第121話 気持ちの整理をつけて

「その……。驚くのも無理ないよね」


 美桜が頬を掻きながら、気まずそうに苦笑を浮かべた。

 あまり見た事のない彼女のそんな表情が、先程知らされた事が真実だという実感を強める。

 凪はというと、取り敢えず事態を静観するつもりなのかジッとしていた。


「……一ノ瀬は、いつから知ってたんだ?」


 先程までの態度を見て、美桜が海斗の妹だと最近知らされた訳ではないのは分かる。

 ならば、彼女はいつから海斗の真実を知っていたのか。

 知った上で、どんな気持ちで海斗と気兼ねないやり取りをしていたのか。

 美桜のこれまでの態度は、海斗と血が繋がっていたからなのか。

 様々な疑問を含んだ言葉をぶつけると、美桜は力の抜けた笑みを零す。


「天音と初めて話してから少し経って、かな」

「じゃあ最初は――」

「うん、本当に友人として天音と接してた。それは嘘じゃない。……確か、校舎裏で私が愚痴を零したのを天音が聞いたのが始まりだっけ。懐かしいね」


 目を細めて昔を思い出す美桜の姿は、本当に昔を懐かしんでいるようだった。

 だからこそ、海斗も美桜と初めて話した時の事を思い出す。


「そう、だな。最初に話した時は、滅茶苦茶俺を警戒してた」

「そりゃあそうだよ。誰にも知られちゃいけない愚痴を聞かれたんだもん。脅されるかと思って冷や冷やしてたよ」

「そんな事する訳ないっての」

「うん。天音がそんな事をする奴じゃないってすぐに分かったよ。それから天音がバイトをし始めるまで、放課後に愚痴を聞いてくれたよね」

「そんな事もあったな……」


 いつもの軽い会話が、真実によって乱れた心をゆっくりと癒していく。

 しかし温かい空気は長く続かず、美桜が形の良い眉を下げた。


「その事を天音の名前も含めてお父さんとお母さんに言ったら、真実を知らされたの。その後に、天音の監視を頼まれた」

「……じゃあ、俺と仲良くしてたのは監視の為だったのか」


 美桜が海斗に全てを見せていると思った事はない。

 しかし、他の人よりは美桜と親しいつもりだった。

 胸に重く暗い感情が沸き上がり、彼女から目を逸らす。

 今まで美桜に抱いていた信頼が揺らいだ瞬間「違う!」と悲鳴のような声が上がった。


「確かにお父さん達には頼まれたけど、私はそんなつもりで天音と一緒に居た訳じゃない!」


 ブラウンの瞳は驚く程に澄んでおり、嘘を言っているようには見えない。

 今まで殆ど海斗に見せなかった必死な表情からして、事実なのだろう。

 それに、隠し事は誰にだってあるのだ。今回は海斗との血の繋がりというのもあり、簡単に話せないというのも理解出来る。

 ならば海斗には美桜を敵視する理由などなく、ふっと力の抜けた笑みを彼女へと向けた。


「……そっか。じゃあ、俺は一ノ瀬とどういう風に接すればいいんだ?」

「どう、って――」

「俺達は一応血が繋がってるんだろ? これから兄として接した方がいいのか、それとも今までのような感じでいいのか、俺だけだと決めきれないっての」

「私を、許してくれるの……?」


 呆然とした表情で美桜が海斗を見つめる。

 そんな美桜の姿を見られるのが珍しくて、くすりと小さく笑みを落とした。


「俺を監視してた訳じゃないんだろ? なら一ノ瀬を許すとか許さないとか、そういう話は必要ないだろ」


 今まで見て来た美桜の姿が嘘ではないと分かったのなら、海斗はそれでいい。

 いくら一ノ瀬家であっても、沖嗣と美桜を一纏めにしてはいけない事くらい海斗にも分かっている。

 だからこそあっさり流したのだが、美桜は納得出来ないようだ。

