第52話 今更な質問

 凪や美桜とのお出掛けを終えて数日が経ち、海斗は今までと変わらない日常を送っている。

 しかし凪はというと、学校では全く変わらないが、家での態度が以前と少しだけ変化していた。


「……」


 放り出された制服や、干された衣類を片付けていく海斗へ、無言で視線を送る凪。

 文句は言われていないし、彼女の表情はいつも通りの無表情に見える。

 しかし、ほんの少しだけ羞恥が混じっている気がした。


(ようやく凪さんも意識してくれたか……)


 何日も同じ視線を受けていれば、凪の抱いている感情は予想出来る。

 恋愛感情は有り得ないとしても、ほぼ間違いなく海斗を異性として意識しているだろう。

 とはいえ、海斗から今までのようなお世話を止めるとは言い難い。

 理由を聞かれると答え辛いし、その変化を海斗が指摘するのは卑怯な気がするのだ。

 そして凪もきちんと自覚出来ていないからか、海斗を観察しているだけに留まっていた。


「出来ましたよ。凪さん」

「分かった。すぐ行く」


 部屋の片付けと晩飯の調理を終え、ソファに座っている凪を呼ぶ。

 凪が海斗を意識し始めても、これまで通り簡素な返事で彼女がテーブルについた。

 手を合わせて食べるが、静かで穏やかな空気は全く変わっていない。

 同時に、これまでと同じで会話は少ないものの、気まずくはなっていなかった。

 しかし今日は話題を思いついたのか、食事中に凪が「あ」と声を上げる。

 

「そうだ。私、明後日から修学旅行だった」


 海斗達の通う高校は三年生の時に勉強に集中する為、二年生の十一月に修学旅行が行われる。

 入学時に三年間のスケジュールを教えられていたがすっかり忘れており、凪の言葉で思い出した。

 凪が居ない間、海斗はバイトに行くだけなのだが、クラスに友人の居ない彼女にとっては単に面倒くさい行事なのだろう。

 あまり感情の読めない涼やかな声は、少し元気がなかった。


「了解です。こういう言い方が正しいか分かりませんが、頑張ってくださいね」

「うぅ……。頑張る……」


 海斗の予想は合っていたらしく、凪がしゅんと肩を落とす。

 

