第99話 気持ちを言葉に
クリスマスパーティーの片付けを終え、凪と共に彼女の家へと帰る。
博之達の前で手を繋いだ時にはどうなるかと思ったが、特に何も言われなかったのは有り難い。
とはいえ、滑らかな手の感触に心臓は落ち着かないが。
「い、いいんですか、凪さん」
「ん? 何が?」
海斗を先導する小柄な姿に問い掛ければ、凪が振り返ってきょとんと首を傾げた。
日中は緊張しっぱなしで顔が強張っており、パーティー中はゆっくり話す事が出来なかったので、いつも通りの姿に安堵すら抱く。
けれど、折角家族と仲直りしたのだ。普通ならば別れを惜しむのではないか。
「あっさり店を出ましたけど、もっと話しても良かったんですよ?」
「大丈夫。これからたっぷり時間はあるから」
「……それって、西園寺家に引っ越すって事ですか?」
凪の家庭事情が解決したのなら、高級マンションに住む意味はなくなってしまう。
そして、海斗はあくまで凪のお世話係なのだ。彼女が引っ越すというのなら、それを止められない。
胸の痛みを押し殺して告げれば、銀色の髪が横に揺れた。
「しない。暫くは今の生活のまま。でも、偶に顔を見せに来てって言われた」
「そういう事ですか。因みに、どれくらいの期間ですか?」
条件付きで許されたのなら納得は出来るが、それでもあまりに緩過ぎる。
しかし凪のお世話係を続けられるのは嬉しいし、西園寺家で話し合った結果ならば、海斗に口出しする権利はない。
期間限定なのは仕方がないので、唐突に失われなかっただけ救いだろう。
関係が終わる際に覚悟を決めたくて期限を尋ねれば、凪が再び首を斜めにした。
「……どのくらいだろ?」
「もしかして、聞いてなかったんですか?」
「うん。でも期間を言われなかったから、私が引っ越しを言い出すまでずっとだと思う」
「まあ、凪さんがそれでいいなら構いませんが」
何とも曖昧ではあるが、凪が全く焦っていないので気にする必要はないはずだ。
取り敢えず状況が落ち着いた事に胸を撫で下ろし、ゆっくりと夜道を歩く。
「海斗、ありがとね」
「お礼の言葉はもう受け取ってますよ」
「それでも、ありがとう」
「……そうですか」
既に西園寺家の人達からお礼を散々言われて、海斗の心は満たされている。
なので遠慮したが、それでも凪は言い足りないようなので、好きにさせた。
「海斗」
「何ですか?」
「何でもない」
「はあ……」
いまいち要領を掴めない言葉に、凪が何か心に貯め込んでいるのかと不安になる。
けれど、美しい横顔はご機嫌に緩んでいた。
「海斗」
「……何ですか」
「何でもない」
何度も特に目的もなく名前を呼ばれて聞き返せば、凪が楽し気に笑む。
海斗にはよく分からないが、単に名前を呼びたい気分らしい。
気にするだけ無駄だと割り切り、呼ばれ続ける。
母親によって乱された心は、いつの間にかある程度落ち着いていたのだった。
「ただいまー」
「ただいまです」
凪の家に着き、手洗いやうがいを済ませる。
ついでに凪が入る為の風呂の用意を済ませてリビングに戻れば、いつも通り彼女はソファに座っていた。
ちらりと海斗を見上げたアイスブルーの瞳は、緊張のようなものを孕んでいる気がする。
「海斗、こっちに来て」
「……分かりました」
小さく手招きをされ、素直に凪の隣へ座った。
彼女が体を海斗へと向け、少し動けば触れ合えそうな距離で見つめ合う。
「……」
「えっと……?」
「ちょっと待って。こんなに緊張すると思わなかったから」
「は、はあ」
見つめ合ったまま動かない凪に首を傾げれば、彼女が深呼吸しだした。
白磁の頬は何故か赤く染まっており、小さな唇が少し荒い息を吐き出す。
室内を甘いような、ひりつくような空気が満たす中でジッと待つ事数分。ようやく凪が口を開く。
「好き」
短く呟かれた言葉に、思考がフリーズした。
どうして今なのか、その言葉は海斗の予想しているものなのかと、疑問がぐるぐると頭の中を回る。
