第119話 隠されていた真実

 元旦の昼過ぎに凪の家に帰ってから、海斗達はいつも通りに過ごした。

 そしてついに一月四日となり、海斗と凪は喫茶店に来ている。


「はぁ……」

「海斗、大丈夫?」


 緊張に体を固くして溜息を落とせば、隣に座っている凪が顔を覗き込んできた。

 今回の件は海斗の事情を誰かから話されるというものなので、極論を言うなら凪がここに居る必要はない。

 しかし彼女が清二に懇願した事で、同席を許されたのだ。

 海斗なりに覚悟をしてきたつもりだが、それでも凪が傍に居てくれるのは心強い。

 とはいえ凪を巻き込んでしまった申し訳なさもあり、僅かに頭を下げる。


「大丈夫、かは微妙な所ですね。付き合わせてしまってすみません」

「海斗に関係する話は、私にも関係がある。それに海斗は私の時に一緒に居てくれた。だから気にする必要なんかないよ」

「ありがとう、ございます」


 決して一人にはしないのだという凪の言葉が頼もしく、海斗の肩から僅かに力が抜けた。

 再び大きな溜息をつけば、店の奥から清二が出て来る。


「相手はもうすぐ着くみたいだ。その後の事は基本的に関与しないからね」

「分かりました。ここまでありがとうございます」

「お礼はいいよ。僕は僕に出来る事をしただけだし、海斗くんに辛い選択をさせたんだから」

「それでも清二さんが居なければ俺は詰んでましたから、やっぱりありがとうですよ」


 清二の協力がなければ、海斗はお世話係という立場を抜け出せなかったのだ。

 これから辛い目に遭うようだが、それでも選択肢を提示してくれたのだから、恨むのは筋違いだろう。

 それに海斗の将来を決めるのだから、清二に頼ってばかりではいられない。

 ありったけの感謝を込めて頭を下げれば、清二の顔がくしゃりと歪んだ。


「……頑張るんだよ」

「はい」


 清二なりの激励に頬を緩め、喫茶店の入り口へと視線を向ける。

 清二や凪と会話した事で、ガチガチに固まっていた体と心は程よく解れた。

 それでも僅かに心臓の鼓動が早くなっていく中、ついに喫茶店のベルがカランと鳴る。

 ゆっくりと喫茶店の中に入ってくる人物は、どこかで見たいかにも普通な男性と見目麗しい女性だ。


(この人達、確か……)


