第118話 指切り
「「ただいま」」
スーパーでの買い物を終えて、凪の家に辿り着いた。
半月以上続けた事で違和感なく言えるようになった挨拶を部屋に響かせ、リビングへと向かう。
「何だか、久々に帰ってきた気がする」
「分かります。あっちの家での時間が滅茶苦茶濃かったからでしょうね」
手洗いやうがいをしたり、冷蔵庫へ食材を放り込みながら、凪と西園寺家に行った事を振り返る。
のんびりしている時間もあったとはいえ、普段よりも騒がしかったのは事実だ。
だからこそ、凪の家が久しぶりに思えるのだろう。
「でも、海斗と二人で居られるこの時間も好きだよ」
「……俺もです」
博之達との時間も悪くないが、凪と何も気にせずのんびりする時間も良い。
その証拠にか、ソファに座ると凪がすぐに肩を寄せてきた。
それだけでなく、小さな頭が肩に乗せられ、銀色の髪が傍で揺れる。
西園寺家のリビングでは恥ずかしくて出来なかった触れ合いに、いつもの空気が帰ってきたと実感した。
「一日だけだったけど、海斗は楽しかった?」
「はい。色々してもらって申し訳なかったですけど、滅茶苦茶楽しかったですよ」
一時とはいえ、あんなにも良い家族の――本当の家族と呼べる輪の中に入れたのは嬉しい。
だからこそ、次に西園寺家に向かう時の目標が出来た。
「今度は客じゃない立場であの家に行きたいですね」
「その為に、三日後があるんだよね」
「はい。もっとやる気が出ました」
海斗すら知らない海斗の真実。それがどのようなものなのか分からない上に、清二から辛いものだと警告されている。
正直なところ不安な気持ちはあるが、今の段階で怖気づいても意味はない。
言葉を態度で示す為に、胸を張って凪に微笑を向ける。
「なら、そんな海斗を支えるのが私の役目。ほら、おいで?」
海斗の肩から頭を離した凪が、膝を軽く叩いた。
それが意味する事は、言葉にされずとも分かっている。
しかし寝る時以外は凪に殆ど甘えないからか、気恥ずかしい気持ちは消えない。
「……今は大丈夫なんですが」
「じゃあ私がやりたいからやる。来なさい」
珍しい命令口調と不満の色を湛えている瞳に、反論の余地がないのが分かった。
素直に喜ぶのは何となく情けない気がして、形だけの苦笑を浮かべて頷く。
「分かりました。失礼しますね」
一応の断りを入れて凪の膝に頭を乗せると、すぐに細い指先が海斗の髪を触り始めた。
服越しではあるがそれでも柔らかい膝の感触は、撫でられる感触と合わせて海斗をあっさりと虜にする。
あまりの心地良さに、勝手に目が閉じてしまった。
「きっと、大丈夫。海斗は大丈夫だよ」
「凪さんにそう言われると、本当に大丈夫な気がしますね」
何の根拠もない応援だが、それでも胸が軽くなる。
凪の言う通り、どんな真実を知らされても、海斗なら乗り越えられるだろう。
しかし、それは乗り越えた先に凪が待っているからだ。
もし彼女が居なければ海斗は何も知らないままで居たはずだし、下手をすると逃げていたかもしれない。
そんな不安が、海斗の口を開かせる。
「……我儘ですみませんが、居なくならないでくださいね」
「そんなの我儘でも何でもない。海斗に言われなくても傍に居るつもり」
「ありがとう、ございます」
こんなに情けなくとも、傍に居てくれる人が居る。
それがどれほど貴重な事なのか、改めて思い知った。
胸に沸き上がる熱が、海斗の体を動かす。
「さてと、今度は俺の番ですね」
「えー。もうちょっとしてたかったのに……」
凪の膝から頭を離せば、不満たっぷりに睨まれた。
全く怖くない態度に頬を緩ませつつ、今度は海斗が膝を叩く。
「じゃあ膝枕は要りませんか? 昨日からずっとしていなかったでしょう?」
この冬休みの間、凪は海斗の横に居るか膝枕されるかだった。
それに西園寺家に居る間は、寝る時を除いて思いきり甘えられなかったのだ。
甘え足りないのではと思っての提案に、凪が言葉を喉に詰まらせる。
「かいとの、いじわる」
「意地悪も何も、いつも通りの事をしようと思っただけなんですがねぇ。それで、どうしますか?」
文句を流されて不服なのか、凪がほんのりと拗ねの混じった視線を海斗に向けた。
けれど膝枕はされたいようで、僅かに海斗との距離が詰まる。
毎日嗅いでいるのに未だに心臓の鼓動を乱される甘い匂いが、ふわりと香った。
「…………いる」
「じゃあどうぞ」
先程とは逆に凪が海斗の膝へと頭を乗せる。
柔らかい銀髪を梳くように撫でれば「ん」と気持ち良さそうな声が耳に届いた。
いつも通りの穏やかで温かい空気が心地良い。
「結局、こうなっちゃった」
「別に悪い事でもないでしょうに。それに、俺は凪さんを撫でれて嬉しいですよ」
「そうだけど、海斗も不安になったら甘えていいからね」
「勿論ですよ。頼りにさせてもらいます」
この期に及んで一人で背負い込もうとは思わない。
海斗の真実の件を凪が直接聞いていいのかは分からないが、例え駄目だとしても海斗が後で伝えるだろう。
それが、傍に居てくれる凪への信頼の証だ。
それはそれとして、もしかすると直前になって不安が沸き上がり、凪に膝枕をお願いするかもしれないが。
「沢山頼ってね。絶対だよ?」
「……何で微妙に信頼されてないんですかね?」
「それは今までの海斗の行動を振り返ってみるといい」
じとりと細まったアイスブルーの瞳が、海斗を見上げる。
学校で陰口を叩かれても凪に伝えなかったり、家庭事情を話さなかったりと、海斗が自分から凪を頼る事は確かに少なかった。
不機嫌さを隠そうともしない声に責められ、苦笑を浮かべる事しか出来ない。
「……すみません」
「分かってるならよし。ほら、約束」
ぽかりと軽く海斗の腹を叩いた凪が、小指を差し出してきた。
子供っぽい約束の仕方に頬を緩めつつも、海斗も小指を差し出す。
「指切りげんまん、嘘ついたら一日中甘やかす。指切った」
「それは罰になってるんですか……?」
一方的に約束されたのは構わないが、これでは罰どころかご褒美でしかない。
肩を竦めると、大真面目に頷かれた。
「なってる。だから、これでいいの」
「分かりましたよ。……本当に、ありがとうございます」
おそらく、海斗が思っている以上に凪は心配してくれているのだろう。
どれだけ凪に感謝しても感謝し足りない。
それでもありったけの気持ちを込めてお礼を述べ、美しい銀髪を撫でるのだった。
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