第123話 決断
「さて、どうするかは決まったかい?」
美桜が出て行ってから暫くして、喫茶店に再び全員が集合した。
沖嗣が感情の読めない微笑を浮かべて呟いた言葉に、大きな頷きを返す。
「はい。俺は一ノ瀬家と西園寺家を繋ぐ人柱になります」
「そうか」
息子が自分の元へ戻って来るというのに、沖嗣の表情には変化が見えない。
何度もこんな対応をされれば、これが当たり前なのだと流石に分かる。
海斗に似た――というよりは海斗が沖嗣に似たのだが――平凡な顔つきだが、態度は海斗とは似ても似つかなかった。
とはいえ、これが一ノ瀬家の家長としてあるべき姿だというのも僅かだが理解出来るので、愛情などは最早諦めている。
「それじゃあ改めて整理しよう。君は一ノ瀬家の人間となるが、あくまで立場だけだ。しかしこの立場を持って、西園寺家の凪さんと婚約する。まあ、年齢的に許嫁だがね」
「はい」
「では西園寺家には私が話を通そう。まあ、あちらも予想してるはずだから、すんなり事は進むはずだ」
「……でしょうね」
清二が海斗の覚悟を試した事からして、彼は海斗が沖嗣の息子である事を前から知っていた。
ならば、博之や桃花もその事実を知っていると考えるべきだろう。
正月に会った際は全くそんな素振りを見せなかったが、そういう取り繕い方を身に付けなければ、裕福にはなれないのかもしれない。
博之や桃花、そして清二に怒るのは筋違いなので、小さく頷くだけに留めた。
「次に、あの女――天音利華へ話を通さなければならない。曲がりなりにも、あの女は今現在君の正式な母親だからね」
「分かっています」
どれだけ海斗が縁を切りたいと言っても、母親である利華が同意しなければ意味が無い。
海斗が一ノ瀬家の人間になると決めた今、一番の障害は利華だ。
なのに沖嗣は全く気負わず目を細める。
「こちらの話も私に任せて欲しい。しかし、あの女と会う時には君にも同席してもらう必要がある。君の意思を捻じ曲げていないという証明の為にね」
「了解です」
「では日にちだが、なるべく早い方がいいし、明日にしようか」
「俺は構いませんが、そんなに急で母は納得するでしょうか?」
「納得させるのが私の役目だ。君は明日の昼にここに来てくれ」
「分かりました」
海斗が決意してから、あっという間に事態が進んでいく。まるで、海斗が提案を受け入れると分かっていたように。
実際、海斗の立場では受け入れるしかなかったので、事前に準備していてもおかしくはない。
しかしあの母親を明日呼び出すなど、海斗であれば間違いなく断られていただろう。
絶対の自信を持って告げた事から、沖嗣には策があるようだ。
わざわざ母親と連絡を取りたくはないので、素直に任せた。
「さてと、僕の方からはこんな所かな。じゃあ君の方から、言いたい事を言ってごらん」
「言いたい事、ですか?」
「ああ。したい事でもいい。具体的には、有耶無耶になっていた件だが私を殴る、とか」
「そう、でしたね」
名も知らないはずだった父親に向けた、海斗のせめてもの仕返し。
実際にやっていいと言われると、どうにもやりにくい。
それに沖嗣が海斗を利用するとはいえ、現状を打破してくれるのは間違いないのだ。
そんな相手を殴るのは、例え無情な言葉を言われていたとしても、言いたい事が山程あっても気が引ける。
「…………しません」
「何だって?」
「殴らない、と言ったんです」
自らの意思をきちんと言葉にすれば、沖嗣が大きく目を見開いた。
「まさか、今回の件で今までの事を水に流すと言うのかい?」
「それもしません。勿論感謝はしていますが、それで帳消しになるような人生ではなかったので」
「では、どうすると?」
物理的な怨念返しはしない。けれど、海斗を苦しめた一因である沖嗣を許しもしない。
宙ぶらりんな態度に沖嗣が眉をひそめた。
そんな沖嗣にせめてもの意趣返しとして、唇の端を釣り上げて見せる。