 迷うような、すがるような視線が海斗へと向けられる。


「で、でも――」

「それで、俺は兄としてか、それとも友人としてか、どっちで一ノ瀬と接しようか?」

「…………」


 もう過去を悔いないで欲しいと強引に話題を戻せば、美桜が泣きそうな表情になった。

 顔を見られたくないのか、彼女は顔を深く俯けて黙り込む。

 しかしそれも長くは続かず、すぐに顔を上げた。

 可愛らしい顔立ちには、今まで見て来た明るい笑みが浮かんでいる。


「突然兄ぶられても気持ち悪いっての。というか、兄として過ごした事ないのに出来んの?」


 美桜が唇の端を釣り上げ、悪戯っぽい目をして海斗を煽ってきた。

 普通ならば憤るはずなのに、いつも通りの雰囲気に嬉しさが沸き上がる。

 とはいえ兄としての態度を求められれば、応えない訳にはいかない。


「いや、まあ、難しいかもしれないけど、頑張れば――」

「頑張らなくていいって。私はどんな形でも、天音に一番近い人で居られたらそれでいいよ。勿論、天音にとっての凪ちゃん先輩の次に、だけどね」


 兄妹であろうと、友人であろうと、二番目に親しい人であれば構わない。

 そして言葉に潜ませた海斗の味方であるという宣言に、勝手に頬が緩む。


「分かったよ。じゃあ好きにさせてもらう」

「りょーかい。それで、結局どうするつもりなの?」

「ぶっちゃけ、どうするかは殆ど決まってるんだ。でも、色々と受け入れたくなくて……」


 美桜と話しているうちに心がある程度落ち着いた事もあり、海斗がどうするのが一番なのか、冷静に頭を働かせる事が出来た。

 しかし、結局自らの力で解決出来ない無力さが、あんな父に頼るという悔しさが、最後の一歩を踏み出すのを躊躇ためらわせている。

 眉を下げて苦笑すれば、凪が海斗の表情から察したようで、強く腕を引っ張られた。


「海斗! 美桜は別だけど、あんな人を頼る必要なんかない!」

「凪ちゃん先輩。気持ちは分かりますが、天音の意思を尊重するべきでは?」

「そう、だけど……」


 あくまで決めるのは海斗であり、凪に権利はない。

 やんわりと諭され、凪が悔しそうに歯嚙みした。

 しかし何も言えないようで、すぐに顔を俯ける。

 そんな姿を見て、美桜がいつも通りのへらりとした軽い笑みを浮かべた。


「別に、全部を受け入れる必要はないんじゃない? 天音の人生は『一ノ瀬』とあの女に振り回された。その見返りを求めるだけって考えも有りだと思うよ?」

「それを『一ノ瀬』の娘が言うのか?」

「いいのいいの。お父さんとお母さんは嫌いじゃないけど、私も結構振り回されたからね」


 ひらひらと手を振る美桜は、嘘を言っているようには見えない。

 美桜には美桜なりに海斗の味方をする理由があるようだが、流石に詳細は教えてくれないだろう。


「だから、天音も遠慮なく利用しちゃいなよ。お父さんが言ってたでしょ『私は君を利用し、君は私を利用する』って」

「まあ、確かに」

「それに今更お父さんを家族とも思えないだろうし、無理に受け入れようとしても辛いだけだよ」

「それは間違いないな」


 沖嗣の立場からすれば一ノ瀬家は大事だし、利華に利用されそうになったから縁を切ったのは分かる。

 だが、その結果海斗は現在も苦労しているのだ。それだけでなく、あんなやり取りをしておいて沖嗣を父とは思えない。

 それに、あくまでその場凌ぎとして立場を粛々しゅくしゅくと受け入れたとしても、後で必ず後悔するだろう。

 美桜には悪いが遠慮なく肯定すれば「だよね」と微笑を浮かべて納得された。


「なら、答えは出た?」

「…………出た。でももう少しだけ、心の整理を付けさせてくれ」

