第47話 満員電車

 大型ショッピングモールが歩いて行ける距離だったなら良かったが、残念ながら閑静な住宅街の近くにそんなものはない。

 なので喫茶店を出て駅に向かい、電車に乗る。

 休日の昼時だからか、電車内は身動きが出来ない程に混んでいた。


「うぅ……」

「うへぇ、凄いねぇ……」


 凪と美桜が人の波に押され、呻き声を上げる。

 いくら美少女な二人とはいえ、ここまで混むと容姿はほぼ関係ないらしい。

 近くの人は別として、少し離れた乗客は二人に目もくれていなかった。


「二人共、大丈夫か――ですか?」


 先輩と同級生を同時に気にする場合、言葉遣いに気を付けなければならない。

 美桜に対しては変だが取り敢えず凪に合わせると、彼女が苦笑に僅かな期待を込めて海斗を見上げた。


「一緒に呼ぶときは敬語じゃなくていい。面倒くさいでしょ?」

「いや、普通は敬語だと思うんですが」

「平気、美桜は海斗に敬語で接されると変じゃない?」

「はい。というかぶっちゃけ気持ち悪いです」

「……おい」


 冗談だと分かっていても、容赦のない美桜の罵倒ばとうに低い声が出てしまった。

 思いきり睨みつけるが、彼女は反省する様子もなくむすっと唇を尖らせる。


「だって同級生に敬語って違和感が凄いんだもん。似合わないって」

「バイトの時は敬語を使ってるんだが?」

「あれは雰囲気が違うから平気。今はいつもの天音だから変」

「意味分かんねぇ……」


 よく分からない理論を述べられ、頭痛を覚えた。

 呆れと共に息を吐き出すと、美桜がへらりと緩い笑みを見せる。


「まあまあ、凪ちゃん先輩が敬語無しでいいって言ってるんだし、それでいいじゃん」

「はぁ……。すみません、凪さん。これから一緒に呼ぶ時は敬語を外します」

「おっけー。むしろ普段から無しでいいくらい」

「それは却下で」


 この様子だと、前回海斗が敬語を外した時から凪は敬語を外させる機会を伺っていたらしい。

 かなり仲良くなっているし、正直なところムキになる必要はないのだが、甘え過ぎは良くない気がした。

 あっさりと提案を蹴られた事で、凪が僅かに頬を膨らませる。


「……いじわる」

「普通は敬えって言う所ですよ。まあそれは置いておいて、二人共キツくないか?」


 凪や美桜との会話である程度気は紛れていたが、やはり満員電車は辛いものがある。

 海斗ですらそうなのだから、女性である二人はもっと辛いはずだ。

 言われた通り敬語を外して尋ねれば、二人の顔が曇った。


「正直、キツい」

「私も、これはしんどいなぁ……」

「分かった。少し待ってくれ」


 目的の地まであと数駅だが、出来る限り楽に過ごして欲しい。

 流石に今動くと他の人に迷惑なのでジッとこらえ、電車が止まって人が動きだした瞬間に海斗も行動を開始する。


「ちょっと服を失礼するぞ」

「「え?」」


 手を引っ張るという大胆な事が出来れば良いのだが、生憎そんな度胸はない。

 なので二人の袖を軽く摘まみ、電車の開いた扉付近へ向かう。

 狙いは人が降りる事によってスペースが出来た、扉に近い椅子の傍だ。

 三人共が思いきり椅子に近付けば、電車に入ってくる人の迷惑にもならないだろう。

 理想は逆側だったが、生憎そこには海斗達と同じ降りない人が居るので止めておいた。

 美桜が一番電車の外側へ、次に凪、最後に海斗と並び、電車の扉が閉まる瞬間に二人を角へ追い込む。

 女性を押すのはマナー違反だと分かってはいるが、我慢して欲しい。


「あう」

「おっと」


 凪と美桜に短い悲鳴を上げられたものの、海斗が何をしようとしているのか分かったのだろう。

 特に文句は言われず、三人纏めて角に収まった。

 相変わらずの満員電車なので苦しいのは変わらないし、無理にスペースは作れないが、これで多少は辛さが軽減されるはずだ。

 少し強引に動いたからか、傍の大学生くらいの男性が少し迷惑そうに、しかしそれ以上の羨望を込めた視線を海斗へ向ける。


(まあ、ある意味役得ではあるけどさ)