「俺は貴方を父親だと思いません。その上で、俺も貴方を利用します。……貴方が言っていた事でしょう?」
互いに利用し、利用される関係。
血が繋がっていても、海斗と沖嗣の関係はこれが限界だろう。
決して父とは呼ばないと、歩み寄るつもりはないと態度で示せば、沖嗣の瞳が初めて強く揺れた。
痛みを秘めたような瞳は気になったが、すぐにこれまでと同じ感情の読めないものになる。
「ああ、それでいいよ」
「では最後に、貴女は――静音さんは、この結果に納得しているんですか?」
喫茶店に来てから一度も喋らなかった、沖嗣の妻であり、美桜の母。
彼女にとって海斗は全く血の繋がらない異物だ。
今までもこれからもほぼ関わりがないとはいえ、海斗が一ノ瀬の庇護を得るのに思う所はあるだろう。
しかし静音は一度瞳を伏せた後、ゆっくりと首を縦に振った。
「していますよ。私は、沖嗣さんの意見に従います」
「そうですか。なら、俺からは何もありません」
利華の件は沖嗣のミスであり、婚約者だったらしい静音は被害者だ。
なのにあっさりとこの件を沖嗣に委ねたと言う事は、もしかすると自由に意見をするのが許されていないのかもしれない。
とはいえ文化祭で見た時は仲睦まじい姿を見せていたので、何かしら理由がある可能性もあるが。
何にせよ、この場に居る人が全員納得したのなら、海斗が言う事はない。
「では申し訳ないけど私から追加で一つ。西園寺さんはいいのかい?」
先程は激昂したというのに、あっさり認めていいのかと沖嗣が凪へと尋ねた。
再び集合してからずっと黙っていた凪は、冷たさすら感じる無表情を沖嗣へと向ける。
「海斗が決めたのなら、私はそれでいいです。でも――」
「でも?」
「貴方が、貴方達が海斗に酷い事をするなら、私は力ずくで海斗を一ノ瀬家から離します」
道具扱いを許した訳ではない。二度とこんな仕打ちをするな。
背筋が震える程に低い声だったが、沖嗣は満足そうに微笑した。
「胸に刻んでおこう。それと、明日は貴女も来て欲しい」
「いいん、ですか?」
「貴女も当事者の一人だからね。それじゃあ私達は帰るよ。また明日」
沖嗣が立ち上がったのを切っ掛けに、静音が小さく会釈を、美桜がひらりと手を振って挨拶する。
すぐに三人は喫茶店を出ていき、凪と二人になった。
「…………取り敢えず一段落、かな」
「だね」
「お疲れ様。よく頑張ったね、海斗くん」
今までずっと話に入って来なかった清二が、店の奥から出てきて海斗を労う。
場所を提供しただけであり、ある意味で一番今回の件に関係のない人だからだろう。
いつから海斗の真実を知っていたのかと疑問が沸き上がるが、気にしても仕方ないと割り切った。
「頑張った、と言っていいのか怪しいですけどね。色々とありがとうございました、清二さん」
「僕は何もしてないよ。本当に、お疲れ様だ」
「その通り、海斗はすっごく頑張った。今日はもうゆっくり休んで」
「じゃあ、甘えさせてもらいますね」
肉体的には疲労していないが、精神的にはくたくただ。
大きく溜息をついて肩の力を抜けば、清二が穏やかな微笑みを浮かべて海斗達に背を向ける。
「なら、少し早いけどここで晩ご飯を食べて行くといい。今日は僕の奢りだよ」
「え、でも――」
「いいんだいいんだ。せめてこれくらいはしないと、何もしなかった罪悪感で心が潰れてしまいそうなんだよ」
反論は聞かないとばかりに清二が体を翻し、厨房へと引っ込んだ。
三時頃から話し始めた事と一度休憩を挟んだ事で、空は夕焼けの色に染まっている。
清二の言う通り、少し早いが晩飯でもいいだろう。
気を緩めてテーブルに突っ伏すと、すぐに凪の手が伸びてきた。
「ああ、疲れた……」
「お疲れ様、海斗」
海斗の髪を撫でる優しい手の感覚が心地良い。
何もかも考えるのを辞めて、目を閉じるのだった。
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