第49話 意外な反応

 定食屋での昼食を終えて、本来の目的である洋服店を目指す。

 子供っぽい凪や今時の女子高生らしい美桜だが、二人共食事の際は綺麗な所作しょさをしていたので、彼女達がお嬢様なのだと改めて思い知らされた。

 美少女二人が男が行くような定食屋に入った事で結構注目されていたものの、華麗に無視していたのは流石だ。

 また、味に関して凪は可もなく不可もなくだったらしく「お腹いっぱい」とだけ言っていた。

 海斗の料理に対する信頼の高さと、ある意味で無情な凪の感想を思い出し、歩きながら苦笑を零す。


「さてと、凪ちゃん先輩はどんな服が着たいですか?」

「着心地が良いもの。……パーカー、とか」


 服に関しては無頓着な凪だが、それでも美桜の様子をうかがうように告げた。

 やはり納得出来ないようで、美桜がむっと唇を尖らせる。


「パーカーは確かに着心地が良いですが、残念ながら却下です」

「あぅ……」

「でも着辛い服を選んでも仕方ないですし、その方向で行きましょうか」

「っ! ありがとう、美桜!」


 まさか自分の要求が通るとは思わなかったのか、凪が瞳を輝かせて頬を緩めた。

 無垢で嬉しさが溢れている笑みに心臓を打ち抜かれたらしく、美桜が「うっ」と呻き声を上げて胸を抑える。


「ねえ天音。凪ちゃん先輩の性格が普段と違くない?」

「そうか? ちょっとテンションは高いかもしれないけど、こんなもんだぞ?」


 出会った当初は全く表情が動かなかったし、感情の起伏も少なかった。

 しかし、今では無邪気な所やだらしない所も見せてくれている。

 おそらく、こちらが凪の本当の姿なのだろう。


「こういう姿を見せても良いと信頼されてるって事だ。良かったじゃないか」


 今まで海斗にしか見せなかった姿を他の人に知られるのに、少しだけ寂しさを覚える。

 けれどこの感情を口に出してはいけないし、その権利もない。

 微笑を浮かべて賞賛すれば、頬を薔薇色に染めた美桜が肩まで伸ばした髪を弄り始める。

 凪はと言うと、海斗と美桜の会話よりも周囲に興味を引かれたようで、きょろきょろとあちこちへ視線を送っていた。


「いや、まあ、そりゃあ嬉しいけどさ、こう……」

「無邪気過ぎて困る、か?」

「そう。何か、私が汚れた女みたい思えてきた」

「言い方が悪過ぎる」


 女性が口にしてはいけない言葉が出て来た事に、眉をひそめる。

 周囲を観察していた凪だが満足したらしく、海斗達へ視線を向けた。


「それで、どこに行くの?」

「おっとすみません、じゃあ手当たり次第に行きましょうか!」

「……ホントに?」

「ホントに。ほら行きますよ!」


 美桜が頬を引き攣らせた凪の手を引き、近くの女性服店に入っていく。

 どうやら凪は買い物をあっさり済ませるつもりだったらしいが、そうは問屋が卸さないようだ。

 年齢も違えば性格も違う二人だが、今は姉妹のように思えた。


「じゃあ俺は外で待ってるから、買ってきてくれ」

「は? 何言ってんの? 天音も入るに決まってるでしょ」


 美桜がすうっと目を細め、店の前で立ち止まった海斗へと近付いてくる。

 当たり前のように海斗も入店する事が決まっているが、流石にマナー違反ではないか。


「いや待て、女性の店に俺が入ってどうすんだ。邪魔だし変な目で見られるだろ」

「こういうのは男の意見も必要なの! それに男の人も入ってるでしょ?」

「……いやまあ、そうみたいだけどさぁ」


 店内をよく見れば、確かに男性客は居た。

 しかし明らかにデート中の人達なので、海斗は彼等と同じ立場ではない。

 口にすると揶揄からかわれそうな気がして、言い訳のように口ごもる。

 そんな海斗を見かねてか、美桜が凪へと視線を向けた。


「凪ちゃん先輩、新しい服で天音を驚かせたくないですか?」

「海斗、驚くの?」

「そりゃあもう。しかも試着しながらだと天音に色んな服を見せられますよ! 反応も見れますし!」

「うーん。海斗は私が色んな服を着た姿を見たい?」


 凪の服を海斗の趣味に合わせるな、と文句を言いたかったが、残念ながら凪には美桜の意図がいまいち伝わらなかったらしい。

 代わりに凪がこてんと首を傾げて剛速球を投げて来たのだが。


「えーっと……」


 見たくないと言えば凪を悲しませそうで、見たいと言えば凪の純粋さに付け込む形になってしまう。

 究極の二択に頭を悩ませていると、凪から顔を見られないようにしながら美桜が思いきり睨んできた。

 目だけで「頷け」と指示され、渋々ながら首を縦に振る。ここで断った場合、後で美桜に何を要求されるか分からない。


「そうですね。折角ですし、見たいです」

「ん。分かった」


 何の感情も見せる事なく凪が店に入っていき、その隣に美桜が並ぶ。

 ちらりと振り返った美桜が満足そうな笑み海斗に向け、溜息をつきながら海斗も続くのだった。





「すげーなぁー」


 何も考えていないような感想を零し、目の前の光景を眺める。

 実際、今の海斗の脳は思考を放棄しているので、決して間違ってはいない。

 代わりに満面の笑みで服を選んでいる美桜と店員が居るのだから、海斗が何を言っても意味がないはずだ。


(まあ、助かってはいるけどさ)


