第109話 母性とは

 凪と共に喫茶店を後にし、スーパーへと向かう。

 買い物など海斗一人で十分なのだが、彼女が付いて行くと言い出したのだ。

 特に断る理由もなく、のんびりと歩いてスーパーへ辿り着いた。

 食材を物色しつつ、隣を歩く凪に声を掛ける。


「そう言えば西園寺の家に行くと決めましたけど、どんな家なんですか?」


 西園寺家がいくつもの会社を経営しており、凪が紛れもないお嬢様なのは知っている。

 しかし、家がどうなっているかは全く分からない。

 豪邸が出て来ると気後れするので、事前に情報を得ておくべきだろう。

 海斗の質問に、凪が普段通りの無表情を浮かべながら答える。


「うーん。ちょっと広い家かな」

「……それ、ちょっとの範疇はんちゅうが一般的なものからかけ離れてませんよね?」

「私は孤児院出身だし、高いマンションに住んでるけど、普通の感性は持ってるつもり。馬鹿にしないで」


 僅かに頬を膨らませ、常識外れな感性ではないと凪が不満を表した。

 よくよく考えると、彼女は当初それなりに貧しい暮らしをしていたらしいし、今でも金銭感覚や食生活等は普通だ。

 流石に失礼過ぎたかと、すぐに頭を下げる。


「馬鹿にしたつもりはありませんけど、すみませんでした」

「許さない。海斗には後でお詫びをしてもらう」

「程々にお願いしますね」


 凪の事なので無理難題は言わないだろうが、それでも多少は苦労するだろう。

 念の為に釘を刺すが、凪はふいっと視線を逸らした。


「それは私の気分次第」

「……りょーかいです」


 露骨な、けれども本気ではない不機嫌アピールに肩を竦めつつも、あまり落ち込んではいない。

 凪もあっさりと機嫌をなおし、再び海斗へと視線を向ける。


「皆海斗が来るのを喜んでくれてるみたいだし、遠慮しないでいいからね」

「そうは言っても、遠慮しますって」

「ダメ。海斗は私達と賑やかに年を越すの。あんな家で年越しなんてさせない」

「……もしかして、その為に誘ってくれたんですか?」

「うん。だから、本当に遠慮しないでね」


 凪が海斗を誘ったのは、家族と改めて過ごすのに不安を覚えているからだと思っていた。

 勿論それもあるだろうが、海斗をボロアパートに帰したくないという思いもあったらしい。

 迷いなく断言された事で嬉しさに胸がじんわりと温かくなり、頬が勝手に緩む。


「ありがとうございます。お世話になりますね」

「ん」


 凪が嬉しそうに顔を綻ばせ、僅かに海斗との距離を詰めるのだった。





「……えっと、凪さん?」

「なぁに?」


 買い物を終えて凪の家に着き、晩飯や風呂を終えると、彼女が「お詫び」を所望した。

 その結果として、凪に膝枕するのはいい。

 しかし、まさか膝枕されたまま本を読み始めるとは思わなかった。

 

「読み辛くないですか? それと、ソファから落ちそうで心配なんですが」

「……実はちょっと読み辛いし、体勢もちょっと変」

「なら別の事にしませんか?」

「ううん、しない。ソファが駄目なら、こうすればいい」


 そう言うやいなや凪が体を起こし、海斗の手を掴んで自室へと引っ張っていく。

 流されるままに凪の部屋へ入り、ベッドの上に座った。

 再び凪が海斗の膝に頭を乗せ、体を伸ばす。


「んー。これなら楽ちん」

「俺が膝枕するのは変わらないんですね」

「うん。これは変えない」

「……凪さんが良いなら俺は構いませんよ」


 ソファから落ちる心配はなくなったし、海斗もある程度上半身を自由に動かせるようになったのだ。

 凪が満足しているのなら文句などない。

 スマホを弄りつつ、横向きに寝そべりながら本を読んでいる凪の頭を撫でる。


「やっぱり膝枕はさいこう。今度からこうやって本を読もうかな」

「もうお詫びじゃなくなってる気が……。いやまあ、いいんですけども」


 今後の触れ合い方が変わった事に苦笑を零し、銀髪を少し乱雑に扱う。

 すると、凪はふにゃりと蕩けた笑みを浮かべた。


「なら遠慮しない。でも、海斗も無理したり我慢しないでね」

「分かりました」


 ここ数日で明らかに凪との距離が近くなっているが、特段不快には思わないし、我慢も無理もしていない。

 それは、触れ合っていてもお互いのやる事に干渉しないからだろう。

 胸を温かいもので満たし、ゆったりとした時間を過ごす。

 その後、凪の頭を撫で続けていたからか彼女が寝そうになったので、準備を済ませてベッドへと戻ってきた。


「はい、海斗」

「……えっと?」

「昨日言ってた通り、今日は私が海斗を甘やかす番」


 先程まで頭を撫でられて眠たくなっていたのに、それとこれとは別の話のようだ。

 ベッドに寝転んだ凪が両手を広げ、海斗をいざなっている。

 甘やかされるのは嬉しいが、素直に認めるのは恥ずかしく、苦笑を浮かべて海斗もベッドへと入る。


「じゃあ、すみませんが失礼しますね」

「謝らなくていい。ぎゅー」


 昨日とは逆で、海斗の頭を凪が抱え込んだ。

 程よい大きさの柔らかい感触と、桃のような甘い匂いが海斗の理性を削る。

 元々抵抗する気はなかったが、胸を満たす幸福感にあっさりと身を委ねた。


「よしよし、良い子良い子」

「子供じゃないんですが」

「そうだけど、何か、こうしたいなって。嫌?」

「……まあ、そこまで嫌じゃないですけど」


 優しく頭を撫でられながら、ささやくように声を掛けられるのは、正直なところ悪くない。

 おそらく、海斗が今まで母親から愛情というものを得られなかったからだろう。

 流石に凪を母親代わりにはしないが、母性というのはこういうものに違いない。

 冷静に分析して少しだけ落ち込み、遠回しに感想を伝えた。


「なら、いっぱいするね」

「それはいいんですけど、凪さんも寝てくださいよ?」

「うん。海斗を寝かしつけたら私も寝る」

「さっきまで眠そうにしてた人が言う言葉じゃない気が……。まあいいか」


 立場が逆転した事に溜息をつきつつも、考えるのを止めて凪の体に手を回す。

 少しだけ頭を彼女の胸に押し付ければ、くすりと軽やかな声が耳に届いた。


「そう、気にしたら負け。よーしよし」


 楽し気な声に、顔に当たる素晴らしい感触とあやすような指使い。

 その全てが海斗の心を溶かすせいで、少しずつ眠気が沸き上がってきた。

 ここで抵抗する意味もなく、目を閉じて幸せな感覚に浸る。

 いつもより早い時間のはずなのに、あっという間に眠りへと落ちるのだった。

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