第48話 子供舌

「はぁ……」


 満員電車を降り、新鮮な空気を肺に入れる。

 凪や美桜と電車内で密着していた事に関しては、男を見せられたと言っても良いだろう。

 海斗の内心を把握している美桜に、意地の悪い視線を向けられているが無視した。


「お疲れ様。本当にありがとう、海斗」

「いえいえ。むしろ――何でもないです」


 美少女二人と触れ合えたのだから、お礼を言うべきなのは海斗の方だ。

 沸き上がる醜い欲望を理性で抑えつけるのは大変だったが、後悔はしていない。

 疲労からつい口に出してしまいそうな言葉を飲み込むと、凪がこてんと首を傾げる。


「うん? 何か言いたい事があるなら、遠慮しないでね?」

「遠慮してる訳じゃないですよ。男の見せ所だったんですし、お礼を言われる必要はないって言いたかっただけです」

「そんな事ない。海斗のお陰で私も美桜もすっごく楽だったんだから」

「そうだよ。いやー、男子が居るとこういう時に楽だねぇ」

「……後で覚えとけよ」


 瞳に揶揄からかいの色を込めて生暖かい笑みを浮かべる美桜に、低い声を返した。

 別に報復するつもりはないものの、やられっぱなしは趣味じゃない。

 しかし美桜は全く動じず、へらりと気の抜いた笑みを見せる。


「さて、何の事かな? 私と凪ちゃん先輩は天音に感謝してるだけなのに。ねー、凪ちゃん先輩?」

「うん。海斗、頼もしかった」

「そりゃあ男冥利に尽きますねぇ……」


 小悪魔な同級生と純粋無垢な先輩の組み合わせは、海斗の心臓に悪過ぎる。

 三人で遊びに行くのは失敗したかもしれない。

 とはいえ、ここまで来て帰るつもりもないのだが。


「さてと、取り敢えず移動しようか」

「うん」

「はいはーい」


 目的地であるショッピングモールは、駅を出てすぐの場所にある。

 気を取り直して歩くと、すぐに着いた。


「取り敢えずご飯かなぁ」

「だな。昼過ぎに出たから腹が減り過ぎた」

「私もお腹ぺこぺこ……」


 余程腹が減っているのか、凪が子供っぽい言葉を零して腹に手を当てる。

 先輩の威厳など無く、それでいて庇護欲を掻き立てる姿に頬が緩んだ。


「凪さんは何が食べたいですか?」

「お腹に入れば何でもいい。でも野菜は嫌」

「それは何でもいいとは言わないんじゃ……」


 凪のあまりにもざっくりとした返答に、美桜が頬を引きらせる。

 ブラウンの瞳が海斗を見つめるが、その目が呆れた風なものだった。

 おそらく、いつも晩飯を作っている海斗に凪の食生活を物申したいのだろう。

 しかし、凪が嫌がらない範囲で何とかしていると、苦笑しながら肩を竦める。

 美桜にはしっかりと考えが伝わったらしく、労わるような目を向けられた。


「それなら適当に歩きながら決めよっか!」

「そうするか」

「分かった」


 ここで話していても決まらないと、美桜が場を仕切って歩き出す。

 飲食店があるエリアへと向かっているが、大勢の人が海斗達を見ていた。


(というか、見てるのは凪さんと一ノ瀬だろうけどな)


 美桜はいかにも今時の女子と言わんばかりの華やかな服装をしており、容姿と相まって非常に映える。

 凪は単なるパーカーだが、彼女の容姿が美桜と並ぶ程に美しい事と髪の色が銀だからか、周囲の視線を惹き付けていた。

 正直なところ海斗は場違いな気がするが、ここで背筋を曲げては駄目だと清二から教わっている。

 なので弱気な心を押し込めて背を伸ばしていると、向けられる視線があまり気にならなくなった。

 とはいえ馬鹿にしたりいぶかしむ視線は、少ないながらも向けられているのだが。

 こればかりは仕方ないので、美少女二人と出掛けた駄賃だちんだと思う事にする。

 そうして周囲の視線を出来る限り意識しないように歩き、飲食店のエリアに着いた。


「何か食べたいものがあるなら、遠慮なく言ってくれ」

「私は凪ちゃん先輩に任せます」

「ん。じゃああれがいい」

「あれって、丼物の定食屋ですか?」

「そう。ハンバーグかカレーか迷ったけど、あれに決めた」


 凪が迷わず指差した場所は、いかにもな定食屋だ。

 基本はカツ丼で、他にも色々な揚げ物系の丼を食べる事が出来るらしい。

 美少女が提案する昼食にしては意外過ぎると一瞬だけ考えたが、よくよく考えると凪の好みからすれば変でも何でもない。

 しかし、流石に予想出来なかったのか美桜の頬が引きる。


「ま、任せると言った私が指摘するのも何ですが、凪ちゃん先輩ってもしかして――」

「一ノ瀬、それ以上はいけない」


 以前凪が料理すると言い出した際に子供扱いしてしまったが、その時に返ってきたのは非常に珍しいキックだった。

 子供舌、と言えば凪の機嫌が斜めを向きそうなので、美桜の言葉をさえぎる。

 真剣な表情を向ければ、生暖かい笑みの中に呆れを混ぜて美桜が肩を竦めた。


「苦労してるねぇ……」

「意外とそうでもないんだけどな。苦い物以外は何だかんだ食べてくれるし」

「……ん。海斗は無理に食べさせようとしないし、工夫してくれるから食べやすい」


 勝手に嫌いなものを暴露して怒られるかと思ったが、美桜ならば大丈夫らしい。

 とはいえ恥ずかしいのか白磁の頬に朱を混ぜ、緩い微笑みを見せている。

 その可愛さに美桜が胸を撃たれたようで、子供を慈しむような優しい笑みを凪に向けた。


「凪ちゃん先輩は頑張ってるんですねぇ……。それじゃあ今日は好きな物を沢山食べましょうか」

「それなら海斗のご飯が食べたいけど、今はこれでいい」

「わお大胆。でも天音のご飯は美味しいですから、無理もないですね。それじゃあ行きましょう!」


 美桜が凪を手を掴み、定食屋へ向かう。

 その後ろをついていくが、美少女二人の姿がどうにも別の関係に見えてしまった。


「うわぁ……。一ノ瀬がおかんに見える」


 海斗の呟きが聞こえたらしく、美桜が振り返ってじとりと目を細める。

 その目が「天音が言える事じゃないでしょ」と言っている気がしたのだった。

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