第147話 許嫁の弱点

「う、ん……」


 ゆっくりと意識が覚醒していき、身じろぎしようとする。

 けれど体は殆ど動かなかった。

 不思議に思ってまぶたを開ければ、左右に美少女の顔が見える。


「役得ではあるけど、動けないのは辛いって……」


 許嫁である凪だけでなく、その妹である渚も海斗へぴったりとくっついていた。

 姉妹に挟まれて寝る男、という存在にまさか海斗がなると思わなかったが、気分は悪くない。

 とはいえ凪だけが異性として好意を向けてくれており、渚は兄として慕ってくれているだけなのだが。

 また、何だかんだで身動が取れないのが苦しくもある。

 嬉しさを混ぜ込んだ苦笑を浮かべつつ、二人を引き剥がそうと少し強引に体を揺すった。


「「ん……」」


 ほぼ同時に二人が鼻に掛かったような吐息を漏らし、海斗の腕にしがみつく。

 少しでも拘束が緩めば抜け出せると思ったのだが、これでは逆効果だ。

 どうしたものかと悩んでいると、凪の長い睫毛がふるりと震えた。

 開いたまぶたから見えるとろみを帯びたアイスブルーの瞳は、吸い込まれそうな程に美しい。


「……かい、と?」

「起こしちゃいましたね。すみません」

「いい、よぉ。どうしたの……?」

「喉が渇いたので、水を飲みに行きたいなって」

「分かったぁ。渚ー、起きてー」


 妹相手に気遣う必要はないと思ったのか、凪が渚の体をがくがくと揺さぶった。

 こんな起こされ方をすれば流石に怒るかもしれないと冷や冷やしていると、渚がゆっくりと瞼を開ける。


「うん……? おぁよぅございましゅ、おねーさま、おにーさま」


 昨日、凪と一緒に部屋から出て来た渚はしゃんとしていたのだが、今日は寝ぼけているようで、はしばみ色の瞳はいまいち焦点が合っていなかった。

 どうやら凪と同じく渚は朝が弱いらしく、凪はその点も考慮して強めに体を揺さぶったのかもしれない。

 寝ぼけていてもすぐに挨拶が出るあたり、根っからの良い子なのが分かる。


「おはよー。海斗が水飲みに行きたいから離してだって」

「すみませぇん……。すぐはなしましゅ」

「怒ってる訳じゃないから、気にしないで」

「はいぃ……」


 しゅんと頭を下げた渚だが、未だに眠気が晴れていないのか、頭がふらふらと左右に揺れていた。

 ちらりと時計を見れば昨日海斗が起きた時間よりも少し早いので、二度寝してもいいだろう。

 そのまま寝かせようと思ったのだが、海斗が提案するよりも早く渚がベッドに突っ伏した。


「あうー」

「……私も、寝よっと」


 凪も起きはしたものの眠気には勝てなかったようで、再びベッドへダイブする。

 二人が二度寝するならば、海斗は邪魔しないようにソファで寛ぐべきだ。

 だが、凪と渚は二度寝をしようとしても、ベッドの真ん中を避けて寝ている。


「もしかして、水飲んだら帰って来いって事ですか?」

「そーいうこと。早く帰ってきてねぇ……」

「分かりましたよ」


 まだ意識のあった凪が、薄っすらと目を開けて肯定した。

 海斗も二度寝する事が強制的に決められたものの、今日の予定も午後からバイトが入っているだけなので何の問題もない。

 それどころか、当たり前のように海斗を求めてもらえて嬉しくなる。

 頬を緩ませながら一度部屋を出て、喉を潤した。


「よいしょっと」


 部屋に戻ってきて、なるべく二人を起こさないようにベッドの中心に寝そべる。

 渚は完全に寝ているし、凪も殆ど意識が無いようなものだろうが、それでも海斗に気付いたのか身を寄せてきた。


「やっぱりこうなるのか……。いやまあ、嬉しいけどさ」


 ある意味素晴らしい二度寝になるだろうが、身動きが取れないのは少し辛い。

 けれどこの状況に文句を言うのは贅沢だなと思いつつ、目を閉じるのだった。





「それではお兄様、お姉様、お邪魔しました!」


 三人で昼前まで二度寝し、それからはきちんと起きて軽く昼飯を摂った。

 それからすぐに渚は身支度を済ませ、玄関でぺこりと頭を下げている。


「夜まで居てもいいよ?」

「いえ、もう十分寛がせていただきましたし、流石にこれ以上お姉様達の邪魔をするのは申し訳ないです」


 どうやら渚は、自分が居ると海斗と凪が思い切りいちゃつけないと判断したらしい。

 気を遣われた申し訳なさに苦笑を浮かべるが、渚は満足げな微笑みを落とす。


「でもすっごく楽しかったので、また来ていいですか?」

「勿論。ね、海斗?」

「そうですね。来たくなったらいつでも来ていいから」

「はい! それでは!」


 元気よく返事をした渚が、エレベーターへと向かっていく。

 西園寺家まで送った方が良いかと思ったのだが「一人で帰れます」と言われたので、玄関から見送るだけに留めた。

 小さな背中がエレベーターへと滑り込み、下へと降りていくのを確認して部屋に戻る。

 昨日からずっと三人以上で過ごしていたので、二人きりになるとどうにも部屋が広く感じた。

 胸に沸き上がる寂しさを抑えつつソファに座ると、凪が海斗の目の前に立つ。


「えい」

「うおっと」


 くるりと海斗へ背を向けた凪が、遠慮なくもたれてきた。

 焦りはしたものの、しっかりと抱き留めて広げた足の間に凪を座らせると、至近距離から凪が海斗を見上げる。


「やるって宣言してたからやった。……ダメ?」

「ダメな訳ないでしょう?」


 渚が帰ってからすぐに行動へ移した事から察するに、余程したかったのだろう。

 可愛らしい嫉妬に頬を緩ませつつ、力を込めると折れそうな程に細い腰へ腕を回す。

 苦しくない力加減で抱き締めれば、凪がくすぐったそうに身じろぎした。


「これ、いい。海斗がすっごく近い」

「同感です。こうしてると、凪さんを独占してるようで幸せですし」

「私は海斗のものだから、いっぱい独占してね」


 凪としては単に事実を言ったつもりなのだろう。

 けれど海斗に抱き締められながら言われると、誘っているように思えてしまう。

 海斗だけが意識しているのがしゃくで、昨日の一時期のように意識してもらおうと、凪の首元に顔を寄せた。


「勿論ですよ。逃がしませんから」

「っ!?」


 今まで凪と密着するのは寝る時くらいであり、耳元でささやくのは初めてだ。

 凪が面白いようにびくりと体を跳ねさせたのが可愛らしく、海斗の唇が弧を描く。


「どうしましたか?」

「か、海斗。ちょっと、近い」

「そりゃあ凪さんが俺の膝の間に座ってますからね。近くなるのは当たり前では?」

「そう、だけど。背中が、ぞくぞくするぅ……!」


 どうやら凪は耳が弱いようで、海斗が言葉を発する度に身を捩らせた。

 あまり見ない姿に嗜虐心が沸き上がり、しっかりと彼女を抱き締めて逃げられないようにする。


「さあ、何ででしょうね?」

「あ、ちょっと、息が、耳にぃ……」

「嫌ですか? なら離れますけど」

「嫌じゃないけど、何か変な感じがするぅ!」

「気のせいですよ。気のせい」


 海斗に悪戯されているというのに、凪はそれでも離れたがらない。

 そのせいでつい調子に乗ってしまい、凪のやんわりとした抵抗の言葉を流し続けるのだった。

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