「分かったよ。それじゃあ私も散歩してくるね」


 美桜が嬉しそうな笑みを落とし、席を立つ。

 そのまま喫茶店の出口へと向かおうとしたが、何故かくるりと振り返った。

 今時の女子高校生の中でも明らかに整った顔立ちは、楽し気なもので彩られている。


「これから天音の事を何て呼べばいい? お兄ちゃん?」

「うわ、寒気した。それは辞めてくれ」

「じゃあこの呼び方しかないね。――よろしく、海斗」


 今まで美桜から一度もされなかった名前呼び。

 驚きはしたが、いくら兄としての振る舞いを嫌がられたとしても、もう今までのような関係には戻れないのだ。

 ならば海斗も彼女への呼び方を変えるべきだろう。


「ああ、よろしく。美桜」

「ふふっ。んじゃ後でね」


 ご機嫌な笑みを浮かべ、今度こそ美桜が喫茶店を出て行った。

 二人きりになった店内で、ずっと海斗の味方をしてくれていた女性と視線を合わせる。


「もう、大丈夫です。ちょっとだけ時間は必要ですが、決めましたから」

「本当に? 後悔しない?」


 強がっていると思っているのか、凪が気遣わし気に海斗の顔を覗き込んできた。

 覚悟の証明の為に、凪へ心からの笑みを向ける。


「はい。それと、怒ってくれてありがとうございました。滅茶苦茶嬉しかったです」


 今まで一度も怒鳴らなかった凪だが、そんな彼女が怒鳴る程に沖嗣の事が頭に来たのだろう。

 その結果、感情の整理をせず、状況に流されそうだった海斗を引き留めてくれた。

 ずっと味方をしてくれた事も含めて、感謝してもし足りない。

 ありったけの想いを込めて頭を下げれば、凪が申し訳なさそうに顔を俯けた。


「……でも、私は何も出来なかった」

「いえ、凪さんは今回も俺を救ってくれましたよ。だから、もう大丈夫なんです」


 いつもいつも、海斗は凪に救われている。

 ここまでしてくれたのだから、後は自分で気持ちの整理をつけなければ。

 それが、海斗のすべき事なのだから。

 凪はまだ心配しているようだが一応納得してくれたらしく、渋々と頷いた。


「…………分かった。じゃあ海斗に申し訳ないけど、ちょっと美桜と話してきていい?」

「勿論ですよ。ここで待ってますね」

「ん。本当に、ごめんね」

「謝る必要なんてありませんって」


 凪にとっての一番の友人だからか、美桜と話したい事があるのだろう。

 止める理由もないので送り出せば、凪も喫茶店の外へと向かって行った。

 小柄な姿を見送りつつ、先に外に出た親友兼妹へと想いをせる。


「……俺を一番最初に必要としてくれて、ありがとう」


 高校生になって家を叩き出されてから、美桜は初めて海斗個人を必要としてくれた。

 単なる愚痴を言う相手としてだったが、それがどれだけ嬉しかったか、美桜は知らないだろう。

 それこそ後少しでも海斗を頼って、縋ってくれれば、誰よりも美桜を優先したと断言出来るほどに。


「初恋、だったんだよなぁ」


 自分だけに素顔を見せてくれる人に、好意を抱かないはずがない。

 しかし釣り合わないと諦め、美桜が作り出す心地良い距離感に甘えていた。

 結果として初恋は実らなかったが、海斗の胸には後悔などなく、頬は笑みを形作っている。

 それは美桜が血を分けた妹だったからではなく、今の海斗には美桜よりも大切にしたい凪という存在が居るからだ。


「本当にありがとう。さよなら、一ノ瀬」


 もう戻れない関係である友人へと別れを告げ、これからの事を考えて心の整理をするのだった。

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