第97話 笑い合う姉妹

「渚」


 両親とある程度話をした後、凪が横に座っている渚へと顔を向けた。

 今まで殆ど喋らず状況を静観していた渚が、僅かに目を見開く。


「な、何でしょうか」

「私ばっかり話してごめんなさい。それと、渚にも迷惑を掛けたね」

「そんな事ありません!」


 姉を追い出してしまった、と思っている渚が大きく首を振って凪の言葉を否定した。

 家で全く会話していなかった姉妹が、ようやく向き合う。


「私の方こそ、お姉様に迷惑を掛けてしまいました。私のせいで、お姉様は家を――」

「それは違う。私が居場所がなくなったと勘違いして、自分の意思で家を出たの。渚は何も悪くない」

「お姉様にそんな考えをさせてしまったのは私です! だから、私が悪いんです!」


 どちらも自分が悪いと言う姿は、確かに姉妹と思えた。

 口論に発展しているが、娘達を信頼しているのか博之も桃花も口を挟まない。


「私が、私が生まれたから。私のせいで、皆不幸になってしまったんです」


 今まで海斗にしか伝えなかった想いを、ついに渚が口にした。

 思う所があったのか、博之と桃花の顔が悲しそうに歪む。

 しかし二人が何かを言う前に、凪が瞳に僅かな怒りを込めて口を開いた。


「そんな事言っちゃ駄目。お父さんもお母さんも、渚が生まれたのが嬉しかったんだから」

「で、でも……」

「まあ、生まれたばっかりの渚にお父さん達が掛かり切りになったから、私は寂しかったけど」


 形の良い眉を下げ、当時の本心を凪が口にする。

 実際、甘えたいと思っていた両親が渚に掛かり切りになったのは、面白くないだろう。

 嫉妬と羨望の混じった言葉に、渚が顔を俯けた。


「そう、ですよね。やっぱり私は――」

「でもそれと同じくらい、妹が出来て嬉しかった。……私がどう接していいか分からなくて、結局全然話が出来なかったけど、ね」

「……え?」


 嫌われていると思っていた凪からの正反対の言葉に、渚が呆けたような顔になる。

 その姿も自分のせいと思ったのか、凪の顔がくしゃりと歪んだ。


「本当は、もっと渚と仲良くなりたかった。困らせてばかりの情けないお姉ちゃんで、ごめんね」

「そんな事言わないでください。お姉様は、私が憧れている人です」

「そう、なの? ずっと、嫌われてると思ってた」

「それはあり得ません。むしろ、私がお姉様に嫌われてると思ってました」


 完全にすれ違っていた姉妹が、ようやく勘違いに気付く。

 きょとんと全く同じタイミングで目を見開いた二人は、再び全く同じタイミングで破顔した。

 姉妹の間に気まずい空気など、最早存在しない。


「話が下手な私に憧れても、良い事ないよ?」

「えっと、それは……」


 姉を誇っていても口下手なのは否定出来ないようで、渚が視線を逸らす。

 渚に受け入れられなかったのが不服なのか、凪が僅かに唇を尖らせた。


「自分で言って何だけど、微妙な反応をされるとむかつく」

「す、すみません!」

「ふふ。ごめんね、渚。また困らせちゃった」


 勢いよく頭を下げた渚へと、凪が楽し気な笑みを送る。

 海斗から見ても珍しいが、凪が揶揄からかったらしい。

 それを渚も理解したようで、彼女は嬉しそうに笑いつつも眉を寄せて怒りを表すという、器用な事をした。


「もう! お姉様は意外と意地悪です!」

「そうだよ。こんな風に、ずっと話したかったの」

「……私も、です」


 達成感に溢れた凪の笑みに、渚が泣きそうな顔をしつつも微笑んだ。

 二人の話が一段落したと判断したようで、博之が手から乾いた音を響かせて注目を集める。


「さてと、話はご飯を食べながらしようか。清二さん、海斗くん、いいかい?」

「もちろんでございます」

「はい、大丈夫です」


 今日喫茶店に集まったのは、話をしてすれ違いを無くす為だけではない。むしろ、ここからが本番だ。

 用意は出来ていると清二と一緒に頷き、既に出来上がっている料理を運んでいく。

 テーブルに近付けば、凪に晴れ渡る空のような笑みを向けられた。


「私、ちゃんと話せたよ。頑張ったよ」

「はい、見てましたよ。お疲れ様でした」


 今まで距離を取っていた家族と話すのは、緊張したはずだ。

 労う為に頭を撫でたくはあるが、流石にここでは出来ない。

 代わりに精一杯の労いの言葉を贈った。


「私が頑張れたのは海斗のお陰。本当にありがとう」

「俺は何もしてません。凪さんが凄いんです」

「いや、それは違うよ。凪が話してくれるようになったのは、間違いなく海斗くんのお陰だ。なにせ僕や桃花、清二さんですら出来なかったんだから」


