第153話 仕返し

「お疲れ様でしたー」


 喫茶店のバイトを特に問題なく終え、店から出る。

 スマホを見ると、ほんの五分前に「今から帰る」と凪からの連絡が入っていた。

 

「うーん。これなら迎えに行けるかな」


 基本的に海斗と凪はずっと一緒に行動しているので、片方を迎えに行く事はない。

 例外と言える海斗がバイトに行く時は、迎えは必要ないと凪に伝えているのもある。

 だが、このタイミングでの連絡はチャンスではないか。

 残念ながら凪達がどこに出掛けているか分からず、スマホで連絡を取る。

 電車を使ってデパートに出ていたとの事だったので、すぐに近くの駅へと向かった。


「さてと。後は待つだけだな」


 駅に到着して時間を確認すれば、凪に聞いた到着時間まで少し余裕がある。

 改札口前の柱に背を預けてスマホを見て時間を潰していると、すぐに電車が到着した。


「凪さんと美桜はどこかなっと」


 二人共が紛う事なき美少女だし、人込みの中でもかなり目立つだろう。

 それだけでなく凪の髪は珍しい銀色なので、探すのに苦労はしないはずだ。

 海斗の予想通り、改札口へ向かう人の流れの中であっさりと凪と美桜を見つける事が出来た。


「お疲れ、二人共」

「お、海斗だ。やほー」

「海斗。迎えに来てくれてありがとう」


 美桜がへらりと軽い笑みを浮かべて挨拶し、凪が嬉しさを滲ませるような微笑で海斗へお礼を述べる。

 美少女二人に話し掛けられた男、という立場の海斗に嫉妬と興味の目が向けられた。

 しかしこの程度最早気にもならないと、周囲を無視して海斗も凪達へと笑みを向ける。


「俺がしたかっただけなので、気にしないでください。それと、二人共楽しめたか? トラブルは起きてないか?」


 凪が家を出る際に注意はしたものの、やはり気がかりだった。

 念の為に尋ねれば、美桜の顔が僅かに引き攣る。


「いやぁ。トラブルというか、何というか……」

「あったみたいだな。大丈夫だったか?」

「そりゃあ勿論。ナンパされたけど、凪ちゃん先輩が撃退しただけだからね」

「え? 凪さんが?」


 ナンパの相手は主に美桜がすると思っていたので意外だった。

 顔を覗き込むと、凪はトラブルを思い出したのか嫌そうに顔を歪ませる。


「うん。だってしつこかったし、折角の買い物を邪魔するから」

「気持ちは分かりますが、珍しいですね」


 凪が感情を露わにする時は、海斗が関係している事が多い。

 しかし今回は違っていたので、美桜との買い物を邪魔されたから怒ったのだろう。

 苦笑しつつ感想を告げれば、凪が左右に首を振る。


「珍しくない。だって今日の買い物は明日の――」

「凪ちゃん先輩、ストップです!」


 凪が言葉を言い切る前に、美桜が遮った。

 美桜にしては珍しい割り込み方に違和感を覚える。

 なのに割り込まれた側の凪は気にしておらず、それどころかしまったという風な表情を浮かべて口を閉ざした。


「駄目ですよ、凪ちゃん先輩。ね?」

「ん。そうだった。海斗には内緒」

「はぁ……。二人が平気なら、俺は別にいいけど」


 隠し事があるのは当たり前だと思っていても、目の前で隠されると気になる。

 とはいえ、この様子だと尋ねても答えてくれないだろう。

 凪と美桜が平気ならば構わないと、思考を切り替えた。


「それじゃあ帰ろうか。美桜も送って行くよ」

「私は迎えが来てるから大丈夫。二人でゆっくり帰りなさいな」


 美桜が海斗達の家と逆方向の駅の出口へと足を向ける。

 わざわざ違う方向に来てもらったのは、もしかすると沖嗣か静音が来たからかもしれない。

 面と向かって何を話せばいいか分からないので、素直に美桜の提案に乗る。


「じゃあそうさせてもらうよ。気を付けてな」

「今日はありがとね、美桜。また」

「二人共、またねー!」


 美桜がぶんぶんと勢い良く手を振り、去っていった。

 二人きりになった事で凪と手を繋ぎ、ゆっくりと家へ向かう。


「今日は楽しかったですか?」

「うん。初めて美桜と二人きりで出掛けたけど、すっごく楽しかった。満足いく物が買えたし」


 かさりと手に持っている袋を揺らし、凪が目を細めた柔らかい笑みを見せた。

 片手で持てるものではあるが、それなりに大きいのでここまで持つのは大変だったかもしれない。


「なら大成功ですね。でも、重いなら俺が持ちましょうか?」

「平気。これは私が持たなきゃいけない物だし、海斗には持たせない」

「りょーかいです」


 凪なりのこだわりを受け入れ、肩を竦める。

 すると、彼女はにんまりと何か企んでいるような、楽し気な笑みを浮かべた。


「明日は期待しててね、海斗」

「そういう事ですか。なら、滅茶苦茶期待しておきます」


 明日という凪の言葉に、少し大きめの袋。

 その二つがあれば、海斗でも凪が何を買ってきたか察せられる。

 頑張って準備した恋人が愛しくて、唇が弧を描く海斗だった。





「さてと。それじゃあ海斗には昨日の仕返し」


 凪と一緒に家に帰り、それからの晩飯や風呂、そしてその後の穏やかな時間はいつも通り流れた。

 しかし、海斗が昨日強引に寝かしつけたのをきちんと覚えていたらしい。

 寝る準備をしてベッドに上がると、凪が僅かに頬を膨らませて海斗を見つめた。


「分かりました。それで、俺は何をすればいいですか?」


 この期に及んで抵抗する気はない。

 理性で欲望を固く縛って尋ねれば、アイスブルーの瞳に揶揄いの色が宿った。


「海斗は私に背を向けて、じっとしてる事」

「背を向けて、ですか? まあ、いいですけど」


 凪と一緒に寝る際は必ず向き合っていたので、背を向ける事に違和感を覚える。

 しかし凪のリクエストなのだからと、すぐに体勢を変えた。

 すると細い腕が海斗の首に絡みつき、後頭部に柔らかい感触が当たる。

 何が当たったのか簡単に想像出来て心臓が跳ねたが、幸いな事にすぐその感触はなくなった。

 代わりに後ろから聞こえて来る布団が擦れる音が、嫌な予感を沸き上がらせるのだが。


「どう? 私の声、近いでしょ?」

「っ!? そ、そうですね」


 急に耳元で話されて、思わず体が震えてしまった。

 今まで誰かにこんなに近い距離で話された事などなかったが、どうにもくすぐったい。

 そして、海斗の動揺が密着している凪に伝わるのも当然だ。

 くすり、と小さな笑みが耳の傍で聞こえ、吐息が耳に当たる感触に背筋が震える。


「今日は寝るまでずっとこうしていようかなー」

「い、いやぁ。この体勢だと凪さんが辛いんじゃないですか」

「そんな事ないよ。だから、いっぱいするね?」

「…………ハイ」


 性的な事など全くしていないはずなのに、理性が試される海斗だった。

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