凪はというと、海斗が固まっているせいで聞こえていなかったと判断したらしい。焦がれるような表情で言葉を紡ぎ続ける。
「やっと、ようやくこの気持ちが分かったの。海斗が好き。大好き」
「そう、ですか……」
単なる親愛ではない。異性として海斗が好きなのだと、凪は真っ直ぐに伝えてくれた。
ならば、海斗も凪と逃げずに向き合う必要がある。
「嬉しいです。ありがとうございます」
「なら、付き合って、くれる?」
遠回しではあるが、海斗が受け入れた事は伝わったのだろう。凪が澄んだ瞳に歓喜を彩らせた。
その瞳を曇らせてしまうのは申し訳ないが、罪悪感に痛む胸を抑えて凪を見つめる。
「……それなんですが、少しだけ待ってくれませんか?」
「どうして?」
振られたのか、と凪が一瞬で泣きそうに顔を歪ませた。
まずは話を聞いて欲しいと、僅かに潤んだ瞳と視線を合わせ続ける。
「俺がバイトしなきゃならないの、凪さんは知ってますよね?」
「うん。その、海斗は、大変だから」
「そうです。だから俺はお金を稼がなきゃならない。でも凪さんと付き合うのに、ここに来るのがバイトの為だなんておかしいじゃないですか」
恋人として凪のお世話をするのは全く構わない。
けれどそうなった場合、海斗は生きていけなくなってしまう。
そして、恋人のお世話をするのがお金の為というのは、明らかに異常だ。
少し前と似たような状況になったからか、凪が大きく目を見開いた後、焦ったように海斗へと距離を詰める。
「な、ならお金は私が払う。それが嫌なら、清二さんに黙っておこう。それなら――」
「いえ、どちらもナシです。もう俺は凪さんや清二さんに、ずっと甘えてきましたから」
これ以上凪や清二の厚意を受け取れはしない。
凪の提案は嬉しかったが、きっぱりと断った。
今までの関係が壊れてしまうからか、凪が今にも泣きそうな顔になる。
「……また、私は海斗に迷惑を掛けちゃったの?」
「それは違います。凪さんが伝えてくれた言葉は迷惑でもないし、取り消しもさせません」
切っ掛けは不明だが、ようやく自覚した恋心を伝えるのが悪であるものか。
次に凪が言いそうな事を先回りで潰しつつ励ませば、凪の顔がくしゃりと歪んだ。
「なら、どうするの?」
「取り敢えずは、清二さんに相談ですね」
「清二さんに?」
「はい。凪さんには申し訳ありませんが、約束してたんですよ。『俺が胸を張れるようになる』、『凪さんが自分の気持ちを自覚する』。この二つが達成されるまで現状を維持するって」
少し前に凪に家庭事情を受け入れてもらった事で、彼女と釣り合わないと諦める事は辞めた。
そして、凪が海斗への好意を自覚した事によって、清二との約束を果さなければならなくなったのだ。
当事者ではあるが除け者にしたお詫びとして、美しい銀色の髪へと手を伸ばす。
ゆっくりと撫でれば、アイスブルーの瞳が僅かに細まった。
「そんな事、約束してたの?」
「はい。少し前に。だから、何にせよ報告しないといけません」
「……分かった。じゃあこの件は明日まで保留」
「ありがとうございます」
本当ならば、胸の中にある想いを伝えて凪を抱き締めたい。
けれどぐっと欲望を抑えて感謝を口にすれば、凪が撫でていない方の海斗の手を掴んだ。
「でも、私を省いて話を進めてたのはむかつく。だから、私が満足するまで撫でて」
可愛らしいおねだりをしつつ、凪が掴んだ手を瑞々しい頬へと持っていく。
すりすりと頬ずりされれば、これが恋人とのやり取りに近いと分かっていても、咎める事が出来ない。
「りょーかいです」
クリスマスパーティーをするだけだったのに、随分と話が進んでしまった。
とはいえ、この場であれこれ悩んでも仕方がない。
気持ちを切り替え、今は凪のご機嫌を取る海斗だった。
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