第148話 次に進むために

 凪の耳元で話し続けた結果、彼女は海斗の腕の中で暴れ始めた。

 しかし離れるのを嫌がったので、結局海斗に捕まっている。

 そうして凪が暴れ疲れて、今は海斗に体重を預けてぐったりしていた。


「はぁ……。はぁ……」


 息を切らし、頬を紅潮させる姿は男を誘っているように見える。

 とはいえ凪にはそんな意識などないはずだし、こうなった元凶は海斗だ。

 流石に罪悪感が沸き上がってきて、凪の頭を慰めるようにしてゆっくりと撫でつつ謝罪する。


「すみません、やりすぎちゃいました」

「……かいとの、いじわる」

「ホントすみません」


 怒ってはいるが本気ではないようで、凪は未だに海斗から離れない。

 暫く余計な事はしないでおこうと、凪の頭を撫でるのに集中する。

 しかし散々悪戯した事で、海斗の当初の目的通り意識してしまったのか、凪が僅かに身を固くした。


「ん……」

「嫌だったり怖かったりしたら、離れていいんですからね?」

「嫌でも怖くもない。……ちょっと、思い出しただけ」

「美桜から言われた事をですか?」

「っ!?」


 どうせいつか話さなければいけないのだから、出来るだけ早い方が良いだろう。

 そう思って遠慮なく踏み込めば、腕の中の体がびくりと跳ねた。

 思い切り振り返った凪の表情は、驚愕に彩られている。


「何を言われたのか、分かるの?」

「喫茶店から帰る時からあんなに挙動不審なら、内容くらい察せますって」

「うぅ……。避けてごめんなさい」

「避けてたとは違う気がしますが、謝る必要はありませんよ」


 今までの凪は、海斗を異性と意識しつつもキス以上の事を気にしていなかった。

 そんな状況で美桜から入れ知恵をされたのなら、あんな態度になるのも無理はない。

 とはいえ、聞かなければいけない事もある。


「何を美桜から言われたのか、詳細は聞きません。でも、嫌じゃなかったですか?」


 想いを繋げていても、許嫁であっても、キスやそれ以上の行為を嫌がる人は居るはずだ。

 昨日の凪はあくまで海斗を強く意識していただけだろうし、渚も居たので本音を聞けてはいない。

 凪が嫌だと言うなら決して海斗からはしないと覚悟を持って尋ねると、凪の首が勢い良く左右に揺れた。


「嫌なんかじゃない! 今まであんまり意識してなくて、驚いただけ」

「そう、ですか。……良かった」


 自らの恋愛感情に気付くのが遅かった凪ならば、キス以上の事を意識しないのも分かる。

 もしかすると、海斗にそこまで求められないと勘違いしていたのかもしれない。

 頬を紅色に染めつつ僅かに唇を緩める姿からは、嫌悪感など欠片も見られなかった。

 凪の意見を尊重すると言ったとはいえ、実際に耐えるとなれば思春期の男子高校生には辛い。

 そうならなくて良かったと胸を撫で下ろせば、凪が海斗のシャツを摘まんだ。


「海斗は、したい? キスとか、その先の事とか」

「そりゃあ俺も男です。したくないと言えば嘘になりますね」


 期待にか潤んだアイスブルーの瞳は欲望を刺激し、艶やかな唇は海斗を誘う。

 思わず奪いたくなったが、ここで行動に移すのは凪が嫌がっていなくてもするべきではない。

 何とか欲望を理性で縛って肩を竦めると、凪が腰を浮かせて海斗へと顔を寄せた。

 互いの吐息すら当たる距離で、小さな口が言葉を紡ぐ。


「海斗がしたいなら、いいよ」

「……っ」


 男の欲望を全て受け入れるという、慈愛と僅かな期待に彩られた笑み。

 そんな魅力的な笑みを向けられて、ぴくりと手が動いてしまった。

 彼女の態度からして、ここでキスをしても何の問題もないのだろう。

 けれど、歯を食いしばって凪を再び膝の間に座らせた。

