第66話 ご招待される美桜

 晩飯の買い物を終え、高級マンションの中に足を踏み入れる。

 エレベーターに揺られて凪の家に着くと、美桜が外の景色や部屋の中を見渡した。


「ここが凪ちゃん先輩の家なんですねぇ。景色良いなー! 部屋きれーい!」


 凪が一人暮らしなのは美桜も知っているので、その事に触れはしない。 

 無邪気にはしゃいでるように見えて、しっかりと凪を気遣ってくれるのが有難い。

 また、流石に美桜に掃除風景は見せられないと、彼女と合流する前に海斗は凪の家で家事や軽い掃除をしていた。


「……部屋は海斗が片付けてくれるからだけどね」

「そう言えばそうでしたね。という事は、毎日天音はここで凪ちゃん先輩にご飯を作ってるのかぁ」


 凪が僅かに眉を下げるのは、全く自慢できる事ではないからだろう。

 美桜もそれを分かっているからこそ、話題を変えて海斗を生温い目で見つめた。

 この程度は揶揄からかわれた内に入らないので、肩を竦めて素直に認める。


「そうだぞ。まあ、俺も食べてるけどな」

「……うん? それは初耳なんだけど」

「そりゃあ言う必要なかったからな。俺も一人暮らしなんだって言ったら、晩飯に誘われたんだよ」


 二人で晩飯を摂っているのを凪が美桜に伝えている可能性もあったが、どうやら知らなかったらしい。

 とはいえ、凪との食事を海斗が美桜に話す理由もない。

 海斗の言葉に納得がいったのか、美桜が頷いて優し気に目を細める。


「そっか、そうだったね」

「ん? 俺が一人暮らししてるって話してたか?」


 美桜に海斗の家庭事情を話した覚えはないのだが、どこかのタイミングで言っていたかもしれない。

 過去を振り返りながら質問すれば、美桜の頬が僅かにひくついた。


「う、うん。前にちょっとだけ聞いた気がする」

「そうか。まあ、一ノ瀬の愚痴を聞いてる間に話したんだろうな」


 女性の愚痴を聞く際に大切なのは、相手に同意する事だと教わっている。

 海斗がしっかり実践出来ているとは思わないが、それでも海斗の家庭事情を美桜に話すのは変な気がした。

 しかし、彼女が聞いたのならそうなのだろうと、深く考えるの止めてキッチンに向かう。


「それじゃあ俺は晩飯の下拵ごしらえをするから、二人は勉強の――」

「わはー! こっちが凪ちゃん先輩の部屋ですか!? かわいー!」

「そ、そうかな……」

「聞いてねぇな」


 美桜と凪が海斗を放り出して部屋を回っていく。

 別に放置されても構わないが、やはり女子二人だと海斗と凪のように遠慮しないでいいのだろう。

 あるいは、先にある程度仲を深めたからこその遠慮のなさかもしれない。


「ま、凪さんにはいい経験だろ」


 凪は海斗以外の友人を家に呼ぶのが初めてだろうし、美桜も非常に楽しんでいる。

 勉強会、という名目で集まったが、ずっと堅苦しいのは疲れるので、これで良いのかもしれないと笑みを零すのだった。





 海斗が下拵したごしらえを終えても、二人は凪の自室でお喋りに興じていた。

 なので少々無理矢理リビングへと連れ出し、勉強会を始めている。


「もうちょっと遊んでても良かったじゃん」

「ダメとは言わないけど、清二さんに勉強会って言ったんだ。夕方までは頑張れ」


 この場にいる人間は、勉強会をしなくとも良い成績を取れる。

 しかし清二に宣言したり勉強会を目的にした以上は、ある程度勉強をすべきだろう。

 口うるさいと理解しながらも注意すれば、美桜が呆れた風に苦笑を落とした。


「……何か、お父さんみたい」

「晩飯抜きにしていいんだな?」

「ごめんなさいごめんなさい! ちゃんとしますぅ!」

「全く……」


 そんなに老けているつもりはないので変な事を言うなと脅すと、美桜が焦りを顔に浮かべて平謝りする。

 仕方ないなと腕を組んで許せば、くすくすと軽やかな笑い声が耳に届いた。


「海斗も美桜も、そんな軽い会話が出来るなんて凄いね」


 漫才のようなやりとりに凪が笑うが、その笑顔は羨まし気なものだ。

 前々から凪は海斗と美桜のやりとりを羨ましがっていたので、目の前で見せられると寂しいのかもしれない。

 しかし、そんな表情をされて黙っている程、美桜は大人しくない人だ。

 だからこそ、彼女は溌溂はつらつとした笑みで凪を見つめる。


「そんな事ありませんって。凪ちゃん先輩もこんな風に遠慮なく言えばいいんですよ」

「でも海斗に不満なんてないし、偶に我儘も言ってるし……」

「うーん。なら、こういうのはどうですか?」


 勉強の為に海斗の隣に座っていた美桜が、立ち上がって凪の傍へ行く。

 その後、何かを耳打ちすると、凪の顔が楽し気な笑みに変わった。


「元々私はそのつもりでしたから凪ちゃん先輩に話してましたけど、どうですか?」

「それ、採用」

「さっすが凪ちゃん先輩! 話が分かるぅ!」

「……何か、嫌な予感がするんだが」


 美桜だけでなく凪も何かを企むような笑みをしている。

 それだけでなく、わざわざ海斗に内緒にしたのだから、この後良くない事が起こるはずだ。

 頬を引き攣らせれば、二人がにやにやと悪戯っぽい笑みで首を振る。


「大丈夫。海斗に害はないはずだから」

「むしろ天音は後で私に感謝すると思うなー」

「はぁ……。分かった。後でのお楽しみにしておく」


 どうせ後で知らされるのなら、今考えても無駄だ。

 諦めて勉強に移れば、二人も各自で手を動かし始めた。

 とはいえ凪は以前と同じく仕事であり、美桜にも了解を取っているのだが。


「こうして見ると、凪ちゃん先輩は出来る人って感じですねぇ」


 勉強をし始めて一時間程経つと、気分転換の為か美桜が昔の海斗と似たような発言をした。

 珍しく敬われたからか、アイスブルーの瞳が輝く。


「そ、そう? 私、かっこいい?」

「かっこいいです! 流石年上の先輩!」

「えへへ……」


 本心ではあるだろうが、それでも露骨に凪を持ち上げる美桜に苦笑を零す。

 凪が嬉しそうにはにかんでいるので、苦言を呈して空気を壊しはしない。


「私は教えるのが下手だから、こういう時に良い所を見せないとね」

「凪さん、それは……」

「いいの。海斗がゆるしてくれたから、もう大丈夫」


 言っていいのかと凪の顔色を窺えば、自信満々な笑みが返ってきた。

 もうトラウマは克服したと、海斗が「それでもいい」と言ってくれたから平気だという態度が胸に響く。

 ジンと目の奥が痺れて黙っていると、美桜が慈しむような笑みを浮かべた。


「教えるのが苦手だっていいじゃないですか。だよね、天音?」

「ああ」


 同じ事を言ったのだろう。という風に目くばせされたので、大きく頷く。

 海斗だけでなく美桜も受け入れてくれた事で、凪の顔が安堵の含まれた柔和な笑みに彩られた。


「ありがとう、美桜」

「いえいえ。むしろ仕事してる凪ちゃん先輩を見られて大満足です!」

「なら良かった」


 美桜の言葉に凪がはにかみ、再び三人が勉強と仕事に戻る。

 元々殆ど壁のない海斗達だったが、より仲良くなれたと思うのだった。

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