第22話 勘違い

 凪の家で料理をする事になって数日。

 キッチンを使う事には慣れたが、そろそろ海斗の精神が限界に来ていた。


「何か気になる事でもある?」


 ここ数日で海斗の料理を一段と気に入ってくれたらしく、凪は今日もご機嫌に晩飯を摂っている。

 しかし、居心地悪そうにしている海斗が気になったのだろう。

 煮込みハンバーグを食べながら凪が首を傾げた。


「いや、その……」


 海斗のお願いは食事中に言う事ではないし、そもそも凪が許可する可能性は低い。

 しかし清二から叩き込まれた技術が、動く時と今か今かと待ちわびている。

 もう少し我慢出来ると思っていたのに、堪え性のない奴だと苦笑を落とした。

 

「今から言うお願いに、出来れば怒らないでくれると助かります」

「そんなの内容次第。でも、海斗のお願いなら何でも聞くつもり」

「何でもは駄目でしょうが……」


 女性が男性にそんな事を言えば、間違いなく良くない方向へ向かってしまうだろう。

 勿論海斗も例外ではなく、いくら凪が海斗を友人として信用しているのが分かっていても、どくりと心臓が跳ねた。

 当然ながら海斗の心配は凪に少しも伝わっておらず、こてんと首を傾げられる。


「そう? 本当に何でも聞くよ? 欲しい調理器具とか、使いたい食材とか、言ってくれれば用意するから」

「ですよねー」


 完全に予想していた事を口にされ、脱力感が襲ってきた。

 凪の懐事情は知らないが、最先端の調理器具や高級食材を簡単に準備出来る程のお金を持っているのだろう。

 正直なところ心惹かれてはいるので、一瞬だけお願いしそうになってしまった。

 しかし調理器具は宝の持ち腐れな気がするし、高級食材も取り扱う際に緊張しそうだ。

 身の丈に合った事をすべきだと首を振る。


「別にいいですよ。凪さんのキッチンには十分な調理器具がありますし、食材もスーパーの物で大丈夫です」

「そう。欲しくなったら言ってね」

「……欲しくなる時があるとは思えないですけど、分かりましたよ」


 人生で一度くらい経験した方が良いかもしれないと思ったが、それでも渋面を作って頷いた。

 海斗の複雑な気持ちがいまいち分からないようで、凪が不思議そうな表情になる。

 その後、彼女は再び首を斜めにした。


「それで、結局お願いは何?」

「あー、その、それは……」


 ある程度までは怒らないと言ってくれているし、勿体ぶらせるのは良くない。

 ここまで来たのだからと、覚悟を決めて口を開く。


「休みの日に凪さんの家の片付けをしたいんです」


 ペットボトルはこの数日で片付け、お茶を作り置きして凪に飲ませているので、これからはあまり増えない。

 本に関しては凪が家でもずっと読んでいるので、読書家なりの配置があったり、手元に無いと不安だったりするかもしれないと納得している。

 それでも片付けたい欲は出て来てしまうのだが、一番の問題は出しっぱなしにされた下着だ。

 こればかりは数日凪の家にお邪魔しても慣れなかった。

 折角なので他の衣類も含め、一度全て綺麗にしたいと懇願こんがんすれば、アイスブルーの瞳がぱちりと瞬く。

 

「いいよ」

「まあ、そりゃあ駄目ですよね。俺が触ったら嫌で――はい?」


 可能性として頭の中に入れてはいたが、あまりにもあっさりと許可された。

 思わず聞き返せば、普段通り感情の読めない無表情で頷かれる。


「だから、いいよ」

「ほ、本当に?」

「うん。というか、清二さんは片付けも海斗に依頼するつもりだったから今更でしょ?」

「いやまあ、そうなんですが……」


 晩飯だけでなく部屋の片付けも行えるなら、海斗はようやく清二からのお願いを十全にこなせると言ってもいい。

 しかしまるで海斗を警戒していない態度に、何だか凪の信頼を利用している気になった。

 このまま頷く訳にはいかないと、凪を真っ直ぐに見つめる。


「俺は男です。分かってますよね?」

「当然。むしろ男じゃなかったらびっくり」

「なのに俺が掃除していいんですか? ……下着とか、触れますよ?」

「あんなのただの布。脱いだ後のは汚れてるから触って欲しくないけど、そこら辺にあるのは触っても構わない」

「……男としては構って欲しい所なんですが」


 凪のある意味大らかな性格は非常に助かるが、女性の下着を「ただの布」とはとても思えない。

 これは、彼女を異性として意識するしないの問題ではないのだ。

 渋面を作って注意すれば、何を言っているのか分からない、という風な疑問に満ちた眼差しを向けられた。


「何で? 海斗は私の下着に興味無いでしょ?」

「どうしてそういう結論になったんですかね……」

「だって全然見てないし、いつでも触れる距離にあるんだから興味があるならとっくに触ってるはず。なのにそんな素振りが無かった。そこから判断しただけ」

「…………ああ、そういう」


 当然ながら凪がずっとリビングにいる訳がなく、この数日ですら海斗は自由に行動出来る時があった。

 しかし勝手に触るのは論外だし、見ないように必死に理性を縛り付けていたのだ。

 そんな海斗の努力の成果を、どうやら凪は興味が無いと勘違いしたらしい。

 全力で否定したいものの、そんな事をすれば凪を異性として意識していると暴露するようなものだ。

 勝負などしていないのに負けた気がして、がっくりと肩を落とす。


「じゃあ今週にでも大掃除します。その際に下着に触りますけど、いいですね?」

「うん、お願い。それと、私も片付けた方がいい?」


 不安と僅かな喜びを滲ませた顔から察するに、迷惑を掛ける事は申し訳ないが、それでも海斗が凪を気にするのが嬉しいのだろう。

 普通ならば「ここまで散らかしたんだから手伝え」と言うのが正解のはずだ。

 しかし我慢出来ずにお願いしたのは海斗だし、そもそもこれは海斗の役目でもある。

 正常ではない関係だと理解しながらも、首を横に振った。


「いえ、凪さんはゆっくりしていてください。でも、本や服を収納する場所は教えて欲しいですね」

「分かった。全部教える」

「頼みますよ」


 正式に大掃除する事が決まり、ようやく役目を完遂させられると安堵の溜息をつく。

 ただ、ふとある事実に今更ながら気付いてしまった。


(これ、凪さんが持ってる服や下着を俺が全部把握するって事だよな。……もしかして失敗だったか?)


 おそらく、大掃除の日に海斗の精神はすり減るだろう。

 それでも一度決めたのならやり遂げなければと、決意を固めて晩飯を摂るのだった。 

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