 唐突な博之のフォローに、背筋がむず痒くなる。

 どうしたものかと視線をさ迷わせるが、誰も海斗の味方はおらず、全員に微笑ましい笑顔を向けられた。


「そうよ、海斗くん。ありがとう」

「ありがとうございます、海斗お兄様!」

「流石は海斗くんだね」

「あの、その……。料理取って来ます!」


 賞賛の言葉に耐え切れず、厨房へと逃げる。

 当然ながら全員にバレており、楽し気に笑われたのだった。





「いつも凪は遠慮しててね。『必要ありません』って言葉を何度聞いた事か」

「ですね。私が面倒を見ている時も言われましたよ」


 博之と清二が昔の凪を振り返り、苦笑を零し合う。

 てっきり西園寺家の四人でクリスマスパーティーを行うかと思ったが、何故か海斗と清二も呼ばれたのだ。

 博之曰く『こういう時は全員で楽しむべき』との事らしい。

 結果として、六人でご馳走を食べつつ昔を振り返っている。

 過去を掘り返されて凪が顔を真っ赤にしているが、全員が分かっていつつもあえて無視していた。


「俺も似たようなものです。仕方がないと思いますが、どうなる事かと思いました」

「そうだねぇ。凪ちゃんは海斗くんとの顔合わせすら渋ってたから」

「うぅ……。だって……」

「……お兄様の事は理解出来ますが、お姉様は遠慮し過ぎです」


 凪が西園寺家に引き取られてからの事、渚が生まれてからの事。海斗の知らない様々な彼女を知れた。

 凪は羞恥を逃がすのが大変だろうが、こんなに大人数で食卓を囲むのは楽しい。

 しかも、全員が一番関係のない海斗を受け入れてくれたのだ。

 胸を温かいもので満たしつつ、会話を弾ませる。

 しかし、ポケットに入れていたスマホが突然震えた。


「…………」


 ちらりとスマホを見て表示された名前に、一瞬で思考が冷える。

 この場の空気を壊したくなくて、笑顔を張り付けて立ち上がった。


「ちょっと席を外しますね」

「……海斗?」

「大丈夫ですから」


 僅かな表情の変化から見破ったのか、凪が海斗を不安げに見上げる。

 ここから先の事は凪に関係ないと、やんわりと拒絶して喫茶店の更衣室へと引っ込む。

 未だになり続けているスマホに視線を落とせば、画面には先程と変わらず『天音利華りか』の文字が表示されていた。


「……もしもし」

『さっさと出なさいよ、この愚図ぐず! 私を待たせるなんて何様のつもりよ!』


 一言目からの暴言は、最早いつも通りのものだ。

 この程度で胸は痛まず、冷えた心のままに口を開く。


「すみません。それで、何かありましたか?」

『あんたが私に迷惑を掛けていないか気になっただけよ』

「そうですか」


 大方、今まで遊んでいた男とこじれ、その憂さ晴らしの相手に海斗を選んだだけだろう。

 いつも通りと言えばいつも通りだが、こんな時に電話しないで欲しかった。

 良い年した大人が何をやっているんだ、と呆れたくなるものの、流石に口には出さない。


「直近のテストでは上位十名、家賃はしっかり払っています。問題がありますか?」

『チッ。つまらないわね』


 お前に暴言を吐かれたくないし、死にたくないから頑張って働いてるんだ、と言いそうになって慌てて口をつぐんだ。

 不機嫌さを隠さない舌打ちを受け入れ、ジッと電話が終わる時を待つ。


『だからって他に問題を起こしてないでしょうね? 去年まで家に居させていた恩を忘れるんじゃないわよ』

「問題を起こす理由がありませんので」

『……あっそ。ホント、お前なんか生まなきゃ良かったわ』


 もう付け込む隙がないと思ったのか、負け惜しみとばかりに暴言を吐いて電話が切れた。

 ドッと疲れが襲ってきて、ロッカーに思いきりもたれる。


「うっせえよ。俺だって、お前の息子になんて生まれたくなかったっての」


 誰にも聞かせたくない暴言を吐き、胸に淀んだ黒い感情を鎮めていく。

 もしかすると、こういう所は母に似たのかもしれない。

 最悪の想像に吐き気すら込み上げ、ぐっと奥歯を噛む。

 この状態で凪達の元に向かいたくないと時間を潰し、暫くしてから戻った。

 軽く謝罪して席に着けば、凪が海斗を心配そうに見つめる。


「海斗、大丈夫?」

「はい、ちょっと腹が痛かっただけです」

「……そう」


 確実に何か気付いているだろうが、空気を乱したくないのか凪は問い詰めない。

 内心で彼女に頭を下げ、再び会話に混ざる。

 先程までのような胸の温かさは、沸き上がらなかった。

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