第137話 良い姉とは
三人での買い物を終え、海斗は凪の家に帰って料理している。
姉妹喧嘩の末、海斗との料理を勝ち取ったのは凪だった。
渚はというと頬を膨らませて拗ねたので、今は美桜に対応を任せている。
ちらりとキッチンからリビングを覗き込めば、母性の塊に顔を埋めて頭を撫でられている渚が見えた。
「ホント美桜に懐いてますねぇ」
「姉としては複雑だけど、ああなるのも正直仕方がない」
「というと?」
「最近まで渚は私に憧れてたらしいし、家ではあんまりお父さん達に甘えられなかったはずだから、海斗や美桜のように甘えられる人が出来て嬉しいんだと思う」
「……そういう事ですか」
憧れていつつも溝があった凪に、渚が甘えられるはずがない。
そして両親とは仲が良いものの、自分の存在が家族の輪を乱したと思っている以上、こちらも同じだ。
だからこそ渚は兄が欲しいと言っていたのだろうし、美桜にも気を許したのだろう。
美桜が面倒見の良い姉として振舞っているというのもありそうだが。
「それに、私は口下手だから、ね」
苦笑を零す凪の顔に滲んでいるのは、
孤児院時代から他人と上手く話せず、最近まで西園寺家の溝があったからこそ、自分と美桜を比べてしまうのだろう。
けれど、凪が悲観する必要はないのだ。
下拵えを中断して一度手を洗い、それから凪の頭に乗せる。
「でも、凪さんは渚と喧嘩出来るじゃないですか」
「……それって、良い事なのかな? 何かある度に喧嘩してばっかりだし」
「喧嘩したり言い合ったりするのは、それだけ心を許してるって証拠ですよ。まあ、お互いに嫌っていないのが前提ですが」
海斗には美桜が居たからこそ気安い関係というものを知れたし、遠慮のない言葉をぶつける事が出来た。
しかし、凪にはその機会が最近まで訪れなかったのだ。
今では海斗が凪にとって一番近い人物ではあるし、壁を感じてはいないものの、喧嘩はした事がない。
だからこそ、何でも言える姉妹である渚との喧嘩に怯えないで欲しいと願う。
流石に本気で嫌っているのなら凪と渚を引き離すのも考えなければいけないが、二人を見ていると仲の良い姉妹の喧嘩の
「渚が凪さんと喧嘩してるのも、遠慮なく言い合えるのが嬉しいからだと思いますよ」
おそらく渚にとっても、凪の存在は憧れの姉という記号だけではないのだろう。
ほぼ同じ環境で育ち、そして凪を信頼しているからこそ、遠慮なく感情をぶつけられるに違いない。
それは、新しく出来た兄や姉である海斗と美桜には出来ない事だ。
(……それに喧嘩にすらならないなら、そんな関係は終わってるからな)
一方的に言うだけだった利華と、会話を諦めて拒絶した海斗。
家族であっても冷えた関係があるのを、海斗は身を持って知っている。
だからこそ、凪と渚の関係は眩しく見えた。
「だったら、いいな」
海斗の言葉で少しは気を持ち直せたのか、凪がふにゃりと緩んだ笑みを見せる。
海斗と凪は本気で喧嘩した事などないし、おそらくこれからもしないだろう。
その前にお互いの言いたい事を冷静に言うか、凪が海斗から強引に聞き出すか、素直に凪が口にするか、そのどれかが起きると容易に想像出来た。
もう凪は大丈夫だと判断し、撫でていた手を離す。
すると、アイスブルーの瞳が物欲しそうに海斗を見上げた。
「もう、辞めちゃうの?」
「……じゃあ、もう少しだけ」
急いで晩飯を作る必要はないので、凪の期待に応えても罰は当たらないはずだ。
そう思って再び凪の頭に手を伸ばそうとしたのだが、どこからか視線を感じて手を止める。
勢い良く振り向くと、呆れたような視線と羨ましそうな視線が海斗達に注がれていた。
「「じー」」
「…………いつから見てた?」
凪の悩みが聞かれているとなると、流石に彼女が居た堪れない。
心配になって尋ねれば、二つの溜息が返ってくる。
「ついさっきだよ。なーんか料理の音が聞こえないなーと思って様子を見に来たの」
「当たり前のようにキッチンでいちゃつくとは……。やはり私がお兄様を手伝うべきでしたか」
「その、すまん」
「……ごめんなさい」
どうやら最悪の事態は避けられたようだが、二人からの指摘に羞恥が沸き上がってきた。
凪と共に素直に謝罪すれば、やれやれと言わんばかりに肩を竦められる。
「この様子だと、普段から似たような事をしてるんだろうなぁ。いちゃつくのはいいんだけど、料理が出来なかったり失敗するのは勘弁してね」
「そうです。お父様達のようになるのは構いませんが、あんまり遅いと交代ですよ、お姉様」
「「り、了解」」
美桜の忠告と渚の脅しに、凪と共に小さく頷いた。
言いたい事を言って満足したのか、美桜と渚がくるりと身を翻してリビングへと戻っていく。
その後ろ姿を見送り、凪へと視線を向けた。
「妹二人を待たせ過ぎるとまた怒られるでしょうし、頑張りますか」
「うん」
気合を入れなおし、料理を再開する海斗達だった。
「んー! 海斗の料理は相変わらず美味しい!」
「ですね。これを食べられただけでも満足です」
美桜と渚に注意されて以降は真面目に料理を行い、無事カレーが完成した。
会心の出来であるカレーを二人に絶賛されて悪い気はしないが、訂正しなければならない事がある。
「それは嬉しいけど、今日は凪さんと一緒に作ったんだからな。俺だけの力じゃないぞ」
「え、でも仕上げは海斗に任せてたし……」
「それでも、ですよ。凪さんが手伝ってくれたのには変わりません」
料理してくれた人に感謝を示すのは当たり前の事だ。
海斗だけが褒められるのは納得がいかないと、僅かに唇を尖らせる。
すると、美桜と渚が凪に視線を向けた。
「ありがとうございます、凪ちゃん先輩。これ、美味しいです」
「ありがとうございます、お姉様。やっぱりお姉様は凄いですね」
「……ん。どういたしまして」
素直に褒められて嬉しかったらしく、凪がふわりと柔らかな笑みを見せる。
穏やかな空気の中、四人でカレーを食べるのだった。
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