第146話 ベッドに寝る順番

「ありがと、海斗」

「ありがとうございます、お兄様」

「どういたしまして」


 何とか西園寺姉妹の髪を乾かし終えて一息つく。

 覚悟はしていたが、やはり二人同時に髪を乾かすのは大変だった。

 ソファに腰を下ろし、体の力を抜く。

 すると、渚が海斗の前に立って顔を覗き込んできた。


「お兄様、今日はもう何もする事はないですよね?」

「そうだね。後は寝るだけかな」

「でしたらやってみたい事があるんです。いいですか?」

「余程変なものじゃなければ」


 渚は凪を揶揄ったりはするものの、きちんと分別があるので大変な事にはならないだろう。

 とはいえ万が一があっては困ると、一応釘を刺して許可した。

 幼くも可愛らしい顔立ちに、歓喜の色が宿る。


「大丈夫です。お兄様は座ってるだけなので! それでは失礼します!」


 渚がくるりと身を翻し、海斗に背を向けた状態で近付いてきた。

 やりたい事は察せたものの、全く予想していなかった驚きに海斗が固まる。

 そんな海斗などお構いなしと言わんばかりに、渚が海斗の膝に乗った。


「えへへー。お兄様を椅子にしちゃいました!」


 してやったりという風な笑みを浮かべる渚だが、どうにも小動物感が強い。

 彼女が小学生低学年であり、小柄な凪よりも更に小さいからだろう。

 膝に乗られたとはいえあまりにも軽く、小学生特有なのか、高い体温が心地良い。

 普段からミルクのような甘い匂いはしているが、風呂上りだからか一段と甘い気がする。


「ダメでしたか?」

「……いや、まあ、俺はいいんだけどね」


 一度許可したのだから、後で「やっぱりナシ」というのは卑怯だろう。

 それに、渚に甘えられるのは兄として必要とされているようで悪くない。

 問題は、隣に座っている許嫁だ。

 ちらりと視線を送れば、整った顔が嫉妬に彩られているのが見える。


「あ、あんなの私ですらしてもらった事がないのに……!」


 甘え下手な凪は、渚のような行動を思いつかなかったのだろう。

 凪と過ごしていると膝枕か肩に頭を乗せられるかだったので、当然ながらこんな事をするのは渚が初めてだ。

 凪が一番乗りでないのは申し訳ないが、今更渚を引き剥がす訳にもいかない。

 苦笑を浮かべ、歯噛みしている凪を見つめた。


「……何か、すみません。明日は凪さんがしますか?」

「思いつかなかった私が悪いだけだから、海斗が謝る必要なんかない。でも、明日は絶対してね」

「勿論です」


 凪は渚よりも大きいので、膝に乗るのは無理かもしれない。

 しかし海斗の膝の間に座ってくれれば、似たような事が出来るはずだ。

 決して忘れないと宣言すれば、凪の顔が歓喜に彩られた。

 既に、海斗がバイトを終えた時の変に意識している姿など見る影もない。

 おそらく、渚が海斗に甘えてくれたお陰で凪の意識がそちらに持って行かれたのだろう。


(まあ、変に意識し過ぎるのは良くないからな)


