第23話 ただの布とは思えなくて

 いよいよ汚部屋を綺麗にする時だと、海斗は土曜日の正午に凪の家に来ていた。

 リビングで凪へ挨拶し、まずはキッチンへ向かう。


「取り敢えず昼飯を作りますね」

「おねがいー」


 気の抜けた凪の返事にくすりと笑みを零し、買ってきた食材を調理していく。

 今日はこの後体を動かすので、流石に手を抜かせてもらう。

 昼飯のついでに晩飯の下ごしらえをしつつも、あっさりと昼飯は完成した。


「市販のソースを使った手抜きのパスタですが、はいどうぞ」

「市販のものでも全然大丈夫だから、気にしないで」

「そう言ってくれると助かります」


 安堵に胸を撫で下ろし、ペペロンチーノを口に運ぶ。

 凪が海斗の味を気に入り過ぎて、市販のものは食べないと言い出したらどうしようかと思っていた。

 しかし、そんな心配は無用だったらしい。

 元々、清二が料理を作りに来ない時はコンビニ弁当やカップ麵を食べていたようなので、多少手を抜かれても平気なのだろう。

 手抜き料理を綺麗な所作しょさ黙々と食べる姿にはかなりの違和感を覚えるが、凪の事情を考えると変な事ではない。


「というか極端な事を言うなら、私はお腹が膨れればそれでいい」


 あまりに身も蓋もない言い分ではあるものの、確かに一理ある。

 海斗も料理を叩き込まれるまでは、晩飯など白米と塩だけで良いと思っていたのだから。

 とはいえ、流石に海斗と凪を同列には語っては駄目だ。

 いくら凪であっても、海斗の料理を切っ掛けとしてお世話されるのを承諾しょうだくした事から察するに、ある一定のラインがあるはずなのだから。

 海斗とて、自信満々に料理が出来ると言っておきながら万人が不味いと思えるような料理を出されたら、流石に怒るかもしれない。

 