 美桜の事なので何着かは海斗に選ばせるかもしれないと、店に入った時点で覚悟していた。

 しかし、凪の美しさに目を付けた店員と美桜が盛り上がり、結局海斗は蚊帳かやの外だ。

 女性の服を選んだ事などなく、清二からも特にコツ等は教わっていないので不安だったが、この様子だと海斗は選ばないだろう。


「うわぁ、どれにしようか悩むなぁ!」

「そうですねぇ。これほどの逸材ですから、厳選した物を選びませんと……」

「ならチュニックとかどうですか?」

「ふむ、悪くないですね。では私はスリットセーターを」

「いいですね。じゃあついでにこれとこれ、後はこれと……。よし、それじゃあ凪ちゃん先輩、試着の時間ですよ!」

「え、あ、はい?」


 海斗と同じく置いてけぼりを食らっていた凪だが、残念ながら彼女は当事者だ。

 完全に思考が追い付いていない凪を、美桜と店員が連れて行く。


「……女って凄いんだな」


 服の事になると全力を出す女性の姿に畏怖と尊敬を抱き、三人の後を追う。

 清二から女性の買い物は長いと聞かされていたが、これなら納得だ。

 意外にも女性からは微笑ましい視線を、男性からは羨望と同情のような視線を受けつつ、試着室に着いた。

 凪が個室に入ってカーテンを引き、その前に美桜と店員が陣取る。


「さてと、天音はここでジッとしてる事。覗いたら死刑だからね?」

「分かってるっての。誰が犯罪行為なんかするか」


 射殺せんばかりの鋭い視線を向けられ、肩を竦めながら意思表示した。

 凪とは友人でしかないし、仮に恋人であっても、覗きという信用を失う行為など絶対にしない。

 しかし、僅かに聞こえてくる衣擦れの音が海斗の心をくすぐる。


(これくらいで動揺してどうすんだか……)


 凪の下着など見慣れているし、以前着替えの最中に出くわした事もあるのだ。

 それはそれで駄目なのではないかと思うが、不可抗力だと割り切る。

 必死に表情を取り繕ってすまし顔をしていると、カーテンが開いた。


「素晴らしいですねぇ……」

「うん、ばっちりです、凪ちゃん先輩!」


 女性二人が満足気な声を上げ、凪の前から退く。

 ようやく見えた先輩の姿に、海斗の思考が再び固まった。


「……」


 凪の要求を呑んで選んだらしく、着ていたパーカーと同じくらいシンプルな藍色のチュニックだ。

 しかし袖や襟元、そして腰付近は、重ね着をしている白と黒のチェック柄のシャツが少しだけ出ていた。

 凪の美しさを引き出しつつも、可愛らしさを絶妙に兼ね備えた服は、溜息をつきたい程に似合っている。


「えっと、変、かな……?」

「……え!? あ、ああ、すみません」


 凪の不安そうな声で我に返り、大きく息を吸い込む。

 女性の服を褒めるのは気恥ずかしいが、感想を求められているのだから言わなければ。

 沸き上がる羞恥を押し込め、頬を緩ませる。


「似合ってますよ。元々の容姿が良いからってのもありますが、凪さんの落ち着いた雰囲気にぴったりでとても綺麗です」

「……」


 海斗の褒め言葉に凪が目を見開き、何の反応も示さなくなった。

 失敗したかと焦って彼女の様子をうかがえば、白磁の頬がじわじわと赤くなっていく。

 当の本人は自分の中に沸き上がる感情が分からないのか、整った顔に困惑を浮かべた。


「ん? あれ? 何で?」

「何かおかしいなって思ったけど、やっぱりかぁ……」

「ふむ、これは何も口にしない方が良さそうですねぇ」

「あ、あはは……」


 美桜と店員から生暖かい笑みを向けられ、乾いた笑いを零した。

 下着を見られても何の反応も示さなかったのに、服を褒められて照れるのは変な気がする。

 気にしたら負けだと思考を停止させようとしたが、ふとある事に気付いた。


(というか、凪さんの頭の良さ以外を褒めたのは初めてだっけ?)


 今回は服の感想だけ言えば良かったのに、つい容姿も併せて褒めてしまった。

 そのせいで、凪が普段と違う反応をしたのだろう。

 失敗したと今更ながらに自覚したものの、あの場で褒めないのは男が廃る。

 正確な回答は分からないが、この場の空気は変えた方が良い。


「それで、他の服は着ないんですか?」

「え、う、うん、着てみる」


 頬を薔薇色に染めたまま、凪が更衣室へ逃げるように引っ込む。

 海斗の言葉で恥ずかしがる凪は異常なまでに可愛かったが、だからこそ見てはいけないもののような気がした。


「青春ですなぁ」

「頬が緩んでしまいますね」


 何とか凪を落ち着かせられたと細く息を吐き出す海斗を、美桜と店員がにまにまと意地悪な目で見てくる。

 そんな二人を完全に無視し、そっぽを向いて壁にもたれる海斗だった。

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