 見たのは一度きりだったが、確か文化祭の時だった気がする。

 そこまで考えたところで、男性と女性の後ろから三人目が喫茶店に入ってきた。

 明るい茶色の髪を肩まで伸ばし、澄んだブラウンの瞳を持った少女は、海斗がよく知っている人物だ。

 彼女は清二へと軽く挨拶を済ませ、先に入ってきた二人よりも早く海斗と凪が座っているテーブルへと近付いてくる。


「や、明けましておめでとう。それともこんにちはかな? 天音、それと凪ちゃん先輩」

「一ノ瀬……?」

「美桜? どうして?」


 からからと陽気な笑顔を浮かべる人物は、紛れもない一ノ瀬美桜だ。

 となると、先に店へと入って来た人は、美桜の両親で間違いないらしい。

 呆けたように呟いた海斗と凪へと、場違いな程に軽い笑みを美桜が向けた。


「そりゃあ私がこの件に関係してるからだよ。まあ、取り敢えずよろしくね」


 誰が来ても動じないつもりだったし、どんな話をされても構わないつもりだった。

 けれど流石に美桜が来るとは思っておらず、彼女の軽い調子の言葉に何を返せばいいか分からなくなる。

 いつも浮かべている明るい笑みが、恐ろしいものに見えたのだった。





「さてと。天音海斗くん、西園寺凪さん。私は一ノ瀬沖嗣おきつぐ、美桜の父だ」

「私は一ノ瀬静音しずね。美桜の母よ」

「二人共知ってるけど、一ノ瀬美桜だよ。改めてよろしくね」


 一ノ瀬家の人達が海斗と凪の正面に座り、自己紹介を済ませる。

 海斗と凪も挨拶を済ませた所で、沖嗣が僅かに頭を下げた。


「三が日明けで忙しいだろうに、集まってもらってすまないね」

「……いえ、大丈夫です」


 どうせ海斗と凪は家でだらだらするだけだったので、喫茶店に来るのは問題ない。

 小さく首を横に振れば、沖嗣の瞳が悲しそうに揺れた。


「そうか。……じゃあ早速、本題に入ってもいいかな?」

「勿論です。俺の知らない俺の事を、貴方は知ってるんですよね?」


 ほぼ初対面の沖嗣が、海斗に関する何らかの事を知っている。

 それは今まで友人として接していた美桜もだろうが、ここで問い詰めるつもりはない。

 テーブルの下でぐっと拳を握って尋ねれば、沖嗣が大きく頷いた。


「勿論だ。今更だけど、聞けば必ず君は苦しむ。それでも後悔は無いね?」

「…………はい。俺は、今の状況を変えたいので」


 ここまで念押しされるという事は、隠されている海斗の事実は相当なものなのだろう。

 聞くのは怖いが、これは海斗が凪の隣に居る為に必要な事らしい。

 ならばどれだけ苦しくても聞くべきだと、改めて決意して首を縦に振った。

 沖嗣と静音、そして美桜の瞳が僅かに揺れる。


「なら、まずはここからだろう。君は、父親の事を知っているかい?」

「いえ。母に尋ねようとしたのですが、その、答えてくれなかったので、全く知りません」


 聞こうとしたら暴力を振るわれた、という事を話しても意味はない。

 なので言葉を濁したのだが、全て分かっているという風に沖嗣が瞳を伏せた。


「………………君の父親は、とある大企業の社長でね。見た目はともかく、手腕は本物だ」

「父を、知ってるんですか?」

「彼はその手腕で数々の成功を収め、許嫁との結婚も決まり、順風満帆な人生を歩むはずだった」


 海斗の質問に答えず、沖嗣が淡々と海斗の父親の事を話す。

 だった、と言う事は父親が何らかの形で失敗して失踪したのか、ならば許嫁はどうしたのかと、次々と疑問が浮かんできた。

 だが答えてくれないと思い、ジッと沖嗣の声に耳を傾ける。


「しかし、彼の精神は決して強くなかった。手腕とは反対に、心は普通の人間だったんだよ」

「完璧な人は居ないので、仕方ないかと」


 能力と精神が釣り合わないなど、よくある話だ。それこそ、凪も同じなのだから。

 海斗のフォローに、沖嗣が僅かに眉を下げる。


「……結果、彼は重圧に耐えきれず、たった一夜だけ何もかも捨てて逃げ出した。その先で、とある女に目を付けられてしまったんだ」

「まさか――」

「そう、天音利華。君の母親だ」


 母が男をとっかえひっかえしているのは知っている。そして、海斗の父親もその中の一人だったのだろう。

 少しずつ嫌な予感が沸き上がってきて、海斗の胸をざわつかせる。


「あの女は巧妙に君の父に取り入り、体を重ねた。子供が出来たら、彼の家に入れると期待して」

「……」


 なぜ、沖嗣がそれを知っているのか。なぜ、まるで見て来たかのように話すのか。

 心臓の鼓動が激しくなり、背中に嫌な汗が流れた。


「だが一夜明けると彼の頭も流石に冷え、天音利華を調べた。そして男を漁る関わってはいけない人物だと理解したんだ。……それで関係が終わるのなら、まだ良かった」

「もしかして、たった一回で?」

「そう。おそらく、子供を身籠れるように調整したのだろう。一夜の過ちであの女に子供が出来た」

「それが、俺、ですか」


 ここまで来れば、その時に出来た子供が誰なのか分かってしまう。

 隣で話を聞いていた凪も気付いたのだろう、息を呑む気配がした。

 頭では理解しつつも当たって欲しくないという気持ちのまま、沖嗣へと確認を取る。

 そして、海斗の希望は沖嗣が首を縦に振った事で砕かれた。


「その通りだ。君は、あの女が彼に取り入る為に作られたんだよ」

「……そう、ですか」


 あまりにも残酷な現実だが、それならば母が海斗に暴言や暴力を振るう理由も察せられた。

 愛情など欠片も無かったのだと改めて示され、ズキリと胸が痛む。

 それでもあまり動揺しなかったのは、昔から母から酷い仕打ちを受けてきたお陰だろう。

 当然、全く感謝するつもりはないが。


「でもそれが失敗して、母は父に取り入れなかった。ですよね?」

「ああ。そんな人物とは一緒に居られないと、そんな息子は認められないと、拒絶したんだ」


 明らかに自分と自分の財産を利用するつもりの女など、受け入れる訳がない。それが例え自分の子供を産んだとしても。

 むしろ、父にとっては汚点でしかないはずだ。父の家は相当荒れたに違いない。

 海斗を拒絶したので同情するつもりはないが、母に利用されたのは気の毒に思う。


「結果として、あの女は何一つ利益を得る事なく息子が出来た。そして君の父は、その事をもみ消して今でも社長で居る。勿論、許嫁とも結婚してね。……父親が、憎いかい?」

「憎くない、とは言えません。俺を捨てたのは事実ですから。出来る事なら、一発くらい殴らせて欲しいですね」


 好意的な感情は持てないし、軽い冗談でも言わなければ胸に小さく灯った炎を消せない。

 気を紛らわせるように肩を竦めれば、沖嗣が深く息を吸って瞼を閉じた。

 再び開いた瞳には、痛い程の決意が宿っている気がする。


「なら、僕を殴りたまえ。君には、その権利がある」

「……………………え?」


 唐突に告げられた言葉で、頭が真っ白になった。

 呆然とする海斗へと、沖嗣が真剣な瞳を向ける。


「疑問には思わなかったかい? なぜここまで詳細を知っているのかと」

「それ、は、父から、聞いたのかと」

「いいや、違う。きっと君は、私の話を聞いてからすぐに正解に辿り着いていた。しかし、それを認めたくなかっただけだ」

「じ、じゃあ――」


 もしやと思い、だがそれは有り得ないと選択肢から外していた考え。

 それを肯定されて指先が震え、心臓が痛い程に脈打ち始める。

 上手く動かない口を必死に動かし、おそるおそる尋ねたものの、全く言葉にならなかった。

 それでも沖嗣が小さく、しかし迷いなく頷く。


「君は、一ノ瀬家の人間だ。一ノ瀬沖嗣と、天音利華の血を継いだ子なんだよ」

「…………」


 今まで何も知らなかった父親が目の前の男性だと、受け入れられる訳がない。

 全く動かない思考のまま、沖嗣の隣に座っている友人へと視線を向ける。

 彼女は感情の読めない微笑を浮かべ、ゆっくりと口を開いた。


「そういう事だよ。私の方が後から生まれたから、こう言うべきかな? ――改めてよろしく、お兄ちゃん・・・・・


 あまりにも予想外過ぎる真実に、乾いた吐息が口から漏れ出るのだった。

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