第145話 危機一髪

「「「ごちそうさまでした」」」


 晩飯を平らげ、三人で手を合わせる。

 片付けの為に立ち上がると、渚も同じように腰を浮かせた。


「お手伝いします、お兄様!」


 甘えるのとは違うが、渚は少しでも海斗とスキンシップを取りたいのだろう。

 ちらりと凪を見れば、ほんの僅かに唇が尖っていつつも、何事もないように表情を取り繕っている。

 片付けも許可したと判断し、渚へと視線を向けた。


「それじゃあ頼もうかな」

「はい! 任せてください!」

「凪さんはゆっくりしていてくださいね」

「うん。お言葉に甘えさせてもらう」


 凪がソファに向かうのを見送り、渚と共に食器を片付ける。

 その後は渚にテーブルの掃除を任せ、それでも手が余ったので海斗が洗った食器の軽い水切りをお願いした。

 てきぱきと淀みなく手を動かす姿に感心を覚える。


「作る時も手際が良かったし、いつも桃花さんを手伝ってるの?」

「出来る限り手伝ってますね。お母様の為というのもありますが、身の回りの事は一通り出来るようになりなさいと言われているので」

「へぇ……」


 凪は孤児院時代もあって、身の回りの事はほぼ完璧に出来る。出来るのと実際にやるかは別の話だが。

 渚がどうなのかは分からなかったが、どうやら自分である程度の事を出来るようにするのが西園寺家の方針のようだ。

 それが良い方向に向かったからこそ、渚は小学生低学年とは思えないくらいに大人びているのだろう。

 とはいえ、料理や家事は決して楽しみ続けられるようなものではないはずだ。

 皿洗いを終えてきちんと手を拭き、艶のある黒髪に頭を乗せる。


「渚は偉いね」

「そ、そうでしょうか。……えへへ」


 労うように撫でると、可愛らしい顔立ちがふにゃりと蕩けた。

 もっと撫でて欲しいという風に背伸びをし、海斗の手へと頭を押し付けようとする姿はどんな人をも魅了する可愛らしさだ。

 とはいえ異性に訴えかけるものではなく、小動物的な可愛さだが。

 もしこのまま渚が成長したならば、とんでもなく異性にモテるだろう。

 そんな確信に近い予感を抱きつつ、渚の頭から手を離した。

 はしばみ色の瞳が、物欲しそうに海斗を見上げる。


「あ……。その、もう撫でてくれないんですか?」

「まだ片付けが全部終わってないからダメ」

「なら急いで片付けるので、またお願いします!」


 海斗の返答を待つ事なく、渚が食器を軽く振って水分を飛ばし始めた。

 それもすぐに終わり、食器乾燥機の中に綺麗に入れて次はシンクを掃除し始める。

 海斗がしようかと思ったが、渚があまりにもやる気に満ちていたので、彼女に任せる事にした。


「……じゃあ、俺はソファに行ってるよ」

「はい! 残りは任せてください!」


 子供の意欲は凄いなと思いながらリビングに辿り着き、ソファに腰を下ろす。

 すると、晩飯前のように凪が肩へと頭を乗せてきた。


「……ちょっとだけ」

「了解です」


 自らの発言で招いた事態ではあるが、それでも妹に嫉妬している凪の可愛さが胸を打つ。

 頬を緩めてやんわりと銀糸を撫でれば、美しい顔立ちが嬉しそうに綻んだ。

 その姿は妹とよく似ており、血が繋がっておらずとも姉妹なのだと思わせる。

 しかしそんな甘くむず痒い時間は、キッチンからの足音を耳にした凪が海斗の肩から頭を離した事で終わった。


「お兄様お兄様、もう一度お願いします!」

「勿論、渚は偉いね」

「ふにゃぁ……」


 目を輝かせた渚の頭を再び撫でれば、あっという間に緩んだ笑顔になる。

 海斗の前に座って撫でられていた渚だが、風呂場から聞こえて来た音で瞳に僅かな理性が灯った。


「お風呂が沸きましたね。お姉様、お先にどうぞ」

「何で海斗じゃなくて私なの?」

