第142話 次のステップ

 美桜と渚が家に泊まりに来た次の日。昼前に起きた凪は、渚や美桜と一緒に喫茶店に来ていた。

 勿論、海斗のバイトを見守る為だが、特にやる事もないので暇潰しに丁度いい。

 凪達以外誰も居ない店内で、美桜と清二が軽い笑みを浮かべながら言葉を交わす。


「いやー。相変わらずこの店は人が居ませんねぇ」

「ははは。駅前とかならまだしも、住宅街にある喫茶店ですからね。それに年始ですし、仕方ないかと」


 趣味でやっているからか、清二が軽い笑いを零して美桜を受け流した。

 海斗が居れば注意の一つくらいしそうなものだが、彼は現在喫茶店の制服に着替えている。

 軽口を叩けるのは信頼の裏返しと思えるが、美桜の言葉に微妙に棘があったのは気のせいだろうか。

 

(二人の間で色々あったんだろうなぁ……)


 清二がいつ海斗の事情を知ったのかは分からないが、最近という事はないだろう。

 そして美桜は、海斗が喫茶店で毎日バイトしていた頃からの客だ。

 兄と妹ではなく親友として接する海斗と美桜を、清二がどういう気持ちで見ていたのか、美桜はそれをどう思っていたのか。

 気にはなるものの、知ってはいけないだろうし、どちらも話してくれないはずだ。

 二人の会話を渚と共に見守っていると、美桜が「そうだ!」と弾んだ声を上げた。


「清二さん、ちょっとだけでいいんで、渚ちゃんを預かってくれませんか?」

「わ、私が清二様にですか? 何で……?」

「ふむ、別に構いませんが、私も渚さんと同意見ですね」


 唐突な美桜の提案に、清二と渚が首を傾げる。

 凪も同じ気持ちであり美桜の顔を窺うと、彼女は何かを企んでいるように唇の端を釣り上げた。


「凪ちゃん先輩はこれから海斗と同棲ですし、色々教えておかないといけない事があるんで」

「…………ああ、そういう事ですか。了解しましたよ」


 今でも海斗と一緒に住んでいるようなものなので、美桜が何を気にしているのか凪には分からない。

 しかし清二は理解したらしく、美桜に頷きを返した。


「では渚さんに社会勉強でも行いましょうか。喫茶店の裏をお見せします」

「え、えっと、私はお姉様達の話を聞きたいんですが……」

「これから話すのは大人の世界の事です。渚さんには少し早いんですよ」

「…………むぅ。分かりました」


 あれよあれよという間に話が進み、渚が清二に連れられて奥に向かう。

 その顔は不満たっぷりだったので、内心では全く納得していないのだろう。

 しかし場の空気を察して行動出来る妹に、届かないと分かっても内心で感謝の言葉を零した。


「さてと、それじゃあ清二さんの言う通り、大人の世界の話をしましょうか」

「もしかして、一ノ瀬家の人から何か言われたの?」

「へ?」


 美桜がわざわざ渚に聞かせないようにしたのだから、余程重い話なのかもしれない。

 話が進んでいる間に考えていた事を口にすれば、美桜がぽかんと呆けたように口を開けた。

 すぐに顔に焦りを浮かべ、手を左右に振る。


「いいいいやいや、違いますって! 警戒させたならすみません!」

「ならいいけど、そんなに教わる事ってあったっけ?」


 どうやら一ノ瀬家に関する事ではないらしく、安堵に胸を撫で下ろした。

 しかし、そうなると凪には美桜が何を気にしているのか本当に分からない。

 思いきって尋ねれば、彼女が顔を輝かせる。


「そりゃあもう! 凪ちゃん先輩は海斗の婚約者です! つまり付き合っている! ここまではおーけーですか?」

「うん。海斗と結婚するのは決めたし、今は許嫁として付き合ってる状態」


 結婚した海斗と凪を想像出来ないが、あまり今と変わらない生活だろう。

 海斗に一生傍に居て欲しいという気持ちに偽りはないし、きちんと恋心もある。

 今の段階で将来の相手だと決められた所で、不満などあるはずがない。

 現状は把握していると胸を張ると、美桜が頷きを返した。


「なら次のステップですね。付き合ってる男女がやる事とは何でしょうか!」

「うーん。デート、かな。クリスマスイブにしてるけど」


 凪が人込みを避けているからか、海斗はあまり凪を外に連れ出さない。

 二人で出掛けたのはクリスマスイブくらいしかないが、思い返せばあれはデートだった気がする。

 残念ながら当時の凪は海斗への恋心を自覚していなかったので、怪しいところではあるが。