 澄んだ蒼の瞳がぱちくりと瞬きを繰り返す。


「気持ちは嬉しいですけど、今は止めておきます」

「え、えっと、私は無理してないからね? 我慢はダメだよ?」

「お願いですから、今は我慢させてください。男のプライドってやつです」

「う、うん……?」


 最初の告白は凪からだったし、それ以降も海斗は殆ど凪に引っ張られている。

 海斗から踏み出した事といえば二度目の告白くらいだろうか。

 だからこそ、次の行為であるキスは海斗から動きたい。

 みっともないと思いつつも懇願すれば、説明を省き過ぎたようで凪がこてんと首を傾げた。

 無垢な姿に沸き上がっていた欲望が抑えられ、ふっと肩の力を抜く。


「でも、ずっと我慢したくないので、デートに行きませんか?」

「デート? どうして?」

「そりゃあ俺達って正式にデートした事がないですし、デートの終わりは、その……。キスしてもいいかなと」

 

 普通は雰囲気を作ってその場で意思を確認し、キスをするのだろう。

 けれど凪を納得させる為に、ついこの場で口にしてしまった。

 とはいえ、デートの件も含めて口に出した言葉に嘘はない。

 似たような事はクリスマスイブにしているが、凪は恋心を自覚していなかったのだから。

 あれを一度目のデートとカウントするのは、流石にどうかと思う。

 そう頭では冷静に思考しているものの、この場でキスの確認をしてしまったという羞恥が海斗の頬を炙る。

 視線を逸らして凪の反応を待っていると、彼女が一度だけ顔を俯かせて思いきり抱き着いてきた。


「な、凪さん?」

「海斗は、ずるい。そんな事言われたら、受け入れるしかなくなる」


 蕩けたような満面の笑みからは、デートのお誘いが嬉しかった事が伝わってくる。

 断られないとは思っていたが、正式に受け入れられた事で歓喜が胸を満たした。


「それで、いつ行く?」

「なるべく早く行きたいんですが、もう少ししたら引っ越しみたいなんですよね。それが終わってからでいいですか?」


 美桜曰く引っ越し業者をすぐに手配したとの事で、あと数日で海斗はボロアパートからおさらばだ。

 殆ど物はないので整理に時間は掛からないとは思うが、念の為に落ち着いてからの方が良いだろう。

 すぐに行動出来ない申し訳なさに頭を下げれば、凪が口元を緩ませて首を縦に振る。


「勿論。急いでないから、気にしないでね」

「ありがとうございます。なら当日までにデートのプランを考えておきますから、期待しててくださいね」

「うん? 海斗だけが考える必要ないよ?」


 デートの時は男があれこれ考えるべきかと思ったのだが、即座に否定されてしまった。

 戸惑う海斗へと、呆れを滲ませた苦笑が向けられる。


「一緒にお出掛けするんだし、二人で考えればいい。それにどうせ海斗の事だから、私が楽しければそれでいいって自分を蔑ろにするはず」

「…………まさかぁ」


 完璧に内心を言い当てられ、即座に答えられなかった。

 そんな海斗の反応を見逃すはずもなく、凪がじっとりとした視線を海斗へ送る。


「ほら、反応が遅れた。図星でしょ」

「スミマセン」

「もう。一人で抱え込むの禁止。いい?」


 余程不服なのか、凪が腰に手を当てて頬を膨らませた。

 子供を相手にするような凪の言い方だが、ここで抵抗するとおそらく彼女は本気で怒るだろう。

 今回くらいはリードしようと思ったのだが、結局凪のペースに流されてしまった。

 もしかすると、海斗はこれから先も凪をリード出来ないのかもしれない。


「……はい」


 凪が納得しているならばいいかと、抵抗を諦めて頷くのだった。

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