「でも行きたくない。海斗も美桜も居ないし、海斗のご飯も食べられないし」

「ああいう行事って、俺達のような人には嬉しくないですよねぇ」

「うん。親しくない人達とグループを作るなんて、控えめに言っても地獄」


 恐ろしい程に真剣な顔からすると、凪は冗談で言っている訳ではないらしい。

 凪の気持ちが分かるからこそ、少しでも彼女が前向きになる事をしてあげたいと思った。


「なら凪さんが頑張れるように、明日は好きな料理を作りましょうか」

「ホント!? 何でもいいの!?」

「はい。しかもいくらでも構いませんよ」

「分かった。それなら頑張る!」


 アイスブルーの瞳が輝き、凪の華奢な体にやる気がみなぎる。

 海斗の料理程度で修学旅行にやる気を出すなら、料理を何品も作る程度、何の問題もない。

 体の前で握りこぶしを作る凪が微笑ましくて、くすりと笑みを落とす。


「なら良かったです。それじゃあ明日荷造りしますね」

「うん、お願い」


 どうせいつもお世話しているのだからと提案すれば、あっさりと許可が下りた。

 やる気を出した凪と共に晩飯を平らげ、片付けも終えて家に帰る。

 そして翌日になり、海斗は凪のリクエスト通りに晩飯を作って彼女を応援した。

 目を輝かせて喜んでくれた事に関しては、今までとあまり変わらなかったと言ってもいい。

 しかし凪に修学旅行の詳細を聞きながら荷造りを行っていると、荷造りの許可をしたにも関わらず彼女はジッと海斗の様子をうかがっていたのだった。





「凪ちゃん先輩が居ないから、暇そうですなぁ」


 凪が修学旅行である二泊三日の旅へと出た日の夕方。

 やる事がないのでバイトをしていると、美桜がやってきて開口一番海斗を揶揄からかってきた。

 周囲に視線を配り、特に問題なさそうなのを見計らって口を開く。


「バイトしてる奴に言う事じゃなくないか?」

「でも事実でしょ? 折角だし、私の愚痴に付き合いなさいな」

「ま、最近土日しか出てなかったしな。遠慮なくどうぞ」


 海斗と美桜が学校でも関わりを持ちだして数週間が経つが、いつも一緒という訳ではない。

 それに学校では愚痴を言えない事、海斗が土日しか喫茶店に来なくなっている事から、相当鬱憤うっぷんが溜まっているようだ。

 最近あまり付き合えていなかったのでいい機会だと許可すれば、待ってましたとばかりに美桜が頬を緩めた。


「さっすが天音。それじゃあ――」


 海斗には真似出来ない、人の中心に居る者の苦労。

 それに相槌を打つのも慣れたものだ。

 凪のお世話も充実しているが、美桜との遠慮のない会話も楽しい。

 そうして美桜の愚痴に付き合っていると、ある程度満足したのか「そう言えば」と美桜が零した。


「今まで真面目に聞いた事はないけど、凪ちゃん先輩とはどうなのさ?」

「どうなのさ、とは?」

「凪ちゃん先輩と付き合う気はないのかって事」

「ああ、それか」


 美桜は海斗と凪の関係を知っているので、探りたい気持ちは分かる。

 普通の人からすると、恋心を抱いてもおかしくない関係なのだから。

 ただ、美桜への返答はとっくに決まっていた。


「ないな。俺には高嶺の花過ぎる」

「意外にあっさりしてるねぇ」

「あっさりもするだろ。事情があって世話を焼いてるけど、向こうはれっきとしたお嬢様なんだ。一般男子には届かないっての」


 海斗は偶々凪と仲を深められただけで、本来は一生会話する事がない程に立場が違うのだ。

 容姿は言わずもがな釣り合っていないし、能力も違い過ぎる。

 料理や片付けが多少出来る程度の男子は、凪の隣に並ぶのに相応しくない。

 単に事実を述べただけだが、美桜が盛大に溜息をついた。


「そんなの関係なくない? 一番凪ちゃん先輩に近くて信頼されてるのは天音でしょ。それくらいの自覚はあるよね?」

「自覚はしてるけど、それは単に俺が一番早く凪さんを知る事が出来たから信頼されてるだけだ。しかも、切っ掛けは俺じゃないしな」

「……あのねぇ」


 呆れたと言わんばかりに目を細め、美桜が海斗を見つめる。

 びしり、と思いきり指を差されるが、失礼だと言えない雰囲気があった。


「凪ちゃん先輩は知り合っただけで他人を信頼する人じゃないでしょ。それは天音が一番良く分かってるんじゃない?」

「それは、そうだけど」

「なら、高嶺の花とか言って考えるのを諦めちゃ駄目。それに、もっと自信を持ちなさいよ。少なくとも、凪ちゃん先輩は天音を必要としてると思うけど?」

「今はそうだし、これからもそうだといいな」


 凪が向けてくれる信頼が本物だというのは理解している。海斗を必要としてくれているのも間違いない。

 もし凪がこれから先も必要としてくれるなら、海斗は喜んで力を貸す。

 恋人になる必要はないのだ。単に、あの不器用で優しい先輩の力になりたいだけなのだから。

 自らの願いを口にすれば、美桜が慈しむように微笑んだ。


「天音なら出来るよ。応援してる」

「……さんきゅ」


 真っ直ぐな応援に胸が温かくなり、頬を掻きながらお礼を述べる。

 しかし、返ってきたのは揶揄うような笑みだった。


「あ、話が少し逸れたけど、勿論恋人になるのもね」

「何で俺と凪さんをくっつけようとするんだよ」


 美桜にしては珍しい、少々強引な態度が引っ掛かる。

 遠慮なく疑問をぶつければ、美桜が一瞬だけ遠くを見るように目を細め、すぐに普段の明るい笑みを浮かべた。


「だって、凪ちゃん先輩なら天音を幸せに出来ると思うし」

「そこは逆じゃないのか?」

「天音が凪ちゃん先輩より稼ぐ自信があるならいいけど?」

「無理。というか結局は金かい」


 気持ちの確認のはずなのに、唐突にお金の話に変わって溜息をつく。

 先程までの真剣な空気が、一気に緩んだ。


「それも大事でしょうが。大丈夫、天音は主夫でもやっていけるから!」

「まあ、家事にはそれなりに自信があるけどな」

「なら問題なし! 凪ちゃん先輩とくっつけば玉の輿だよ!」

「そんなのどうでもいいし、俺は俺の役割を果たすだけだっての」


 今の所、海斗は凪のお世話をするのが使命だ。

 単に自分がやりたいからだというのもあるが、何にせよ止めるつもりはない。

 そして凪は海斗を少し意識しているようだが、海斗が異性だと自覚しただけの可能性が高い。

 美桜に言われたので好意を向けられる可能性は一応考えておくものの、付き合うかどうかは先の話だ。

 さらりと流せば、美桜が不満そうに唇を尖らせた。


「適当過ぎるー!」

「はいはい」


 これ以上詮索されるのも面倒なので、無視してバイトに戻る。

 その後、追及を諦めた美桜が帰り、海斗もバイトを終えた。

 喫茶店を出れば、ポケットに入れていたスマホが振動する。


「ん? 誰だ?」


 海斗に連絡をする人物など限られている。

 警戒を強めながらスマホを取り出せば、そこには意外な人物の名前が表示されていたのだった。

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