 少なくとも海斗はそのつもりだったのだろうと懐かしみながら答えれば、美桜の顔が驚愕に染まった。


「え? 私知らないんですが……」

「誰にも言ってないし、知らなくて当然」

「いや、そうなんですけども。……まあいいや。それじゃあ次は?」

「両親に挨拶、かな?」


 既に海斗は西園寺家で年を越しているし、凪は一ノ瀬家の人達と顔を合わせている。

 こちらも問題ないのではと思ったのだが、美桜が脱力したように肩を下げた。


「いきなり飛びすぎです。というか、それも済んでるでしょうに」

「うん。だから後は結婚くらい」

「ちっがーう! 彼氏彼女なら、もっとやる事があるでしょう!」

「?」


 本気で分からず再び首を傾げれば、美桜が盛大に溜息をつく。


「純粋無垢って怖いなぁ……。これじゃあ先が思いやられるし、荒療治といきましょう。耳を貸してください」

「わ、分かった」


 この場には凪と美桜しかいないのだが、それでも耳打ちしなければならない事らしい。

 戸惑いつつも美桜に体を寄せ、耳を向けた。


「――」

「え? ……はえっ!? うえぇぇぇ!?」


 美桜の口から告げられた言葉の数々に、羞恥が一瞬で沸き上がる。

 一番最初の行為に近い事は一度だけしたが、あれは海斗に凪の存在を感じて欲しかったからだ。

 そもそも凪は小説等を読んで知識として知ってはいるものの、単なる愛情表現の一つでしかないと思っており、いつかはするだろうと漠然とした考えしか持っていなかったのだが。

 そして、その後に凪へと入ってきた知識は、未知ではないものの自分の身に起こると思っていなかった事だ。

 しかし凪と海斗は付き合っているのだから、当たり前なのかもしれない。

 弾かれるように美桜から体を離し、火照った頬を掌で覆う。


「わ、私と海斗が……」

「はい。少なくとも、年頃の男子高校生は大なり小なりそういう事をしたいと考えてますよ」

「海斗も、だよね?」

「そりゃあ海斗も男子高校生ですし」

「はぅ……」


 海斗が凪を異性として見ていなければ、恋人になどならない。つまり、海斗は最初から凪と深く触れ合いたいと思っていたのだ。

 勿論異性として見られているのは十分に理解していたが、他人からもっと先の事を話されると衝撃が大きかった。

 顔を俯ける凪へと、美桜が語り掛ける。


「まあ海斗はあれこれ気にする質ですから、お互いの家の不和を招きたくないとか、凪ちゃん先輩に嫌われたくないとかで、強引な事はしないと思いますけどね」

「そう、だね。海斗はきっと、気にすると思う」

「その結果、海斗からは絶対に手出しをせず、胸の内に欲望をため込むでしょう。貯め込んだ結果暴走するとかはないでしょうが、凪さんはどう思いますか?」

「……そんな事、させたくない。海斗に触れられるのは、嫌じゃないから」


 凪は何があっても海斗の味方でいるつもりだ。そんな凪が海斗に我慢を強いてはならない。

 その時にどうなるかは全く想像出来ないが、少なくとも今の凪の胸には嫌悪感など欠片もなかった。

 美桜に言われたからではあるが、それでも自分の考えを述べると、彼女が嬉しそうに破顔する。


「ならよしです。今すぐにとは言いませんが、いつかそういう事もするんだと、凪さんの頭の中に入れておいてくださいね」

「ん。ありがとう、美桜」


 他人からすれば美桜の行動は余計なお世話かもしれないが、凪にとっては非常に有難かった。

 心からのお礼を口にすれば、美桜がへらりと軽い笑みを浮かべる。


「お礼を言われる事じゃないですって。頑張ってください」

「頑張る」

「……美桜。余計な事を言ってないだろうな」


 ちょうど話が一段落したタイミングで、海斗が喫茶店の奥から出て来た。

 渚を連れているので、清二が社会勉強を海斗に引き継いだのだろう。

 呆れたっぷりの顔だが、その顔を見ただけでどくりと心臓が跳ねた。


「当ったり前でしょー? おにーちゃんに害のある事なんてする訳ないって!」

「うっそだぁ……。凪さん? 本当ですか?」

「え!? う、うん!」


 唐突に海斗の顔が迫ってきて、慌てて視線を逸らす。

 海斗には悪いが、今は彼の顔を見れそうにない。

 凪の反応を見た海斗が美桜を問い詰め始め、軽い兄妹喧嘩が始まる。

 その姿を見つつ、必死に頬の熱を沈めるのだった。

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