第156話 恋をした切っ掛け

 海斗の服を選んだ後は一度休憩という事で、以前美桜と三人で食べたクレープ屋に来ている。

 相変わらずの人気であり、並んでいる人の大半が女性客だ。

 そして僅かな男性客もカップルという、男だけでは絶対に並びたくない場所だが、海斗は例外の一人となっている。


(あれから随分変わったなぁ……)


 以前は凪がただひたすらに、海斗へ大きな信頼をぶつけていた。

 それが今では大勢の前で手を繋ぎ、身を寄せ合う仲になっている。

 ほんの数ヶ月前の出来事だというのに随分昔のように思えて、感慨深い気持ちになった。

 とはいえあれから凪との関係が大きく変わったのだから、仕方ないだろう。


「どうしたの?」


 内心を表情に出したつもりはなかったのだが、凪がこてんと首を傾げて尋ねてきた。

 特段心に秘めておく理由もなく、当時の凪を思い出して頬を緩ませながら口を開く。


「前にここでクレープを食べた時の事を思い出してたんですよ」

「うん? まあ、美味しかったよね。海斗が作った方が美味しいと思うけど」


 絶対の自信を持って告げられた言葉は胸が温かくなるが、店員に聞こえていたらと思うと気が気でない。

 表情を苦笑へと変え、僅かに肩を竦める。


「それは嬉しいんですが美味しさとは別に、凪さんがあの時のお出掛けでようやく俺を意識してくれたなって」

「うっ……。そうだったね」


 凪としては恥ずかしい出来事のようで、真っ白な頬が僅かに朱へと染まった。

 身を縮こまらせる姿は、抱き締めたくなる程に愛らしい。


「自覚するまでもっと時間が掛かったけど、私はあの時から――ううん、もっと前から海斗が好きだった。多分、風邪を引いた時からかな」

「……そりゃあ滅茶苦茶前ですね」


 羞恥はあれど真っ直ぐに好意を口にする凪らしい態度に、口角が勝手に上がる。

 ここでにやつくのは気持ち悪いと、必死に表情を抑え込んで小さく笑みを零した。


「海斗はいつから?」

「俺ですか? うーん、いつからだったかな……」


 凪への恋心をきちんと自覚したのは、彼女のお世話という役割が無くなりそうになってからだ。

 その一件があったのは凪が修学旅行に行く前だったので、美桜と三人でショッピングモールに出掛けた日に近い。

 しかしそれよりも前に、明確になっておらずとも海斗は凪への好意を抱いていたのではないか。

 いつからだったかと記憶を探っていくうちに、思い当たる出来事が脳裏に浮かんだ。


「すぐには自覚出来なかったんですけど、俺も凪さんと同じで風邪の看病をした時ですね」


 それ以前も、凪の印象は良いものだった。

 しかしあの時に彼女の過去に触れ、傍に居たいと思ったのだ。

 全く同じタイミングで自覚せずとも好意を抱いていたのだと分かり、何だかくすぐったくて笑みを零す。

 凪も同じ気持ちのようで、くすくすと軽やかな笑みを見せていた。


「似た者同士だね」

「はい。……でも、流石に凪さん程長い期間無自覚ではなかったですよ」


 本当の所は清二に海斗の気持ちを引き摺り出してもらったからなのだが、ああしてもらわなければ自分の気持ちから目を背け続けていただろう。

 とはいえ先に自覚した事で、以前よりも凪のお世話がご褒美兼地獄になったのだが。

 当時の大変さを思い出してほんのりと凪を揶揄からかえば、銀色の髪から覗く耳が真っ赤に染まった。


「うぅ……。だって、今まで恋なんてした事なかったし……」

「分かってますよ。にしても信頼している相手とはいえ、あれこれ委ねすぎでしたが」

「も、もう言わないで……」


 凪も当時の無防備さを思い出したのか、顔を俯けて海斗の腕に縋ってくる。

 これ以上揶揄うと怒られると判断し、凪の好きにさせつつ海斗達の注文の番はまだかと並んでいる列の先を見た。

 凪と話し込んでいたからかもうすぐ注文出来るが、周囲からの視線が生暖かい。

 流石に家の外だという自覚はあったので凪のプライベートの詳細は口にしなかったものの、それでも失敗したようだ。

 唯一の救いはここに居る男性が恋人持ちなので嫉妬の視線が無い事だが、羞恥はどうしても沸き上がってくる。

 居た堪れなくなって海斗も顔を俯けていると、ちょうど注文出来るようになった。

 羞恥心を誤魔化すように凪と別のクレープを注文し、彼女の手を引いて急いで店から離れる。


「ふぅ……」


 ついつい会話を弾ませてしまったが、あの場以外だと男性からの嫉妬の視線が凄まじい事になっていただろう。

 内心で反省しつつ深呼吸をして気持ちを切り替え、未だに頬が少し赤い凪へと笑みを向ける。


「何はともあれクレープは買えましたし、食べましょうか」

「ん」


 小さく頷いた凪と共に、同時にクレープにかぶりついた。

 苺の酸味とクリームの甘さが混ざり合うのが堪らない。


「相変わらず美味しいですね。凪さんはどうですか?」

「こっちも美味しい。チョコとクリームだから甘さが凄い」

「確かに、甘い物好きには最高でしょうね」


 チョコレートとクリームは甘さが過剰ではないかと思うが、そんなクレープも悪くない。

 むしろ一口くらい食べてみたいと視線を向けていると、凪が手に持ったクレープを海斗へと差し出した。


「前と違って恋人だから、こういうのもしていいよね?」

「……ですね」


 以前クレープを食べた際は海斗が誤魔化したが、既に海斗と凪は付き合っているのだ。

 初詣で凪だけだが間接キスもしているので、食べさせるのを躊躇ためらう理由などない。

 とはいえ、いざ間接キスとなると心臓の鼓動が早鐘のように鼓動するのだが。

 クレープの前で口を広げれば、凪の顔が嬉しそうに蕩けた。


「はい、あーん」

「いただきます」


 凪が口を付けた付近に思いきりかぶりつき、クレープを口に含む。

 チョコレートとクリームが入っているので甘いのは当たり前だが、それにしても口の中が甘過ぎる。

 これが、間接キスと恋人が行う食べさせ合いの影響なのかもしれない。

 変に意識するのは危険だと、頬が熱くなっているのを無視して今度は海斗が凪にクレープを差し出した。


「んぐ。凪さんもどうぞ」

「……いただきます」


 引いていた頬の赤みを再び濃くさせ、凪が海斗のクレープにかぶりついた。

 そのまま無言で咀嚼そしゃくした凪だが、クレープを飲み込んだ後にぽつりと呟く。


「海斗のクレープ、美味しいね」

「凪さんのも、美味しかったですよ」


 恥ずかし過ぎて間接キスには触れず、お互いのクレープを褒め合うのだった。

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