第51話 視線

 凪が着せ替え人形で疲れた事もあり、クレープを食べてすぐに帰路についた。

 帰りの電車は満員という程でもなく、凪や美桜と密着せずに済んだのは幸いだ。

 茜色の日差しの中、海斗と共に駅のホームへ降りた二人が、満足気な溜息を落とす。


「はふー」

「いやぁ、疲れましたねぇ」

「美桜があれこれ着せようとするから、本当に疲れた」

「うぐっ。いや、その、楽しくなっちゃって……」


 美桜は滅茶苦茶はしゃいでいたが、悪い事をしたという自覚はあるらしい。

 頬を掻いて誤魔化そうとするが、そんな美桜へ凪が柔らかく微笑む。


「確かに疲れたけど、私も楽しかった。ありがとう、美桜」

「……なら、良かったです」


 真っ直ぐな感謝の言葉に、美桜が敵わないなという風な笑みを浮かべた。

 頬が赤く染まって見えるのは、夕日のせいだけではないだろう。


「美桜が選んでくれた服、大切にする」


 服選びの後半、凪は割と辟易へきえきしていたが、それでも美桜が満足するまで付き合っていた。

 決して嫌ではなかったからこその態度だろうし、凪の境遇を考えれば、友人と出掛けるのは初めてだったのかもしれない。

 改札口へ向かいながら、凪が海斗の持つ袋へ慈しむような視線を送る。

 凪の飾らない言葉に限界が来たらしく、美桜は「んあぁぁ!」と妙な声を発し、逃げるような小走りで改札口へ向かった。

 そのまま改札口を出た彼女はくるりと振り返り、羞恥を混ぜたはにかみを見せる。


「そうしてくれると嬉しいです! それと、迎えが来てるんで帰ります! また遊びましょうね!」

「え、あ……」


 海斗と凪が別れの言葉を口にする前に、美桜が居なくなった。

 あまりにも唐突だったからか、凪が海斗を不安そうに見上げる。


「もしかして、怒らせちゃったかな?」

「照れ隠しでしょうから、気にしないでいいですよ」

「そう? ならいいけど」


 普段から周囲に気を遣い、言葉の裏も考える美桜にとって、裏表のない凪はある意味で天敵なのかもしれない。

 小首を傾げはしたものの取り敢えず納得した凪と共に、ゆっくりと彼女の家へ向かう。

 

「ただいま」

「お邪魔します」


 凪と共に家に入り、手洗いとうがいを済ませる。

 晩飯までまだ時間はあるので、凪は自由気ままに過ごすだろう。

 材料は昨日の時点で買っておいたので、後は調理するだけだ。

 となると先に部屋の片付けや、ここまで運んで来た荷物を整頓した方が良い。


「服はしまっておきますね」

「ん。お願い」


 普段から部屋の片付けとして凪の服や下着を触っており、この程度では最早動揺しない。

 凪にもあっさりと許されたので、彼女の部屋のクローゼットの前で袋を開け、買ってきた服をしまっていく。

 あっさりと服を片付けたら、次は干していた洗濯物だ。

 ベランダに出て、下着を含む洋服類を取り込んでいく。

 単なるお世話だと心構えは出来ており、色とりどりの下着に触れても、僅かに心臓の鼓動が高鳴る程度になっている。


「あ……」


 洗濯物を全てリビングへと移動させて扉を閉めると、凪が何かに気付いたような声を上げた。

 本を読んでいたはずの彼女は、乾いた洗濯物へ視線を向けている。

 

「どうかしました?」

「…………ううん、何でもない」

「何かあったら遠慮なく言ってくださいよ?」

「分かってる」


 洗濯物を任された時から変わらない行動だったので、問題はなかったはずだ。

 凪に文句を言われた事はないし、むしろお礼を言われてすらいたので、今更駄目だと言われる事はないだろう。

 凪も凪で、自らがどうして声を発したのか分からない、という風な不思議そうな表情をしている。

 その割には、ほんのりと頬が赤くなっているのだが。


(もしかして、出掛けた時に色々あったからか? ……まさかな)


 今日の凪は今までと違った姿が多かったが、クレープを食べた後は普段通りの態度だった。

 なので、結局凪は海斗を『信頼出来る友人』としか見ていないはずだ。

 気にした方が負けだと深く考えないようにし、洗濯物を畳んでいく。


「……」


 いつも通りのお世話なのに、ちらちらと視線が向けられている気がした。





「ふぅ……」

「今日もありがとう、海斗」


 部屋の片付けを終えると晩飯時まで特にする事もないので、ソファに座って休憩だ。

 あまりソファに座る事はないが、いつもなら凪が海斗の傍に寄ってくる。

 しかし今日は距離を詰めず、微妙に遠い位置に座っていた。

 その理由をあえて考えず首を振る。


「いえいえ、これが俺のお仕事ですから」

「部屋の片付けもそうだけど、荷物を持ってくれた事もだよ。本当にありがとう」

「それこそ、男の役目ですからね」


 荷物を持とうとした際にもお礼を言われたが、感謝の言葉が海斗の胸に沁みる。

 だからこそ世話を焼きたいと思うし、全く苦にならない。

 恩着せがましく言うつもりはなく肩をすくめれば、凪が嬉しそうに目を細める。


「そうかもしれないけど、私は感謝してるの。あんなに沢山の荷物を持つの、大変だったと思うから」

「服ってかさばりますからねぇ。凪さんが持ってたら家まで運べなかったんじゃないですか?」

「う……。馬鹿にし過ぎ。でも、間違いじゃないかも」


 褒められ過ぎると羞恥が沸き上がりそうで、話題を逸らした。

 凪の運動能力は知らないが、少なくとも力持ちではない事くらい海斗にも分かる。

 多少怒られるのも覚悟していたが、凪は一瞬だけ唇を尖らせて、すぐにへにゃりと眉を下げた。


「それくらい沢山買ったんですから、仕方ありませんよ」

「うん。沢山買った。沢山美桜が選んでくれた」


 そう言った凪は花が緩やかに咲くように、口元を柔らかくたわませている。


「孤児院の頃はあんなに買えなくて、西園寺家に来てからは遠慮してばっかりだったから、あんなの初めてだった」

「そう、なんですか」


 凪の言葉に何を返しても薄っぺらくなりそうで、口から出たのは相槌あいづちだけだった。

 唯一の救いは、彼女が嬉しそうに語っている事だろう。

 少なくとも、しんみりした空気にしたい訳ではないはずだ。


「あんまり服に興味はなかったけど、ああいうのも楽しかった」

「それなら良かったです。一ノ瀬は暴走してましたけどね」

「正直、あれは止めて欲しい」


 最後はへろへろになっていたし、凪にしては珍しく美桜を責めたので、着せ替え人形になるのは結構堪えたらしい。

 遠慮のない発言をしている事が、美桜とより仲を深めた証のように思える。


「確かに。あれに毎回付き合うのは大変です」

「うん。でも楽しかったのも本当だから、また行こうね」


 今回は凪の服を見かねて大量に購入したので、次は同じようにはならないだろう。

 なので、海斗が付き添う理由はない。

 けれど凪の顔があまりにも楽し気で、海斗も一緒なのを全く疑っていなくて。

 断るという考えが、一瞬で吹き飛んでしまった。


「はい。今度は服を見るだけじゃなくて、別の事をしてもいいですね」

「ん。すっごく楽しみ」


 くすり、と幸せそうに笑う凪が眩し過ぎて、直視出来ない海斗だった。

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