 凪に嫌われていないのは分かっているので放置していたが、ずっと微妙な距離なのは辛いものがある。

 それに、キスやその先の事は焦ってする必要などないのだ。

 少なくとも、渚の前であれこれ話をするようなものではない。

 ひっそりと胸を撫で下ろせば、膝の上に乗っている渚がぐりぐりと後頭部を胸に押し付けてきた。


「私を無視しないでくださいよー」

「ごめんごめん」


 凪の方が大事なのは変わらないが、甘えてくれる渚を軽く扱うのも良くない。

 謝罪をしつつ、艶やかな黒髪を撫でる。


「お兄様の手は気持ちいいですねぇ……」

「……いいなぁ」


 海斗の手で蕩ける渚に、隣で本を読みつつも嫉妬するのは忘れない凪。

 そんな二人と、ゆったりとした時間を過ごすのだった。





「ふわぁ……」


 まだ寝るには早い時間だが、渚の頭を撫で続けていると、彼女が手で口元を抑えて上品に欠伸を漏らした。

 時計を見れば子供が寝てもおかしくない時間なので、薄い肩を軽く叩く。


「そろそろ寝ようか」

「だいじょぶ、です。まだ、起きられます」

「無理しなくていいって。凪さんはどうですか?」

「昨日は割と夜更かししたから、今日は早めに寝ようかな」


 渚を気遣うという意味もあるだろうが、夜更かしして疲れが残っているのも本当なのだろう。

 アイスブルーの瞳は、僅かに蕩けていた。

 ぱたりと本を閉じて立ち上がる凪に流されるように、渚も海斗の膝から腰を浮かせる。


「す、すみませんお姉様」

「私が寝たいから寝るだけ。ほら、準備しよう?」

「はい」


 姉妹が仲良く洗面所へ行くので海斗もついていき、寝る準備を終えた。

 リビングに戻ってきて布団を敷こうと思ったのだが、海斗の手を細く白い手が掴む。


「今日は海斗も一緒に寝る」

「確か美桜が居る時にそう言ってましたけど、ホントにやるんですか?」

「ん。女に二言はない」

「そうですよ。お兄様も一緒に寝ましょう」


 ことわざの性別が違うのではと突っ込む暇すら与えず、渚も海斗の手を掴んだ。

 姉妹に両手を拘束され、逃げる事が出来なくなる。

 それでも二人は海斗が本当に嫌ならば辞めるつもりのようで、無理矢理引っ張りはしない。

 積極的なのか奥手なのか分からない姉妹にくすりと笑みを零し、頷きを返した。


「分かりました。でも、窮屈なのは我慢してくださいね」

「全然平気」

「私もです! さあ行きましょう!」


 二人に手を引かれ、凪の自室へと入る

 見慣れたベッドに入ろうとしたが、そこでふと疑問が浮かんだ。


「寝る順番ってどうするんですか? 一応、俺が通路側で寝ようと思うんですが」


 三人で寝る以上、通路側で寝る人間が叩き出される可能性はある。

 なのでそうなっても構わないように、海斗がそこで寝るべきだろう。

 しかし海斗の提案に、姉妹が同時に首を振った。


「私か渚のどちらかが海斗と一緒に寝れなくなるからダメ」

「そうですね。それにお兄様の隣を取り合ってお姉様と喧嘩する事になりますが、いいですか?」

「それはちょっと……」


 息の合った姉妹の姿を見れたのはいいが、海斗が意見を曲げなければ、この後に不毛な争いが待っている。

 流石に今から寝るという状況で喧嘩はして欲しくない。


「分かった。なら俺が真ん中って事かな?」

「それでお願い。念の為に私が通路側で寝るから、渚は先に入って」

「分かりました」


 海斗が納得した事であっさりと順番が決まり、ベッドへと入る。

 三人で寝るのは初めてなので勝手が分からなかったが、二人と相談して何とか落ち着く事が出来た。

 いつもと同じように凪へ腕を伸ばせば、すぐに彼女の頭が乗る。


「ん。最高の枕、げっと」

「お姉様だけ狡いです。私もお願いします」

「……渚なら良し」

「俺の腕が両方とも使えなくなるんですが……。まあいいか」


 姉妹に両腕を拘束される男など、そうそう居ないだろう。

 しかし二人が望んだのだからと、渚の方へも腕を伸ばす。

 すぐに小さな頭が乗り、海斗の両腕が使えなくなった。


「こういうの、何だか楽しい」

「ですね。それに、お兄様とも一緒に寝たかったので夢が叶いました」


 幼げな声と透き通った声が両側から聞こえてきて、背中がむずむずする。

 しかも二人共が海斗へ身を寄せているので、温もりや匂いも二人分だ。

 贅沢な悩みだとは思うが、こんな状況で眠れる訳がない。


(……今日ぐらいはいいか)


 海斗越しに楽し気に会話する姉妹の声を聞きつつ、諦めの境地で体の力を抜く海斗だった。

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