「余程栄養に偏りがない限りは、それでも生きていけますからね」

「うん。それに海斗も知ってるけど、私は西園寺の養子。孤児院の時は普通かちょっと貧しい食事だったし、高級食材とか最初見た時は胃が痛くなった」

「……何か、すみません」


 高級食材に関しては同意出来るが、重い話をどう受け止めていいか分からない。

 思わず謝罪すれば、彼女がゆっくりと首を振る。


「海斗は謝らなくていい。私がそういう生き方をしてきただけ」

「……了解です」

「だから海斗の料理には期待してるけど、手抜きされるのは嫌だなんて言わない。何ならジャンクフードでも全然おっけー」

「それはそれで問題ある気がしますが!?」


 顔を曇らせる海斗を励ます為か、単に食べたい物を言ったのかは分からない。

 けれど凪の発言に空気が弛緩しかんしたのは確かだ。

 全く凪のイメージに合わない食べ物に声を荒げれば、彼女がしゅんと肩を落とす。


「美味しいのに……」

「いやまあ、絶対に食べるなとは言いませんが、程々にしてくださいね」


 毎日晩飯を作っているが、凪に文句を言われた事はない。しかし、偶にはジャンクフードを食べたいのだろうか。

 全く提案しなかった事に後悔の念が沸き上がったが、海斗の内心とは反対に凪が柔らかく微笑んだ。


「程々というか、海斗のご飯が美味し過ぎてジャンクフードを食べたいとは思わない。いつもありがとう、海斗」

「……別に、感謝される事なんてしてませんよ」


 真っ直ぐな感謝の言葉に羞恥が沸き上がり、視線を逸らす。

 そんな海斗を見て、凪がくすくすと軽やかに笑った。


「海斗はそう思っても、私は感謝してるからね」

「…………そう、ですか」


 信頼しているがゆえの純粋な思いを真正面から受け止められず、誤魔化すようにパスタを掻き込む。

 いつの間にか、重い空気は無くなっていた。





 昼飯を平らげ、片付けを済ませてからはいよいよ大掃除だ。

 大量の服と色とりどりの下着、そして本の山の前で、最後に確認を取る。


「さてと、それじゃあやっていきます。本当に触って良いんですね?」

「うん。本と服は――」


 凪の説明を受け、本や服をしまう場所を把握した。

 服はまだしも本は並べる順番があると思ったのだが、特に気にしていないらしい。

 あるいはどうせ引っ張り出す際に散らかすので、どうでも良いと思っているのか。

 流石に一日で元の惨状になるとは考えたくない。

 最悪の可能性をあえて無視し、まずは服からだと衣類の山の前に座った。

 すると凪が自室へと歩いていく。


「私は部屋に居るから、何かあったら呼んでね」

「了解です」


 念の為に凪が海斗を監視するかもしれないと思っていたが、予想に反して完全に放置された。

 とはいえ掃除している姿をジッと見られるのは恥ずかしいので、非常に有難い。

 気合を入れて凪の服へ手を伸ばす。


「こんな形で女性の服に触るとは思わなかったなぁ……」


 一般男性が女性の服に触るのは、一緒に暮らす時くらいだろう。

 海斗のように、ただの友人関係にも関わらず服を触る機会などあるはずがない。

 しみじみと呟くが、滑らかな生地の触り心地に、言葉とは反対に心臓の鼓動が早まる。


「……いやいや、ここで動揺したら変態だっての。これは掃除。掃除なんだ」


 言い訳のような言葉で精神を落ち着かせ、服を畳んでいく。

 下着に関してはまだ触る勇気がないので後回しだ。


「何で半袖があるんだか。さては衣替えの際に洗濯してそのままだったな?」


 次から次へと畳んでいき、あっという間に服が整頓される。

 一度凪に教えられた場所へしまい、次はいよいよ男が決して触れてはならないものだ。


「……っ」


 ごくりと喉が鳴ったのは、男の条件反射と言っても良いだろう。

 おそるおそる手を伸ばし、それに触れる。

 服の綺麗な畳み方は清二が教えてくれたものの、流石に女性の下着の畳み方は教えてもらっていない。

 下側はまだ何とかなるが、上側はさっぱりだ。


「取り敢えず下は折り畳んで、上は……どうするんだろうな」

「ブラジャーは適当に纏めるだけでいい。紐が伸びないように気を付けて」

「うわぁ!?」


 唐突に背後から聞こえた声に、びくりと肩を震わせて大声を出してしまった。

 思い切り振り返れば、目をぱちくりとさせている凪が居る。

 下着を「ただの布」と言い放った通り、海斗が触っていても何も思わないらしい。

 端正な顔には、海斗への疑問のみが浮かんでいた。


「そんなにびっくりしてどうしたの?」

「い、いきなり後ろから声を掛けられたら、誰だってびっくりしますって」

「そうだね。驚かせてごめん」


 下着を意識していたとはとても言えず誤魔化せば、形の良い眉がへにゃりと下がった。

 素直に反省されて罪悪感という棘がちくりと胸を刺し、このままでは良くないと口を開く。


「それで、何か気になる事があって声を掛けたんですか?」

「うん。流石の海斗も女性の下着の取り扱いは分からないと思って説明しに来た」

「そういう事ですか。ありがとうございます」


 下手な事をして使えなくなったら、申し訳が無さ過ぎる。

 素直にお礼を言えば、多少は気持ちが前を向いたらしく、表情を緩めて凪が背を向けた。


「それは私のセリフ。時間はあるから、ゆっくり掃除してね」

「はい」


 再び自室へ戻る凪を見送り、彼女の下着を整理していく。

 当然ながら、海斗の心臓は忙しい事になっていた。


「…………この大きさからすると、それなりにあるみたいだけど、女性の胸ってどのくらいが標準なんだろうな」


 下着の上側に触るのだから、凪の大きさが分かってしまう。

 流石にタグに付いている詳細な数字を見る度胸はなく、単に形から把握するだけだが。

 大き過ぎず小さ過ぎずの絶妙なサイズは、少なくとも海斗としては悪くない。


「いや、何言ってんだか。煩悩退散、煩悩退散」


 頭を振ってピンク色の思考を消し、無心で下着を片付ける海斗だった。

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