第152話 事前準備
海斗が凪の家に引っ越した日は、彼女を強引に寝かしつけた。
そして次の日起きた凪は、表面上昨日の事などないように振舞っている。
とはいえ、夜に仕返し出来るからというのがありそうなのだが。
「そうだ。今日海斗はバイトだよね?」
「ですね。三時くらいから七時くらいになると思います」
清二には引っ越しが忙しいなら休んでもいいと言われたが、もうやるべき事はなくなった。
だからこそバイトに出るのだが、凪とのデートが控えているのも忘れていない。
彼女を蔑ろにしたと思われたらどうしようかと不安になり、焦って口を開く。
「荷解きは昨日のうちに終わりましたし、時間も出来たのでデートは明日でもいいですか?」
「うん、大丈夫。むしろその方が嬉しい」
「なら明日ですね」
基本的に予定を入れない凪にしては珍しく、デートは明日の方が良いらしい。
海斗がバイトに行くのも含めて、むしろ喜んでいるように見える。
不思議に思って凪の顔色を窺うが、いつも通りの無表情からは内心が読み取れなかった。
「それと、今日ちょっと出掛ける。帰りは海斗のバイト終わりにくらいになると思う」
「り、了解です。……珍しいですね」
海斗の知る限り、人込みが苦手なのもあって凪が私用で出掛ける事はまずない。
出掛けるとしても、まずは海斗を頼るだろうと思っていた。
しかし、いくら同棲していても凪が全てを海斗に見せている訳ではないはずだし、知られたくない事もあるだろう。
そう頭では分かっていても、これまでに無い事だったのでつい詮索してしまった。
失敗を悟り、すぐに頭を下げる。
「すみません、余計な事を言いました」
「ううん。海斗が気にするのは当たり前だから、気にしないで。それに、私からもちゃんと説明しておきたい」
「そう言ってもらえると助かります。でも、許嫁だからって全部話す必要はないんですよ?」
ゆっくりと首を横に振られて、安堵が海斗の胸を満たした。
詳細は気になるものの、凪が言いたくないなら言わないでいい。
重い男だと思われたくないし、束縛するつもりはないと凪に分かってもらえたらそれで充分だ。
だが凪は海斗の言葉を聞いても納得せず、小さな口を開く。
「ううん。私が話したいの」
「まあ、それならいいですけど」
凪の中でそれがケジメというなら、海斗も止めない。
ジッと凪の言葉を待つと、彼女が何故か恥ずかしそうに頬を染めて語りだす。
「えっと、今日はその、美桜と買い物に行くの」
「ああ、美桜とですか。ナンパは怖いですけど、あいつとなら安心です」
凪と美桜が外を歩くと間違いなく人目を惹くだろうし、ナンパもされるはずだ。
凪ならば親しい人以外に割とあっさりした対応をするので大丈夫かもしれないが、万が一の可能性もある。
しかし美桜はその手の相手に慣れているので、絡まれても撃退してくれるだろう。
買い物に関しても、女性同士ではないと出来ない買い物があるので納得出来た。
ホッと胸を撫で下ろしつつも、念の為に凪へ尋ねる。
「でも、十分に気を付けてくださいよ? 凪さんは美人なんですからね」
「はえっ!?」
自分の見た目に自覚を持って行動して欲しいと告げれば、凪が素っ頓狂な声を漏らした。
少し朱に染まっていた頬は一瞬で真っ赤になり、華奢な体は左右に忙しなく揺れる。
「か、海斗が綺麗って……」
「そりゃあ凪さんは綺麗でしょう。今更何を言ってるんですか?」
「だ、だって、あんまり見た目だけを褒めてもらえる事って無かったから……」
「…………あれ?」
よくよく考えれば、凪の容姿を褒めた時は私服を買う際やスクール水着等、服装も含めてだった気がする。
唯一の例外は凪が猫の真似をした時くらいだが、あの時も彼女は非常に取り乱していた。
凪の慌てる姿は可愛らしいものの、許嫁を全く褒めていなかった事を自覚して、海斗の背中に冷や汗が流れる。
「も、もっと口にするべきでしたね、すみません! これからはきちんと褒めますから!」
「……具体的には?」
アイスブルーの瞳が期待に輝き、凪が海斗との距離を詰めた。
まさかすぐに褒める事になるとは思わなかったが、これくらい許嫁となった今の海斗ならば喜んでだ。
「凪さんの目って綺麗な蒼色ですし、ずっと見ていたくなるんですよね。肌は真っ白で手は滅茶苦茶触り心地良いですし、髪は俺にない銀色で本当に素晴らしいです。それと――」
「ま、待って。分かった、分かったから」
「もういいんですか?」
今まで凪をあまり褒めなかったので、もしかすると不安にさせたかもしれない。
なのでもっと褒めるつもりだったのに、何故か止められてしまった。
確認を止めれば、耳どころか首まで真っ赤にした凪が、無言でこくこくと頷く。
「ならいいですけど、毎日見惚れてるくらいに凪さんは綺麗なんです。これまでは俺が悪かったんですけど、少しでも俺の想いが伝わってたら嬉しいです」
「もう十分だから、今はやめてぇ……」
「す、すみません」
羞恥が限界に来たようで、ついに凪がへたり込んだ。
どうすればいいか分からず手を上げては下げてを繰り返していると、何とか落ち着きを取り戻した凪が深く深呼吸して立ち上がる。
「……海斗は、今まで通りでいて」
「え? でもあんまり褒めなかったんですよ? まあ着替えた時には褒めてましたが、それだけでいいんですか?」
「うん。それだけでも十分。むしろ変えると私が大変」
「はぁ……。凪さんがそう言うなら」
女性は恋人に褒められたいものだと思ったが、どうやら凪は違うらしい。
とはいえおめかしした時は今まで通り褒めて欲しいようなので、忘れないようにしなければ。
一応の納得を示すと、凪が空気を変える為にかこほんと咳払いした。
「とにかく、今日は美桜と買い物に行ってくるからね」
「了解です。俺と一緒の時間くらいに帰るって言ってましたけど、晩飯はどうしますか?」
「勿論海斗の。外食で済ませる気なんてない」
「分かりました」
他の人と遊んだとしても、一日の最後の飯は必ず海斗の料理にする。
そんな決意が伝わってくる言葉に、頬を緩める海斗だった。
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