第67話 包囲網
勉強会は夕方に終わり、晩飯まで時間が出来た。
てっきり皆で遊ぶかと思ったのだが、美桜が意地の悪い目で海斗を見つめる。
「さて。晩ご飯まで時間があるし、天音にはある事をやってもらおうかな」
「どうせロクな事じゃないんだろ? さっさと言ってくれ」
「なら、一度帰って外泊用の荷物を持って来て」
「はいはい。わか――なんて?」
美桜が唐突な提案をするのは今に始まった事ではないので、何を言われても驚かない自信があった。
しかし全く予想していなかった発言を耳にして、思考が真っ白になる。
固まる海斗へと、美桜がしてやったりという風な笑みを向けた。
「だから、外泊の荷物だってば。天音にも凪ちゃん先輩の家に泊まってもらうんだから」
「…………突っ込み所が多すぎる。ちょっと待て」
いきなり大量の情報を言われて、海斗の頭はパンク寸前だ。
こめかみに指を当てて頭痛を抑えつつ、深呼吸をして頭と心を落ち着かせる。
ちらりと凪の様子を見れば、端正な顔は期待と不安に彩られていた。
「まず、一ノ瀬は凪さんの家に泊まるつもりだったんだな?」
「そうだよ。その為の荷物だし」
「どうりで大きいバッグを持ってきてる訳だ」
勉強や遊ぶだけで、何故大きめのバッグが必要になるのか疑問だった。
海斗は適当な鞄に勉強道具を詰め込むだけで済んだのだから。
しかし、美桜は初めから泊まるつもりだったらしい。
凪が驚いた様子を見せていない事から察するに、事前に決めていたのだろう。
「それはいいとして、何で俺も泊まる事になるんだよ。ダメだって」
海斗が二人の予定を知らないのに関して、別に怒るつもりはない。
同性の家に泊まる事など普通だし、海斗は男なのだから、むしろ仲間外れは当たり前だ。
だが、流石に海斗も泊まるのは常識的に考えて駄目だろう。
苦言を
凪はというと、いまいち理解出来ていないのかきょとんと首を傾げている。
「おやぁ? ダメな事をするのかなぁ?」
「はぁ? する訳ないだろ」
学校で有名な二人に何かをするなど、身の程知らず過ぎる。
そもそも、凪に変な事をすれば清二に伝わるし、今時の女子である美桜も凪と同じくお嬢様なのだ。
下手な事をすれば、海斗が消される可能性がある。
大袈裟かもしれないが、それくらいに立場のある二人なので、変な事など出来るはずがない。
憮然とした態度で言い返せば、言質を取ったと言わんばかりに美桜が唇の端を釣り上げた。
「ならいいじゃん。ねー、凪ちゃん先輩?」
「うん。皆でお泊り、楽しそう」
「この人は、本当に……」
凪は間違いなく海斗へ好意を抱いているはずだが、今回は羞恥より興味が勝ったのだろう。
彼女のこれまでの生活からすると、友人とのお泊りはした事がないはずなので、楽しみに思うのも無理はない。
海斗を手玉に取る気の美桜とは違い、純粋なのが質が悪過ぎる。
「…………まあ俺は一人暮らしですから、外泊しても一応は問題ありません。でも、凪さんは問題あるでしょう?」
「私も海斗と同じ一人暮らし。だから、誰を泊めても問題ない」
「いや、清二さんにどう説明するんですか……」
海斗に関しては、男なので許可など取らずとも良い。
むしろ海斗の保護者であるはずの立場の人は、海斗に興味が無いどころの話ではないのだが、わざわざ説明しなくとも良いだろう。
凪のお目付け役の人へ話題を逸らせば、待ってましたとばかりに凪が楽し気な笑顔を浮かべてスマホを取り出した。
「今から説明する」
「……駄目だと思いますけどねぇ」
海斗の呟きを無視し、凪がスマホをスピーカーに切り替えてコール音を鳴らす。
営業中のはずだが、すぐにスマホから『もしもし』と男性の声が聞こえてきた。
「あの、清二さん。お願いがあるんですが」
『凪ちゃんがそう言うのは珍しいね。どうしたんだい?』
「美桜だけじゃなくて、海斗も泊めたいんです。いいですか?」
『うん、いいよ』
「軽ッ!?」
女性の家に男性が泊まるのだ。それが高校生なのだから、普通は悩むか許可しない。
なのに何の迷いもなく許可を出され、思わず声を荒げてしまった。
海斗の声が聞こえていたようで、清二が軽やかな笑い声を漏らす。
『僕は海斗くんを信用してるし、海斗くんだって状況を良く分かっているだろう?』
「それは、まあ」
『なら僕があれこれ言わなくても大丈夫だよね。泊まる事に何か問題があるかい?』
「……ありません」
手を出すような事など出来ないだろう、と完全に言いくるめられ、渋面を作って顔を俯けた。
すると、凪が「あのね」と決意を秘めた声を落とす。
「二人ともっと仲良くなりたいなって。だから美桜だけじゃなくて、海斗にも泊まって欲しいなって。……我儘言っちゃ、ダメ?」
美桜に流された訳でも、清二が許可を出したからでもない。
これは凪自身が考えた事なのだと、凪なりの我儘だと口にされ、反論する気持ちが
おそらく、勉強前に美桜と二人で話していたのはこの事だろう。
負けを認め、苦笑を浮かべて肩を竦めた。
「分かりました。それじゃあ今日は泊まらせていただきます」
「うん! ありがとう、海斗!」
「お礼を言うのは俺の方ですよ」
輝かんばかりの笑顔を向けられ、胸が温かくなる。
凪と微笑み合っていると、空色のスマホから『さて』と声が聞こえてきた。
『話は纏まったし、僕は仕事に戻ろうかな』
「ありがとうございます、清二さん」
『海斗くんに感謝される事じゃないよ。それじゃあね』
あっさりと通話は切れ、凪がスマホをポケットにしまう。
この後の予定が一気に決まった事で、ドッと疲労が襲ってきた。
天井を見上げて細い溜息を吐き出せば、美桜のけらけらと明るい笑い声が耳に届く。
「なーに疲れた顔してんのよ。何もしてないでしょうが」
「そりゃあそうだけど、泊まりかぁ……」
学校でも有名な美少女かつお嬢様な二人と一夜を共にする。
他の男子に知られれば、嫉妬で狂ってしまいそうな話だ。下手をすると、夜道に気を付けなければならない程に。
秘密にしなければと決意して呟くと、凪が海斗の態度を勘違いしたらしい。
へにゃりと眉を下げ、瞳を潤ませて海斗の様子を
「え、っと、やっぱり、海斗は嫌だった?」
「天音が嫌がる訳ないでしょう? ね、天音?」
にこりと笑んでフォローに入る美桜だが、瞳が全く笑っていない。
何を不安にさせているんだ、と言いたげな鋭い眼光に慌てて口を開く。
「あ、ああ。嫌じゃないですよ。俺も楽しみです」
「ほんとう?」
「はい。一ノ瀬が遊び道具を持ってきてるでしょうし、いっぱい楽しみましょうね」
「うん!」
海斗の言葉に凪が満面の笑みを浮かべて頷いた。
美桜がダシにされてじとりとした目をしていたが無視する。
とはいえ、三人での泊まりは海斗も初めてで、楽しみにしているのも確かだ。
胸に沸き上がる高揚感に頬を緩ませて立ち上がる。
「じゃあ俺は一度帰ります」
「気を付けてね」
「またねー」
ひらひらと手を振る凪と美桜に見送られ、家に向かうのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます