第98話 姿を重ねて

 クリスマスパーティーは大成功し、海斗と清二は厨房で洗い物をしている。

 両親や妹と会話しながら海斗を待っていると、博之が迷っているような視線を向けた。


「提案があるんだけど、いいかい?」

「は、はい。何でしょうか」


 両親ときちんと話せた事で、最早気まずさはない。

 しかしクリスマスパーティー以前に戻ったような緊張を帯びた空気に、背筋が伸びた。


「その……。もう、一人暮らしする理由はないんじゃないかな?」

「……あ」


 西園寺家を出たのは、両親や渚とどう接すればいいか分からなかったからだ。

 必要とされているのが凪の頭だけではないかという不安もあったが、どちらも既に解決している。

 つまり、もう凪は一人暮らしする理由がない。

 博之から指摘された事でようやく気付き、短い呟きを落とした。


「勿論、無理強いするつもりはない。けど、凪と昔のように――いや、昔よりも仲良く一緒の家で過ごせたらと思うんだ」

「ありがとうございます。なら――」


 一人暮らしを辞めて、西園寺家へと戻る。

 そう答えるつもりだったのに、急に沸き上がった寂しさが凪の言葉を途切れさせた。

 突然固まった凪へと、家族三人が心配そうな目を向ける。


「凪?」

「どうしたの?」

「お姉様?」

「…………もし私が実家に戻ったら、海斗はどうなるんですか?」


 凪が西園寺家に戻れば、当然ながら海斗にお世話される事がなくなってしまう。

 一時期はなくなる危機だったので強引に引き留めたが、再び似たような状況になってしまった。

 頭で分かっていながらも質問すれば、博之が申し訳なさそうに顔を曇らせる。


「残念だけど、今までのようにはいかないね」

「でも大丈夫よ、凪。海斗くんと遊ぶ事だって出来るわ」

「そうですよ。絶対に会えないって訳じゃないんです」

「そう、だけど……」


 海斗が凪のお世話をしているのはお金の為だ。

 なので、以前のように喫茶店でバイトをする事でも稼げはする。

 渚や桃花の言う通り、会う事も遊ぶ事も出来るだろう。

 しかし、海斗との穏やかな生活がなくなってしまうと考えただけで、心に冷たいものが這い上がってきた。


「……」


 両親との仲直りは望んでいたし、西園寺家に戻る事が嫌なのではない。

 それでも、どうしても、「実家に戻る」という簡素な言葉を口に出せなかった。

 顔を俯けて黙り込んでいると「凪」という博之の穏やかな声が耳に届いた。

 視線を上に向ければ、両親の優し気な、けれど少しだけ寂しさの混ざっている顔が凪を見つめている。


「言いたい事を言ってごらん」

「で、でも……」

「思いきり甘えてねって言ったでしょう?」


 胸に沸き上がる願いを口にすれば、両親を困らせてしまうのではないか。

 そう考えたからこそ口をつぐんだのに、二人は言葉にして欲しいと懇願してきた。

 もっと甘えて欲しいと願う博之と桃花に促され、おずおずと口を開く。


「我儘を、言っていいですか?」

「勿論」

「ええ」

「…………私は、今の生活を続けたいです」


 自分がとんでもないお願いをしているのは分かっている。

 こんな自分勝手な行動は、流石に許されないかもしれない。

 不安を胸に博之と桃花の顔色をうかがえば、仕方ないなあという風に微笑まれた。


「凪が自分だけの都合で初めて我儘を言ってくれたんだ。叶えなければ親失格だね」

「そうね。こんなに可愛らしい我儘なんだもの」

「い、いいん、ですか?」


 驚く程あっさり許され、念のために確認を取れば、両親が大きく頷く。


「ああ。でも、条件がある」

「……それは、どんな条件なんですか?」

「偶には実家に顔を出す事。そしてもう一つ」


 そこで博之は言葉を切り、今までの優しい笑顔とは違う、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「必ず海斗くんをモノにする事。いいかい?」

「えっと、それは、どういう……?」

「深い意味はないのよ。単に、凪が海斗くんと一緒に居たいだろうなって思っただけなんだから」

「桃花の言う通りだ。凪は、その為に一人暮らしを続けるんだろう?」

「はい。海斗と今の生活を続けて、いつか――」


 これまであまり両親と話して来なかったが、博之と桃花が相思相愛の仲なのは知っている。

 だからこそ、凪も海斗と同じような関係を築きたい。

 何の疑問もなくそこまで考えたものの、ふと一つの気付きによって思考が止まる。


(あれ? それって……?)