 女性の為に体を張って人の波を受け止めるのだ。

 それが美少女二人となれば、我先にと行う男性は居るだろう。

 流石に思いきり触れ合う訳にもいかず、壁に手を付いて触れるか触れないかの絶妙な距離を取っているが、海斗とて時折二人と接触してしまっている。

 だからこそ、これは二人の友人である海斗の役目だし、誰にも譲るつもりはない。

 背中を押される感覚に顔をしかめそうになるが、無理矢理笑みを浮かべる。


「これで少しは楽になったか?」

「さっすが天音。ありがとね」

「ん、凄く楽になった。ありがとう、海斗」

「なら良かった」


 凪と美桜が先程よりも肩の力を抜いているので、本当に辛くなくなったのだろう。

 こういう場合に女性を気遣えという、清二から教わった事を実行出来た嬉しさが胸を満たす。

 後は目的の駅まで耐えればいいだけだと腕に力を込めた。

 すると、凪がアイスブルーの瞳を潤ませて海斗を見上げる。


「海斗、大丈夫?」

「もちろんです。何時間でも平気ですよ」

「強がってくれるのは嬉しいけど、もっと私と凪ちゃん先輩に近付きなさいよ。多少押されても私達は耐えられるって」

「いや、そんな事は絶対にしない」


 満員電車の中なので仕方ないと、それで怒りはしないという美桜の言葉は有難い。

 それでも、ここで意地を張るのが男だ。

 考えを曲げない海斗に、美桜が呆れたと言わんばかりに溜息をつく。


「ああもう、意地っ張りな男にはこうだ!」

「は? ちょっと!?」


 美桜が海斗の腰に手を回し、強引に引き寄せた。

 全く予想していなかった出来事に反応が遅れ、凪と美桜を押し潰す形になってしまう。

 厚手の服越しなので感触はいまいち分からないが、甘い桃と柑橘系の匂いが海斗の心臓を暴れさせる。


「す、すまん。すぐに離れるから」

「大丈夫だって。というか、これくらい近付かないと他の客に迷惑でしょ? ね、凪ちゃん先輩?」

「うん。それに海斗なら押されても嫌じゃない」

「えぇ……」


 信頼してくれるのは有難いものの、海斗とて健全な男子高校生なのだ。

 女性という存在をこれでもかと叩きつけられ、頭が沸騰しそうになる。

 とはいえ美桜達の言う事にも一理あるので、諦めて二人に身を寄せた。

 すると、凪よりも背の高い美桜が海斗の耳へと顔を近付けてくる。


「美少女二人と密着出来るなんて役得でしょ? たっぷり堪能しなさいよ?」

「た、頼むから、今は意識させないでくれ……」


 凪に聞こえていたらややこしい事になりそうだが、そこは気を付けてくれているようだ。

 揶揄からかいをたっぷりと含んだ声にどくりと心臓が跳ね、必死に懇願した。

 しかし美桜は顔を離し、にやっと黒い笑みを浮かべる。


「頑張れ男の子♪」

「ん。海斗、頑張って」


 凪は単純に美桜が海斗を応援したと思ったらしく、不安の中に信頼を込めた微笑みと共にエールを送ってくれた。

 確信犯と純粋な心配という正反対の応援に、凄まじい勢いで頬に熱が上ってくる。


「……ああもう、やってやろうじゃないか」


 ここで体が反応するのは男として正しいのかもしれないが、代わりにプライドという大切な物を失うだろう。

 腹を括り、地獄の耐久レースが始まるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る