第54話 電話越しの会話
「凪さん? どうしたんだろうか……」
海斗は凪と連絡先を交換しているが、電話した事はこれまで一度もない。
とはいえ、それはどうせ一日一回以上会うのだし、晩飯の献立もメッセージでやりとりすればいいからだ。
今は凪が修学旅行なのでいつもと違うのだが、まさか電話してくるとは思わなかった。
「暇なのか、それとも部屋に居辛いのか。後は……なんだろうな」
家に居る時のように大量の本は持って行っていないはずだし、そうなると手持ち
若しくは宿泊部屋の空気が合わなくて逃げ出し、海斗と電話する事で暇つぶしをしようと思ったのか。
もう一つ可能性として頭に浮かんだが、それはあり得ないと考えを一蹴してスマホを耳に当てる。
「もしもし」
『……あ、海斗?』
取り敢えず電話越しに声を掛ければ、驚いたような雰囲気のあと、おっかなびっくりという風な声が聞こえた。
涼やかな声は昨日聞いたばかりなのに、何故か胸が締め付けられる。
胸の動揺を抑え込み、柔らかい声を心がけて口を開く。
「そうですよ。どうしたんですか?」
『えっと、その、迷惑、だった……?』
海斗の様子を
要件を答える前に状況を確認する優しさが胸を満たし、くすりと笑みを落とす。
「まさか。ちょうどバイトを終えて帰ってる途中だったので、むしろ話し相手になって欲しいくらいでした」
『なら良かった』
「それで、何かあったんですか? もしかして、修学旅行が退屈だったとか?」
『ん……。すっごく退屈だった。お寺とか興味なかったから、説明とか全く覚えてない』
「あ、あはは……」
実際、修学旅行先での説明を覚えている人はごく僅かだろう。
それでも堂々と「覚えてない」と言い切る凪には、苦笑しか返せなかった。
「それで、今も退屈だから部屋を抜け出して来たんですか?」
『ん……。本当は、そのつもりだった』
「だった?」
『うん。同じ部屋の人と何を話せばいいか分からなくて逃げようと思ったら、話し掛けてくれたの』
「へぇ……。よかったじゃないですか」
少し弾んだ声から察するに、相当嬉しかったのだろう。
一番最悪のパターンだと、修学旅行中は凪が居ないもののように扱われ、彼女もそれを受け入れるかもしれないと思っていた。
しかし、気に掛けてくれる人が居たらしい。
修学旅行が良い思い出になってくれそうなのは嬉しいが、だからこそ現状に疑問を覚える。
「なら、クラスメイトともっと話さなかったんですか?」
『皆にはそう――間違った。えっと、その……』
「ゆっくりでいいですからね」
凪が言い掛けた言葉は気になったが、こういう場合は追及しない方が良い。
口ごもる凪に焦る必要はないと柔らかい声を心掛けながら告げ、彼女の言葉を待つ。
『皆と話すのは楽しかったけど、それよりも海斗と会えなくて、話せなくて寂しかったの』
「……」
海斗が一蹴した可能性を言葉にされ、家に向かう足が止まる。
まだ修学旅行が始まって一日目なのだ。寂しがるには早すぎる。
しかし、海斗はその言葉を口に出せなかった。
(そっか、凪さんも俺と一緒だったんだな……)
歓喜が胸を満たし、心臓が早鐘のように鼓動する。
たった一日顔を合わせず、会話しなかっただけ。なのに、海斗の胸には穴が空いたような喪失感が沸き上がっていたのだ。
それは美桜と話しても無くならず、気にするだけ無駄だと向き合わなかった感情でもある。
おそらく海斗にとって、凪をお世話する事は最早当たり前になっているのだろう。
同じ気持ちを抱いてくれた嬉しさに、頬が緩んだ。
「……俺もですよ。凪さんと会えないの、寂しかったです」
『っ……。そう、なんだ』
言葉は簡素だったが、その声には隠しようのない喜びが表れていた。
無垢な笑みを浮かべる凪を想像するが、実際に見ていれば頬に羞恥が沸き上がっていたはずなので、電話越しで良かったと胸を撫で下ろす。
「はい。なので、凪さんが帰ってくるのを楽しみに待ってます」
『そんな事言われたら、今すぐ帰りたくなる』
「駄目ですよ。俺と学校で関わる時にした約束、覚えてますか?」
少し声が震えていたので、もし凪が海斗の近くに居たなら何が何でも会いに来ただろう。
海斗とて、凪と思いを共有してから寂しさはより大きくなった。
けれど、折角凪に接してくれる人が居たのだ。
このチャンスを逃したくないと、寂しさを押し込めて告げた。
『覚えてる。海斗以外の人もちゃんと見る事。敵ばっかりじゃないって事』
「はい、バッチリです。折角クラスメイトと話したんでしょう? 修学旅行、楽しんでくださいね」
クラスメイトと話した事を喜んでいたので、いい雰囲気だったのだろう。
ならば、明日からの修学旅行は今日よりも楽しめるはずだ。
昨日言えなかった事を口にすれば『うん!』と華やいだ声が聞こえた。
『楽しんでくる! 海斗はバイトお疲れ様。多分明日もバイトするんだろうけど、無理はしないでね』
「俺は凪さんのお世話をする前と変わりませんからねぇ。まあ、気を付けます」
『ん。約束だよ』
自らが楽しい状況であっても、海斗を
仮に体調を崩した場合、凪ならば海斗を看病すると言い出しかねない。
流石にそんな事はさせられないので、凪との約束は守ろうと決意した。
『それじゃあ海斗、おやすみ』
「はい。おやすみなさい、凪さん」
別れの挨拶を済ませ、通話を切る。
電話越しに「おやすみ」と言い合う関係がくすぐったくて、笑みが零れた。
「明日も電話してくれるのかねぇ」
修学旅行は二泊三日との事なので、電話する機会は明日しかない。
電話してくれたら嬉しいが、海斗を忘れてクラスメイトと盛り上がって欲しいとも思う。
人生で一度しかない、高校生での修学旅行なのだから。
海斗は帰ってきた凪から感想を聞ければ、それで十分だ。
胸に残る寂しさを消すように夜空を見上げれば、冷たい風が海斗の頬を撫でた。
「……さむ」
急に寒くなった気がして、思わず身震いする。
家に帰るだけではほぼ状況が変わらないものの、布団に身を包めば寒さも多少はマシになるだろう。
少しでも暖かくなりたくて、小走りで帰る海斗だった。
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