 両親は夫婦だ。つまり、凪は海斗と夫婦になりたいと自然に考えていた。

 ならば海斗に抱いている感情は、友情などではない。

 そう理解した瞬間、小説のヒロインの行動や気持ちとこれまでの自らの行いがカチリと嚙み合った。


(そっか。そうだったんだ)


 当然のように海斗が傍に居ると思っており、失う事など考えられない。

 顔を見れないと不安で、でも偶に恥ずかしくて。

 海斗が悲しいと凪も悲しくて、何とかしてあげたくなる。

 

(とっくの昔に、私は海斗の事を――)


 家族とすら満足に話せない自分には、誰かを想う資格はないと、考えるだけ無駄だと思考から省いていた。

 なのに、この想いはいつの間にか大きく育っていたのだ。

 自覚した恋心が生み出す熱のままに、家族へと微笑みを向ける。


「いつかではなく、これからもずっと、海斗と一緒に歩いていきたいです」

「そうか。親として、応援してるよ」

「頑張ってね、凪。困った事があったら言いなさい」


 凪の海斗に対する気持ちは分かったはずだが、両親は満面の笑みで背中を押してくれた。

 渚も嬉しいのか、天真爛漫な笑顔を浮かべている。


「つまり、お兄様は本当にお兄様になるんですね!」

「そうなるように頑張ってみる。……というか、今更だけど何で『お兄様』なの?」


 凪が居ない時に海斗は渚と話していたらしいので、仲良くなってもおかしくはない。

 しかし、渚は異様に海斗に懐いている気がする。

 義妹とはいえ面白くないが、ようやく壁が無くなったこの状況で露骨に怒るのは違うだろう。

 なので僅かに目を細めれば、渚は楽し気に頬を緩めた。


「お兄様はお兄様ですよ。駄目でしょうか?」

「……まあ、いいけど」


 はしばみ色の瞳が揶揄からかいの色を帯びているのは、気のせいではないはずだ。

 クリスマスパーティー中は凪が弄られる事が多かったので、弄ってもいい相手だと判断してくれたのだろう。

 今までとは違った渚との距離感だが、それも悪くない。

 とはいえ、渚とはいつかきちんと話さなければならないが。

 こほんと咳払いをして、再び両親へと視線を向ける。


「改めて、一人暮らしをしていいですか?」

「ああ、問題ない。海斗くんの事、頑張るんだよ」

「良い報告を期待しているわ」

「はい」


 凪が好意を自覚した今、海斗のこれまでの態度の真意を理解出来るようになった。

 ほぼ確実に、海斗は凪に好意を抱いてくれている。

 これまで海斗と過ごした時間が、何よりも確実な証明として確信を抱かせていた。

 大きく頷き、再び渚へと向き合う。


「渚にも報告するね。それと、時間があったら遊びに来て」

「いいんですか?」

「うん。だって、私達は姉妹だから」

「……はい!」


 妹が家に来るのを拒む姉は居ないはずだ。少なくとも、凪はそんなつもりなどない。

 渚が歓喜の溢れる笑みを見せたので、相当嬉しいのだろう。

 話が纏まったタイミングで、海斗と清二が厨房から出て来る。


「皆さん、もうお帰りになりますか?」


 優しい笑顔を見るだけで、心臓の鼓動が早くなった。

 海斗の顔に見惚れているうちに、博之が応える。


「いや、僕達は清二さんと少し話してから帰るよ。海斗くんと凪は気にしないでいいからね」

「分かりました。それじゃあ帰ろう、海斗」

「え、あ、ちょっと!?」


 凪よりも大きく骨ばった手を掴み、喫茶店から出ていく。

 何度か握った事はあるが、今は昔以上に気恥ずかしい。

 それでも決して悪い気分ではなく、にやけそうになる頬を抑えて海斗を引っ張るのだった。

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