を細めたものの、特に文句を言う事はなかった。

 渋々といった風に彼女も立ち上がり、キッチンに向かう海斗についてくる。


「今だけは、海斗の美味しいご飯が憎い」

「何で俺の飯が悪い事になるんですかねぇ……」

「多少お腹が減ってても、キスの為なら我慢出来る。でも、海斗のご飯って考えたらダメだった」

「俺の作る飯にヤバいものが入ってそうな台詞なんですが!?」


 何よりも海斗の飯を優先する程に気に入ってくれるのは嬉しい。

 しかし凪には珍しい悪態からして、かなり苦渋の決断だったようだ。

 思わず突っ込みを入れて振り返れば、彼女がぷくりと頬を膨らませているのが視界に入る。


「意外とそうかもしれない。何を入れてるの?」

「俺が料理してる所をいつも見てるでしょうに……」


 いつも一緒に料理しているのだ。仕上げは海斗に任されているが、変な物を入れていたら凪は確実に気付く。

 キスが出来なくなった事でテンションがおかしくなっている凪の発言に肩を竦めつつ「でも」と声を発した。


「いつも愛情はたっぷり入れてますよ。もしかしたら、そのせいかもしれませんね」

「…………そういうの、ずるい」


 まさか海斗が愛を伝えると思わなかったのか、凪がアイスブルーの瞳を大きく見せた。

 その後、羞恥が灯ったかのように頬を染めたので、軽口に軽口を返すのは成功したらしい。

 とはいえ、海斗が口にしたのは純然たる事実なのだが。

 視線をすっと逸らす凪に小さく笑みを落とし、キッチンに辿り着いて冷蔵庫を開ける。


「ま、何はともあれお腹が減ったなら飯です。今日もお手伝いお願いしますね」

「それはいいけど、キスも忘れないでね」

「食べ終わってすぐにキスしたら、生姜焼きの味がしそうですねぇ……」


 晩飯の味が残ったキスが駄目とは言わない。

 けれど、流石にムードが台無しになる気がした。

 思わず苦笑を零せば、凪が顎に手を当てて考え始める。


「それは大問題。海斗の味が分からなくなる」

「わーお。男が口にしたら危険な台詞だぁ」


 男が発すれば一瞬で変態認定されるのに、凪が口にすると許されそうなのは、美少女だからか、惚れた弱みからか。

 海斗からすれば、男とのキスの味が良い物だとは全く思えない。けれど、凪にとっては大事らしい。

 そもそも味など無いのではとも思うが、凪とのキスはどこか甘い味がするので、否定出来なかった。

 本気なのか冗談なのか分からない発言に頬を引き攣らせ、突っ込んでは負けだと料理を開始するのだった。

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