「今日はお兄様と一緒に入ろうと思うので、時間が掛かりますしお姉様に先に入っていただこうかと」

「え゛」


 全く予定していなかった事を当然のように口にされ、変な声を発してしまった。

 驚いたのは凪も同じのようで、アイスブルーの瞳が大きく見開かれている。


「お父さん達とは入らなくなったって聞いたけど、なのに何で海斗とお風呂に入ろうと思ったの?」

「お父様やお母様と一緒に入るのは何だか恥ずかしいですが、お兄様とは一緒に入ってみたかったので」


 海斗と一緒に入るのに羞恥はないのかと突っ込みそうになったが、それほどまでに信用されているという事なのだろう。

 あるいは兄に甘えられるという状況に、テンションが上がっているだけなのかもしれない。

 しかしいくら婚約者の妹とはいえ、小学生低学年の女の子と一緒に風呂に入ったら犯罪なのは間違いない。

 気持ちは理解出来るが、流石に凪は許容しないはずだ。

 海斗の予想通り、凪が唇を尖らせて渚を見つめる。


「それはいくら何でも許可出来ない。海斗と一緒にお風呂に入っていいのは私」

「お姉様だけ独占するのは狡いです。家族なんですから、別に私とお兄様が一緒に入ってもいいでしょう?」

「その理屈で言うなら、お母さんと海斗が一緒に入って良い事になる。それは変じゃない?」

「変というか、俺としては勘弁して欲しい所なんですが……」


 おそらく凪、は家族であっても一緒の風呂に入るのはおかしいと言いたいのだろう。

 実際、博之と裸の付き合いをするならまだしも、桃花とはどう考えても異常だ。

 頬を引き攣らせながら懇願すれば、凪が自信満々に胸を張る。


「ほら、海斗もそういうのは遠慮して欲しいって言ってる。つまり、お母さんとだけじゃなくて、渚と一緒に入るのもおかしいって事」

「……適当な事を言って話を逸らしているように思えるんですが」


 海斗が説明せずに済んだのは有り難いが、凪に全て任せた結果、渚からは言い訳をしているように見えたらしい。

 はしばみ色の瞳がじとりと細まり、凪の顔に焦りが浮かぶ。


「と、とにかくダメったらダメ。私と一緒に入るので我慢して」

「お姉様とが嫌って訳ではありませんし、何なら嬉しいんですが……。はぁ、分かりましたよ」


 男女の機微など分からないはずの渚が、諦めたように溜息をついた。

 凪の様子から、深く踏み込んではいけないと判断したのかもしれない。

 子供への説明は難しいと内心で思いつつ、話が一段落したので口を挟む。


「それじゃあ凪さんと渚が一緒に入るでいいんですよね?」

「うん。だから海斗が一番風呂に入って。多分私達は時間が掛かる」

「それでお願いします、お兄様。あと、お風呂から上がったら髪を乾かしていただけたらと……」


 請うような上目遣いでのお願いに、海斗の中で断るという選択肢が消え失せた。

 とはいえ渚を優先する事も出来ず、苦笑を落とす。


「それは構わないけど、凪さんのも乾かすからね?」

「はい、それで大丈夫です。よろしくお願いします」


 渚は昨日の海斗と凪のやりとりを見て、流石に割って入っては駄目だと思ったようだ。

 甘えたくはあっても、こういう時はきちんと姉を立てられる渚に小さく頭を下げる。


「ありがとう、渚。それじゃあお先に失礼しますね」

「ん。ちゃんと温まってきてね」

「急がなくて大丈夫ですよー」


 姉妹に見送られて風呂場へ向かい、さっとやるべき事を済ませた。

 その後は海斗と交代で凪と渚が風呂に入り、二人の髪を同時に乾かす事になる。

 昨日と同じように大変な思いをするだろうが、西園寺姉妹の髪を乾かせるのだ。

 贅沢過ぎるなと思いつつ、必死に手を動かすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る