第155話 彼氏の甲斐性
「それじゃあまずは、海斗の服を買う」
大型ショッピングモールに着いて凪が発した第一声が、まさかの今日決まった予定だった。
ぐいぐいと腕を引っ張る凪に苦笑を零しつつ、口を開く。
「俺の服なんて後でいいじゃないですか」
「だめ。さっき結構気にしてたし、先に買っておく。それに、後回しにしてると流される気がする」
「……そんなつもりはなかったんですが、分かりましたよ」
頭の片隅で考えていた事を当てられて、頬が引き攣った。
何とか取り繕って肩を竦めると、アイスブルーの瞳が疑いの色を帯びる。
とはいえ海斗が素直に従った事で、凪は取り敢えず納得してくれた。
そのまま彼女に連れられて、以前凪が服を買った洋服店に辿り着く。
「今更だけど、海斗はどんな服が着たい?」
「派手じゃなければそれでいいですね。後は動き辛かったりするのも嫌です」
家を出る前の宣言通りに凪が男性服を物色しつつ、海斗と意見をすり合わせる。
海斗は凪が服を選ぶ際の基準をある程度把握しているが、逆は違う。
許嫁という間柄になってから初めて教えたのがおかしくて、くすりと笑みを零した。
「なら私と一緒だね」
「ですね。なので、適当に選んで大丈夫ですよ」
「そんな事しない。ちゃんと選ぶ」
「りょーかいです」
偶にパソコンで仕事をしている際に見せるような真剣さで、凪が海斗の服を見繕っていく。
想い人に自分の服を選んでもらうのは、最初は申し訳なかった。
けれど悩む凪の姿を見ていると、それも悪くないと思えてくる。
胸を温かいもので満たしつつ、凪に意見を求められたら口を挟む。
(何か、年上の恋人って感じだな。……流石に失礼か)
凪は海斗よりも一つ年上だし、その事を忘れてはいない。
けれど、家で甘えてくる凪からはあまり年上らしさを感じなかった。
唯一の例外は寝る際に海斗を抱き締めて甘やかす時くらいだが、あれは年上らしさというよりか母性が強いと言うべきだろう。
なので、いかにも年上らしく振舞う凪は新鮮だ。
男としてリード出来ない情けなさはあるものの、無理にリードするのは違うし、感想を口にもしない。
「よし。ならこれに決めた。試着室に行こ」
「はい」
海斗の意見を取り入れつつ、凪は納得のいく服を見繕えたようだ。
彼女から服を受け取り、試着室で着替える。
一応、姿見でおかしくない事を確認し、カーテンを引いて凪の前に姿を見せた。
少し恥ずかしいが胸を張れば、端正な顔が鮮やかな笑みに彩られる。
「うん、似合ってる! かっこいい!」
「……あ、ありがとうございます」
凪が選んでくれたのは、シンプルな暗めのダウンジャケットに黒のパンツだ。
これだけだと色合いが重いので、インナーシャツを水色にしている。
着やすくしつつもおしゃれさを失わないコーディネートは、海斗の好みにも合っていた。
凪がこんなにも良い物を選んでくれたという嬉しさと、彼女の眩しい笑みに頬が熱くなる。
「それじゃあ、これにしますね」
「分かった! すみませーん、これってこのまま着ていいですか?」
凪が近くに居た店員を呼び、着替えなくていいかと確認を取った。
許可が出たのでタグを店員に外してもらい、そのまま試着室を出てレジへ向かう。
そう言えば値段を見てなかったなと思いつつレジのモニターに表示された値段を見て、一気に頭が冷えた。
「……しまった」
凪とのデートなので財布の中にはお金は多めに入れている。
しかし、よくよく考えれば服を一式買うのだ。
凪が素材が良い物を選んだのもあり、高くなるは当たり前だろう。
別に買えないという訳ではないが、中々に痛い出費だ。
とはいえ、ここで買わないという選択肢もない。
「まあいいか。えっと――」
「海斗は払わなくていい。私が払う」
「え? いや、でも」
凪の雪のように白い手が、財布を取り出した海斗の手に重なった。
もしかすると海斗があまりお金に余裕がないからと、助け舟を出してくれたのかもしれない。
確かに嬉しくはあるのだが、彼氏として情けなさ過ぎるのではないか。
何とか払おうとする海斗へと、不満そうな目が向けられる。
「海斗の服を買うって言ったのは私。だから、これは私が払うべき」
「俺の服なんですよ? 俺が出すべきでしょう」
「そんな事ない。私の我儘なんだから、海斗は気にしないで」
「そういう訳にもいきませんって」
凪の言い分は理解できるが、はいそうですかと納得は出来ない。
結果としてレジの前で軽い言い合いになっていると、女性の店員が微笑ましそうな笑みを零した。
「今日は彼女さんが彼氏さんの服を買いに来たんですよね?」
「は、はい、そうですが……」
「なら、ここで払ってもらうのが彼氏の甲斐性というものですよ」
「それは甲斐性とは言わない気が……。いやでも、うーん……」
まさか店員が凪の味方をするとは思わず、海斗の心が僅かに揺れ動く。
その隙を逃さないとばかりに凪が海斗との距離を詰め、上目遣いをした。
「私にとっては甲斐性なの。だから、いいでしょ?」
懇願の形ではあるが、何が何でも譲らないという凪の意思が見える。
至近距離の澄んだ瞳が吸い込まれそうな程に綺麗なのもあって、負けを認めて肩を竦めた。
「分かりましたよ。本当にありがとうございます、凪さん」
「お礼を言うのは私の方だよ。買わせてくれてありがとう」
凪がお礼を言うのは変ではないかと思ったが、満足そうな笑みを浮かべており指摘出来ない。
あっという間に支払いが終わり、凪が店員にもお礼を言って店を出ようとする。
「お幸せに。また当店をご利用してくださいね」
後方から聞こえてきた弾んだ声に振り返れば、店員が実に楽しそうな笑みを見せていた。
羞恥に頬が炙られつつも会釈を返し、今度こそ店を出る。
「元々服はばっちりだったけど、これで海斗も納得出来た? 準備してないとか思わない?」
「思いませんよ。この服、大事にしますね」
今まで自分で買った服も大切に扱っていたが、これは更に大切にしなければ。間違っても雑に扱う事など出来はしない。
決意と共に告げれば、喜びに満ちた甘い笑顔が返ってきたのだった。
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